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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十二章
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帰還の代償4

 壮絶な帰還であった。

 ダディストリガの屋敷に馬車が到着したのは、西刻の五課(午後十一時)で、屋敷の主が慌しく担ぎ込まれ、邸内では騒動が引き起こされかけた。

 勤め人達の動揺を鎮めたのは、夫人である。


「みな落ち着きなさい。

 騒ぎたてては、旦那さまのお体に障ります」


 女主人ジュリシア・パドラは、狼狽える人々を毅然と叱責し、さらに寝室から飛び出して来た子供たちもたしなめた。


 二歳の長女を侍女頭に預けて下がらせ、五歳になる長男が泣きながら父親にすがりつこうとするのを、立ち塞がって制止したものである。


「武門の跡取りが、何ですか。

 男の子はみだりに泣いてはいけません。

 お父上は泣き虫がお嫌いです。気を強くお持ちなさい」


 取り乱す事なく長男を諭してから、医師の手配が済んだかを確認し、熱湯を用意させ、とりあえずの寝台を居間にこしらえさせ等々。きびきびと指揮した。


 ほどなく、医師と副官が、先を争うようにして現れた。

 ランスフリートは、人事不省寸前にある従兄の耳元へ顔を寄せた。


「ダディストリガ。

 ユグナジスどのがお見えになったぞ。判るか」

「……ああ。

 ここへ、来させてくれ」


 声は普段と打って変わって弱々しかったが、意識が保たれていると分かる口調で、彼は応じた。

 ユグナジスが至近へ駆けつけると、ダディストリガは動員出来る全ての体力を振り絞った。


「国王御子息、誘拐事件、御子息はご無事、犯人は逃走中……」 


 そこまで言った時、この気丈な男の体力と気力は、ついに底をついた。

 声は唐突に途切れて、手が垂れ下がった。副官は慌てて飛びのき、医師を呼び寄せてから外へ走って行った。


「閣下。

 剣将閣下。お気を確かに」


 医師が懸命に呼びかけながら、急いで手当てを始めた。

 従兄の妻は服の裾を握り、蒼白になりながらも、しかし声を絶やして微動だにしない夫から、目をそらそうとはしなかった。

 ランスフリートは、これも蒼白な顔で彼女の肩に手をかけた。


「お休みになられた方がよい。

 後は医師どのにお任せしましょう」

「ありがとう存じます、ランスフリートさま。

 ですが、大丈夫です。わたくしは主人の命運を見届けますわ」


 ほのかに笑って、彼女は示された好意を謝絶した。

 それから、ふと心づいたように周囲を見回した。


「お連れの女人の方は」

「ティプテですか。

 心配ありません。少し具合が悪いようですが、馬車酔いでもしたのでしょう。


 客室を借りて休ませました。侍女もついていてくれています。

 他の医師を呼ぶよう頼んでもおきましたし、お気遣いなく」


「そうですか。

 ですが、女人とはあえかなものですわ。お側について差し上げてくださいまし」


「男のわたしが側でうろうろしていても、役に立つどころか邪魔になるだけです。

 女性の事は女性に任せた方がよろしいでしょう。


 それよりダディストリガが心配です。

 わたしのせいで、とんだ事になってしまった。

 申し訳ない」


 ランスフリートがうなだれると、ジュリシアは労わりの視線を夫の従弟へ向けた。


「お気に病まれることはございませんわ。

 これが、主人の任務です」

「ですが」


「彼は武門の男ですわ。王家の栄光を守る剣士ですのよ。

 剣士が、自分の仰いだ旗と、その旗手たる主君を守りまいらせるのは当然の事です。


 お気に病まれたりなさっては、かえって主人は怒りますわ。

 わたくしも、武人の妻です。心構えは出来ております。

 どうか、お気になさらずにいらして」


 彼女の態度は涼やかで、優しい誠実さに満ちていた。

 この女性は、夫が最期の時を迎えたとしても、武人の妻を貫き通すのであろう。


 あっぱれな貞女に、ランスフリートは深く一礼した。他に謝意をあらわす術がなかった。

 やがて、ダディストリガの治療にあたった医師が、難しい顔を二人に見せた。


「なすべき事はすべて施しました。後は剣将閣下のご運次第です。

 急所を外しておられた事と、閣下のお体がまことに頑健であられたので、傷そのものはお命に関わる深手にはなっておりませぬ。


 ただ懸念すべきは、血を失い過ぎておられる事です。

 今晩から明朝にかけてが、岐路と申せましょう」


「では、今晩を耐え抜けば、ダディストリガは助かるのですね」


 ランスフリートは、あえて楽観的な表現で尋ねた。医師は重々しく頷いた。


「出血は収まっておりますので、とにかくご安静になさってください。

 それと、お体をお冷やしになられぬよう。


 血を大量に失いますと、寒さを感じるものでございます。

 暖を求めて、無意識に動かれる事が考えられます。

 

 今動かれては、せっかく止まった血がまた流れ出します。

 これ以上の出血はお命に関わりますゆえ、何とぞご配慮を」


「かしこまりました。

 主人の事はわたくしがしかと承ります」


 ジュリシアは言いつけを受けながら、ランスフリートへそっと目配せした。

 従兄の傍らには、この妻が一人あれば良いであろう。


 頷いて謝意を示すと、ランスフリートは廊下に出た。

 医師の助手らしい若者が、正面から慌ただしく走って来るのと行き会った。


 彼は、屋敷の若主人を診た医師の手が空いているかを、ひどく焦った様子で知りたがった。

 求めに応じて、壮年医師が姿を見せた。

 若者は、彼の手を引きたい程に急いでいると見える。


「こちらへお急ぎください。先生が、直ちにご意見を伺いたいとの事です」


 その様子を眺めていたランスフリートは、急に嫌な予感に襲われた。

 ともあれ、廊下で言い騒いでも仕方が無い。


 医師を先に行かせ、彼も足を速めた。

 ティプテを休ませている東の客間まで来たとき、二人の医師が額を合わせるようにして、何やら話し合っていた。


「本当か。見立てに間違いないか」

「初見ではそうとしか考えられない。

 ゆえに、先生にも見て頂きたい」


 彼らはランスフリートに注意を払っていない。

 ダディストリガを診た医師が、あたふたと客間へ飛び込んでゆき、もう一人も後に続いた。


 不安がいや増してくる。

 おかしい。


 彼は、侍女の制止も聞かずに医師達を追いかけた。

 全ての窓には厚地の黒い帳かけられ、室内を十本ばかりの大ろうろくと、大ぶりな点灯篭が照らしている。


 窓際の寝台に医師達が居る、恋人が寝かされているに違いなかった。

 ランスフリートは激しくなってくる動悸に耐えながら近寄った。

 ダディストリガの主治医が診察している最中だった。手の空いている医師を、やや強引に振り向かせる。


「どうしたのです。

 何があったのですか」

「いや、その」


 医師の反応はたいそう歯切れが悪い。

 明らかに説明しかねて困惑し、朋輩の医師と患者、そしてランスフリートを、忙しく交互に見やっている。


 いよいよ、これはただ事ではない。

 我慢しかねて、返事を待たずに医師の脇から寝台を覗き込んだ。


 危うく大声をあげるところであった。

 恋人は目を閉じているが、安らかな眠りについているのではなかった。


 額から汗が大量に溢れ、鼻筋を伝って顎から滴っている。少し開かれた唇からは、激しくて短い呼吸音と、苦痛を訴えるような呻き声が漏れて来ており、眉はきつく寄せられて時折り顔が弱々しく左右に振られる。


 顔色は悪い、いや一見して異常と分かる程に黒ずんでいる。

 まさか。


 オレンジルが使おうとした毒粉を、吸いこんだのではあるまいか。

 ランスフリートを戦慄させて余りある予感が、彼を捉えた。


「ば、馬車酔いでしょう。

 ただ馬車酔いしているだけなのでしょう。そうなのでしょう」


「いいえ。

 馬車酔いの症状ではございません。国王御子息さま」


 頼りない希望的観測を、深刻な声が粉砕した。そして


「風邪の症状にも見えますが、それにしてはこの肌の変色が気になります。

 よもやとは思いますが、鉱毒を服用されたのでは」


 追い討ちがかかった。

 ランスフリートはぎくりとし、よろめいて二歩三歩と後退した。


 医師はその動揺ぶりを見咎めた。


「心当たりがお有りですか」

「嘘だ。そんな事……そんな事があるものか。

 あってたまるか。そんなばかなことが」

「服用されたのですか。真実を仰ってください」


 尋ねる声も上ずっていた。


「もし鉱毒を服まれたのなら、こうしてはいられません。手当ての仕方を変えなければ。

 どうか教えてください。

 こちらの女性は、鉱毒を服用されたのですか」


 医師の切迫した口調が、ランスフリートに最悪の事態が現実化した事を認識させた。

 彼は、全身の血が逆流するような衝撃を努力して堪え


「直接に服んではいません。

 ですが、吸ったかもしれません。

 吸えば楽に死ねるという強い鉱毒を、頭に振りかけられそうになったのです」


 絞り出すように、先刻の事件について語った。

 話が終わったと同時に、先の医師が診察の手を止めて朋輩を振り仰いだ。聞き終えた方は、床を蹴って走り出していた。


「誰か、薬師を。

 薬師の手配をしてくれ」

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