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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十二章
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帰還の代償3

 突拍子も無い奇声が上がった。

 小馬車の影から誰かが躍り出てくるのが、全員の視界に収まった。

 オレンジルが安堵したような表情を作った。

 まだ、味方がいたのだ。


 身を潜めていた馬車の御者が、逆転劇を目の当たりにして腰を抜かしたが、自分にも課されるであろう罪と罰について思い至り、恐怖に襲われたのである。


 男は短刀を引き抜いており、不格好な構えのまま、ランスフリートめがけて走り出した。


 意表をつかれ、思わず棒立ちになった。

 が、不意を打たれたのはダディストリガも同様ながら、彼は剣士らしく鋭い反応を見せた。


 従弟へ咄嗟に体当たりして、我が身と盾と代えたのである。

 御者が突き出した短刀は、若い武人の体躯まで達した。

 右肋骨の下あたりに、刀身の半分ばかりが吸いこまれた。


 賊の腕を掴み上げている態勢では、柔剣を振るって防御するゆとりが無かった。

 刺された瞬間、ダディストリガは呻いて片膝をついた。


「ダディストリガッ」


 ランスフリートは絶叫した。

 その叫びを合図としたかのように、従兄は長身を折って石畳に崩れた。

 オレンジルはまろび逃げ、這いつくばった姿勢で異様な笑声をたてた。



 事態が悪化の方向に急転したと知り、ティプテは両手で顔を覆って神に救いを求めつつ、鳴咽を漏らしていた。

 オレンジルは彼女へ這い寄った。よろめきながら立ちあがったと同時に、使い慣れない左手で少女の腕をとり、連れ去ろうと試みる。


「ランスフリート、女をもらうぞ」

「オレンジル――ティプテッ」


 ランスフリートは、従兄を刺した御者を殴り倒したところであった。

 愕然がくぜんと立ちすくんだ彼を、オレンジルは恋人を盾に取った恰好で威圧した。


「動くな。

 一歩でも動いてみろ、女をくびり殺してやるぞ」


 自由になる残された腕を、少女の細い首に巻きつかせ、転倒した配下をしきりにちらちら見やっている。

 御者が回復するのを待っているようだった。

 ランスフリートは、自分が殴った男が足元で苦しげに呻いている様子を見、立ち上がってくれるなと念じた。


 この男が再び動けるようになれば、オレンジルは自らに代わって事を遂げよと命じるに違いないのだ。

 どうにも行動しかねているランスフリートへ、オレンジルの憎悪に満ちた嘲笑が叩きつけられた。


「残念ながら、救援の増員は無さそうだな。

 ざまは無いな、どら息子めが。


 我が身の不甲斐無さを存分に味わって死ね。

 なに、死んだ方が幸福というものだぞ、どうせ全員仲良く神の国行きだ」


「きさま……」


「それとも、こんなざまになっても、人生に執着するか。

 命の恩人も女も死んで、おまえだけが生き残る。

 それも一興だな。さぞ、王座の座り心地は良かろうよ」


 圧倒的優位に立っていると信じたオレンジルが勝ち誇った瞬間。

 ティプテが信じ難い行動に出た。

 ランスフリートすら目を疑う――敵の手が顔に触れた瞬間、少女は勇敢にも、その親指へ噛みついたのである。

 白い歯が、男の指の付け根に深々と食い込んだ。

 ぷっくりとした彼女の唇を赤く染めながら、血が滴って石畳に落ちた。


「こ、この女」


 オレンジルは、刺された方の腕を痛みも忘れたように振り上げ、ティプテの頭上へ拳を何発も見舞った。

 さらに華奢な体を、力任せに前方へ突き飛ばした。

 激昂にかられて、思わずそうしてしまったのだろう。


 ランスフリートは、倒れた恋人へ駈け寄り、同時に幸運を発見した。

 立腹の極みにあるオレンジルは、自分の行動の意味を理解していないと見えた。。


「必ず殺してやるからな」

「ティプテ、おまえ……」


 怒りを振りまく男は無視して、ランスフリートは少女を助け起こした。


「何て無茶を」

「わたし、何でも出来ますわ」


 激痛に耐えつつ、ティプテは笑った。


「あなたのためなら、何でも出来ます」

「やっと、二人揃ったか。

 さんざん手を焼かせてくれおって」


 非情な声に、恋人達は身をすくませた。

 すぐ近くに、くじけぬ闘志を満身から溢れさせた男が来ていた。

 手に短刀こそ無かったが、代わりに小さく畳んだ紙があった。


「まとめて八つ裂きにでもしてやりたいところだが、大目に見てやる。

 ほんの少量吸えば、楽に神の国へ直行できるぞ、ありがたく思って慈悲を受けるがいい」


「毒粉か」

「血を流して欲しかったのだがな、この際はやむを得ぬ」


 オレンジルは苦心しながら紙袋を開いた。

 標的二人の頭上へ振りかける積もりなのだろう。


 だが、手の不自由さが、この不慣れな刺客に災いした。

 ランスフリートはもたつきを看過しなかった。

 何食わぬ顔で手に入れた幸運、すなわち、取り落とされたまま顧みられなかった短刀を握りしめ、オレンジルへ飛びかかったのである。


 激しい抵抗は無かった。

 気づいた相手は、大慌てで逃げようとしたが足をもつれさせ、両手を激しく振り回しながら、前のめりに転倒していった。

 ランスフリートは夢中で一突きを繰り出した。


 心からの絶望にかられた悲鳴がほとばしった。

 倒れ込んだオレンジルは、下腹部を抱え込み、七転八倒して助けを求めている。

 

 躊躇わずに見放して、ティプテを連れ、ダディストリガの元へ急いだ。

 従兄は胸の負傷に一人で耐えていた。


「しっかりしろ、ダディストリガ」

「まだ、死んではおらぬ」


 ダディストリガは抑揚に欠ける声で呼びかけに応じた。

 顔から血の気が引いているのが、夜目にも分かる。

 ランスフリートは従兄の胸に刺さっている短刀を抜こうとしかけたが、手を払いのけられた。


 負傷者は、むやみに抜けば出血が余計に激しくなると、目で訴えていた。

 ランスフリートは察してすぐ手を引っ込め、抱き上げにかかった。

 今度も拒まれた。


「無用だ。おれは女人ではない」

「意地を張っている場合か」

「自分の腕力を考えろ。

 肩だけ貸してくれればいい」


 もっともな指摘をして、短刀を胸に突き立てたまま、自ら立ち上がる彼であった。

 超人的な剛毅さに、ランスフリートは要請通り肩を貸しながら、改めて従兄を畏敬した。

 

 圧倒されてばかりもいられない。

 ようやく頭を振りながら、上半身を起こした御者を脅しつけて、負傷者を馬車まで運ぶ手伝いをさせ


「大至急、王都へ戻れ」


 厳しく命じた。

 男は、自分のしでかした事の重大さに震え上がる暇も無く、大慌てで御者座に飛び乗った。

 馬車が急転回する。

 哀れにも、オレンジルはこの場に取り残された。が、誰も思い出しもしなかった。


 座席に従兄の長身を横たえさせたランスフリートは、上着を脱いで傷口をくるみ、全身を使って少しでも苦痛に耐えやすいよう、その逞しい体を固定した。


「少しの辛抱だ。

 すぐ医師を呼ぶ。がんばれ」

「……自宅へ」


 聞き取りにくいかすれ声で、ダディストリガは要望を口にした。


「自宅へ……おれの副官を呼んでおいてくれ」

「判った。

 判ったから動くな。出血が酷くなる」

 

 車内の揺れは大きく、しかも断続していた。

 何度も座席から放り出されそうになり、その度に負傷者の右胸から血が溢れ出てくる。

 従兄は固く目を閉じ、呼吸も荒いながら、苦痛を訴える声は一言も発さなかった。


「がんばれ、もうすぐ帰れる。

 奥方が待っているぞ。

 ジュリシアどのと会わずに死んでいいのか。耐えてくれ」


 ランスフリートは盛んに声をかけている。

 ダディストリガの反応は薄い。

 呼吸もだんだんと浅くなってきている。

 急に咳き込み、血を吐く。


「ダディストリガッ。

 もう少しだ、自宅までもう少しなんだっ。

 死ぬな、がんばってくれ」


 呼びかけに熱中している彼は、だから。

 恋人が無言で、苦しげに座席へもたれかかっている事には、注意を向けなかった。

 馬車は、南下して行く。

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