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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十二章
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帰還の代償2

 北へ伸びる直線路を、黒鹿毛の馬がひた駆けて行く。

 蹄が石畳を掻くたびに地響きが轟き、若い男の駿馬を励ます声がそれに覆い被さる。鞍上にはダディストリガの姿があった。


 王城西門を強引に出奔して行ったという小馬車を求めて、彼は胸中火を噴かんばかりに焦りつつ鞭を上げ、駿馬を叱咤していた。


 声にも表情にも焦燥感が濃厚に滲んでいる。

 逃亡者たちが王都と市外を隔てる都市正門まで辿りついているか否か、出来るなら門に達するより早く馬車を捕捉したいのだ。


 ひとつには、正門を守る都市警備隊を信用しきれないという事情があった。

 ダディストリガとしては「衛士が門を開くまい」とは楽観しかねるのである。


(あいつが一人で計画実行したとは思えぬ。

 必ず手引きした者がいる。恐らく正門を通り抜ける策も講じていよう)


 いかに当家の権勢が強いといっても、宮廷に反対勢力は存在する。

 そして国内行政の責任者が、その筆頭だった。


 この事実が、今は途方も無く重い。

 軍務に属する王国十二師団に対しては、確かに当一門は影響力を持っている。しかし、都市警備隊は軍隊ではなく行政部門の組織なのだ。


 衛士に内務卿バースエルム剣爵の息がかかっていないとは言い切れない。

 手引きした者がいたとして、それが敵対勢力の関係であれば、自陣営に与する警備隊が守る門を当然に選ぶであろう。


 現時点では、推測の域を出ないが、ダディストリガは国王子息失踪事件に政敵が一切関与していないとは、少しも考えていなかった。


 仮に、運良く道理を弁えた責任者が門を守っていたとしても、不祥事が宮廷内外に広く知られる事態は避け難い。


 現体制の致命傷とまではなるまいが、後々まで深刻な禍根をひきずる可能性は充分ある。

 だからこそ、焦りが募るのだ。


 王都を貫く七つの目抜き通りは、市外へ出るとやがて各地方都市に至る街道へ合流してゆく。

 逃避路が複数に分かれてしまえば、追跡はほぼ不可能となる。


 秘密保持の目的も含めて、発見が容易な一本道を進んでいる間に、何としても馬車を捕捉せねばならないのだった。


 既に日が落ちて、街路には光源らしい光源も無く、条件は追跡者にとってまことに悪い。

 だが、諦めるわけにはいかない。


 ダディストリガは奥歯を砕くほどに強く噛みしめた。

 身を叩く逆風は、骨の髄まで凍りつかせるように冷たい。風防もつけずに走り出したため、外気にさらされている素顔は、寒さのせいで青黒くなっていた。


(早まるな、ランスフリートッ。

 おまえの想いがそこまでのものなら、大父さまに御認め頂けるよう、おれも手を貸そう。

 だから、早まるなっ)


 従弟の身を案じる思いが、この巌を思わせる青年剣将をして半狂乱寸前まで昂ぶらせていた。

 宮廷内における権力闘争とは別に、出奔したランスフリート自身を待ち受けるであろう、悲惨な運命もまた懸念に値するのである。


 金銭を持ち歩くどころか、自ら使う機会とも無縁に過ごしてきた貴族の男が、自力で暮らして行けるはずはない。


 まして年若い尼僧を連れている。当人すら危ぶまれるのに、どうやって恋人まで養うというのか。

 二人とも、行き倒れるのが目に見えている。


 餓死は免れても、性質の悪い人買いにたぶらかされる、さらに悪くして他国の間諜に身柄を拘束される、等々。


 危険はいくらでも考えられ、底を知らない。

 左右の風景が、徐々に都市らしさを失い始めてきた。


 中心街から推定で、四馬歩(約四キロ)は離れたと思わしい。

 ダディストリガは舌打ちし、忌々し気に顔をしかめた。


 大通りが三叉路にさしかかる、と思い当たったのである。

 円冠の王都タステリクは貿易立国たるダリアスライスの首都であり、他の都市と違って流通に配慮がなされている。


 すなわち、王都防衛の観点から道幅をあまり広くとらない代わりに、荷馬車の渋滞を緩和するため、迂回路を充実させているのだった。

 三叉路もその整備の一環で、小馬車がそこまで到達した時、希望は暗転して絶望へと豹変する。


「間に合えッ」


 我知らず大声を張り上げる彼だった。

 馬車が三叉のいずれかを選んで立ち去る前に追いつかねばと、冷や汗もろとも手綱を握り、目を凝らす。


 前方の一角が視界に入ってきた瞬間、彼はあっと息をのんだ。

 いつの間にか雲が遮り始めて、半ば翳ってはいながらも、まだ月明かりが夜道を照らしている。


 あえかな光の下、宵闇とは違う黒い固まりが一ヶ所にわだかまっているのが、暗い視界に慣れてきた目に映ったのである。


 紛れもない、路肩に停められている小馬車の車影であった。

 ダディストリガは勇んで黒鹿毛を追い出しにかかった。

 若駒が泡を吹き散らした。



 ランスフリートは若い刺客の手首を掴み、押し出されてくる力を受け止めていた。

 彼らは抱き合うようにして激しく揉み合い、争った。


 ティプテは両手を胸の位置で組むとその場に硬直した。

 青ざめた表情が恐怖にひきつっている。


 ランスフリートは、彼女が立ちすくんでいるようすを横目で見


「何をしているッ。行け、早くっ」


 オレンジルを食い止めながら叱った。

 ティプテは我に返ったが、逃げようとはしないで四方に向かい


「誰か、お願い。

 ランスフリートさまを助けて」


 救いを求めた。

 オレンジルが嘲りがましい微笑を浮かべる。


 無人の周辺に救援を要請したところで、応じる者などおらぬ――いや。

 突然。


 石畳を叩く蹄の音が場に乱入し、続いて若い男の厳しく馬を追うかけ声が響き渡った。

 三人とも驚きの声をあげた。


 黒鹿毛の馬が来る。

 こちらに駆けて来る。

 白い軍服姿の武人を乗せた駿馬が、最後の力を振り絞って、頭から突入して来るところであった。


「ダディストリガ」

「ティエトマールッ」


 ランスフリートの驚喜と、オレンジルの絶望がかみ合わさった二種類の声が、馬上の武者の名を呼んだ。

 二人の男が同時に叫んだ名の主は、鞍つぼから跳ね飛んで地面を踏みしめた。


 ダディストリガ・バリアレオン。彼は、間に合ったのだ。 


「何をするか、曲者ッ」


 雄々しい大喝がとんで、ランスフリートとオレンジルの耳をつんざいた。

 日頃はただ疎ましい従兄の怒号が、この度ばかりはこの上なく頼もしい。反対に、オレンジルにとっては、不吉を運ぶ魔神の咆哮も同然であったろう。


 途端に及び腰となった。そこへ、若い剣士が躍り込んで来た。


「きさまが、国王御子息誘拐犯か」


 怒鳴りざま柔剣を舞わせて、刺客の手にあった凶器の刀身を横殴りに払った。

 今度は、剣の扱いに慣れ、鍛え抜いた鋼の剛躯を有する現役武官が相手である。


 バースエルム家末流に過ぎない平貴族の若者に、よく敵し得るはずはなく、彼は泡を食って飛び下がった。

 短刀を取り落とさなかったのは、むしろ上出来だったであろう。


 逃げ腰にはなったが、しかしオレンジルは短刀を構え直した。

 まだ諦める積もりは無いと見えるその姿を、ダディストリガは沈着剛毅な態度で軽く睨んだ。


 一個の師団を率いる男の眼で見る限り、この暗殺者は玄人とは思われず、荒事に慣れている印象ともかけ離れている。

 ダディストリガは柔剣の切っ先を下に向け、薄く笑った。


「来るか。よかろう、受けて立つ」

「う――うわ」


 寸分の隙も伺えぬ構えだけで、オレンジルは嫌というほど圧倒された。

 ランスフリートとは鍛え方が違う本物の武人を攻めあぐね、しばらく恐慌した様子で体を震わせていた若い刺客は、やがていたずらに時を浪費してもいられないと思い返したものか、昂ぶった奇声を再び発した。


 気合とも悲鳴ともつかない、自分の叫びに刺激されたかのように、腕をでたらめに振り回しつつ突撃して行く。

 ダディストリガには、従弟とその恋人を背後に庇う余裕がある。


「下がっていろ。ランスフリート」


 冷静に指示すると、異様な喚き声を放って暴れ込んで来た相手をあしらいにかかった。

 斬り合うまでもない。軽く身をかわして、柔剣をはね上げるだけでよかった。


 切っ先は、正確無比にオレンジルの右腕を刺し通した。

 バースエルム家の繁栄を担った青年は、しめられた鷄のような悲鳴とともに短刀を放り投げ、血まみれの腕を押さえて、そこらじゅうを転げまわった。

 ダディストリガは、見苦しいと言いたげに顔をしかめながら、オレンジルの胸元を無造作に掴み上げた。


「騒ぐな、痴れ者。

 死にはせぬ」

「ダディストリガ」


 ランスフリートは、ティプテを労わりながら、危急を救ってくれた従兄に駆け寄った。

 無事かと問われ、何度も頷いた。


「ありがとう。よく来てくれた」


 ランスフリートが満腔の感謝を捧げると、ティプテも倣った。

 彼女は恋人の背後から飛び出して来、躊躇しないでダディストリガの足元へ身を投げた。


「ランスフリートさまをお助けくださいまして、ありがとうございました。

 あなたさまの頭上において、ユピテア大神並びに戦いと炎の(ガストリウス)神の恩寵が、幾久しく輝き渡りますように」


 尼僧らしい祈りの言葉を用いて謝意を表す。頬は喜びの涙で濡れていた。

 ダディストリガは、少々罰の悪そうな表情である。


「礼など要らぬ。

 それより、危ないから女人は下がっていなさい。

 この痴れ者が、まだ何をしでかすかわからぬ」


 彼は、弱々しくもがいているオレンジルを睨みつけた。

 腕をとられ、恃みの短刀も取り落として、利き腕に至っては深手を負った刺客としては、もはや呪いの言葉を吐き散らすくらいしか、出来る事は無いと思われた。


 ひたすら自分に幸運を授けなかった大神の無能を弾劾し、念願成就目前で邪魔した剣士を非難した。ついでに、傷の痛みにも悪態をついて。

 その瞬間。

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