王太子親征5
エルンチェア王国において、東のグライアス王国との開戦は決定された。
一日、宮廷内にも首都にも布令が出され、他の地方都市にも連絡の早馬が放たれた。
王太子が自ら出馬する。親征である。
彼が率いる軍には、副将としてパトリアルスも同行すると発表された時、冷静さを失う人々が続出した。
アローマ内務卿の令嬢であるサラディーネも、その一人だった。
噂を耳にして父を問い詰め、事実だと理解した途端に酷く取り乱し、その夜は食事にも手を付けなかった。
朝になって、彼女は手紙を書いた。
内容はたいへん簡潔に、会いたいとだけである。
昼を過ぎた頃、親王から返事が来た。
招待状の形式で、親王邸にて古詩朗読会を開催する、ついては出席を求める、というものだ。
もっとも、実際に会えるのは翌日の昼下がりだが。
親王は親王で、許可を得るのに手間をかけなければならない。思いついたから側に寄せるというわけにはいかないのだった。
王族の行動は自由が認められてるわけではなく、典礼庁を通じて王に裁可を請わねばならない場合が多い。
その王の意向で、とんでもない目に遭わされている者もいる。
「いい加減にしろ、何だあの女どもはっ」
親王の手続きを捌く最中、典礼庁には何と、王太子が乗り込んで来た。
ジークシルトは役人の長である典礼卿の執務室に、文字通り怒鳴り込んだのだった。
「このところ、毎晩毎晩、見も知らぬ女がおれの屋敷に押しかけてくる。
何事だ、どういう事だ。
典礼卿が知らぬは、まさか通らんぞッ」
「はい、殿下。
陛下の御下命にございます」
若主君の憤慨に、役所の責任者は慌てず騒がず、ゆったりとした口調で応じた。
ジークシルトは一瞬、目を見開いて沈黙した。明らかに意外そうな様子で、典礼卿は
「話が通っていなかったのだな」
見当をつけた。
ややあって、衝撃から立ち直ったらしい彼は
「陛下の御下命……おれの屋敷に女が押しかけてくる事が、か」
少ししどろもどろになって問い直した。典礼卿は真顔で首肯した。
「陛下にあらせられては、王太子殿下の御枕席に婦人が足りないゆえ、しかるべき子女を選んで派遣するようにとの仰せでございます。
殿下は、お聞きにおわさぬので」
「知らん」
ジークシルトも真顔である。
「そんな話、聞いてはおらんぞ」
「臣は、ツァリース大剣将閣下よりお申し付けを賜りましたが」
「何だとっ。
あの節介焼きめが、今度は女かっ」
たちまち怒髪が天を突く。彼はもう典礼卿に用は無いとばかりに話を打ち切り、即座に踵を返した。
恐らく、筆頭傅役のところへ苦情をねじ込みに行くのであろう。
兄弟でも、片や恋人との逢瀬に苦心惨憺し、片や女性の来訪に腹を立てる。
随分な違いだと、一方的にまくしたてられた挙句に一顧だにされなくなった典礼卿は、ため息をついた。
ジークシルトに付き従うダオカルヤンは、目まぐるしくあっちだこっちだと文句を言いに走り回る若主君に、いささか辟易している。
「殿下、あまりよく判らないのですが、女がどうしました」
「おれもさっぱり判らん。
この四日ばかり、何だか知らんが、とにかく女が屋敷に来るのだ。
片っ端から追い返させているが、きりがない。
典礼庁が一枚かんでいるに相違ないと思ったのだがな、父上が黒幕だったとは」
「いやそれは、陛下の御意向だとしか思われませんが」
「いったい何のためだ。
おれはこれから出陣する。ついでに言えば、婚約者とやらが南東にいるらしいぞ。
今、知らん女に何の用があるのだ」
「ええっ」
乗っている移動用の小馬車全体に響く程の大声で、ダオカルヤンは驚いた。
ジークシルトは大いに真面目で
「何で驚く」
臣下に仰天された事が、納得いかないらしい。不機嫌な顔をした。
「意味が判らんぞ。
今この時期に、女を側に寄せるのは何のためだ」
「それはもちろん、男子を得るためでございましょう」
「今日の明日で、男児が生まれるのか」
「いえ、そんな事はありません」
「だったら、何で今だ」
根本から噛み合わない。ダオカルヤンは困り果てた。
「殿下。あのですね。
世の男は、大概は女を求めるものなのです。
古来の習いで、出陣を控える男は、特に望んで女を身辺へ寄せます」
「古来の習いだと。
何の目的だ、戦の前に女を側へ寄せると、どうなるという。
それとも、あの女どもは神事の心得でもあるのか。
その割には、全員がレオス人だったぞ。シア人の女僧侶ならまだ判るが」
ジークシルトは盛んに首を捻っている。
僧籍の女性が屋敷に派遣されるはずはなく、それなりの家柄で麗妃候補である旨を言い含められた貴族の子女が来ているのは確かであろう。
気の毒な彼女達が、王太子の戦勝を神に祈る儀式を執り行うような知識を、教養として身につけた上で送り出されているとは、どうにも考えられないのだ。
当然の事で、ダオカルヤンからすれば、そういう発想になる事自体がそれこそ考えられない。
仕方なく、腹を括った。
「いえ、そうではなくて。
ええと……つまり。
殿下、よくお聞きください」
臣下にとっては、とんだ教育の役回りを引き受ける事態になったものだ。
さんざん苦労して、馬車を降りる頃には、ようやく理屈だけは王子に納得させるに至った。
「面倒だな」
一通りの話を聞き終えたジークシルトの感想である。
ダオカルヤンは疲労困憊で主に続き
(大剣将閣下、そういうお話は早めになさっておいてください。
何でおれが)
ひっそり頭を抱えた。
老傅役に、気が済むまで噛みついて
「女は要らん。父上にもお気遣い無くと申し上げておけ。
何度来させようと同じ事だ、一人残らず追い返す。時間の無駄だぞ」
言い捨てるように命じてから、ジークシルトは親王邸に足を向けた。
弟は謹慎が解かれ、しかも国境への同行も認められている。遠慮は不要といったところだ。
屋敷はそこはかとなく騒然としており、広間では下働きの者達が忙しげに円卓を置き、ジークシルトには意味不明な飾りをあちこちに取り付けている。
パトリアルスに尋ねたところ
「明日、詩の朗読会を開催するのです。
わたしも一応は、文芸総監の役職を賜っている身です。
職務として、貴族間の親睦を図るため、定期的に会を主催しているのですが、これから暫くは難しいでしょうから」
「そうか、熱心だな。
見たところ、花だらけだが、朗読会とやらはこんなに飾らなければならないものなのか」
「それはその……若い婦人もお招きするので」
やや意外な返答だった。
先程の話と重ねてみると、弟は「出陣前の儀式」とかいうところまで、計画しているのだろうか。そう思えて来た。
「これはどうも、考えを変えねばならんようだな」
「は」
パトリアルスには、兄の独り言の意味はもちろん分からない。面食らって目を瞬かせた。
ダオカルヤンは噴き出しそうになった。
誰が何を言おうとも、弟の行動が若主君に考えを変えさせる一番の決め手になるらしい。
「何の事でしょうか」
「いやいい。こちらの事だ、気にするな。
そうか……そういうものか」
「はあ、兄上が左様に仰せなら。
よろしければ、兄上も御臨席あそばされてはいかがですか」
「いや、せっかくだが、おれは芸術にはとんと不敏だ。
居眠りでもしたら、おまえに恥をかかせるだろう。
忙しいようだ、おれはこれで帰る」
早々に親王邸を退散すると、彼は真顔で幼馴染の臣下を振り返り
「弟の後塵を拝するわけにはいかんな。
ダオカルヤン、おまえ何とかしろ」
「そっ、それがしが、ですか」
「あれだけ怒鳴った手前、やっぱり女を屋敷に来させろとは言えぬわ。
さっき、偉そうに言っていただろう。男子たるもの、馴染みの女の一人か二人は外に置いておくのもたしなみだと。
だったら、おまえに心当たりの女が居るという事ではないか。
何とかしろ」
「それは婚前の話でございます。
今は特に、女を脇に置いてはおりません」
「いいから、何とかしろ」
結局、王太子のわがままを叶えなければならなくなった。
本日はどうやら、ダオカルヤンにとって厄日のようだった。
軍の進発は、十日後である。




