王太子親征3
エルンチェア王太子暗殺未遂事件の発生、実行犯は我が方配下の剣士。
使節団が持ち帰った内容は、ブレステリス宮廷を大いに困惑、更には恐怖させた。
その後の調べは、詳細については伝わっていない。
ただし、例外の人物がいる。
王太子と知己を得た、ゼーヴィスである。
もちろん他に比べれば、という意味でしかないのだが、それでも誰一人として事情に通じていないよりは、遥かに良い。
問題の夜が明けて早々、ゼーヴィスは、エルンチェア宮廷に面談を求めた。
父は、実はなと重々しく前置きしてから
「内々に謝罪を申し入れたところ、御高配を賜った。
殿下の御意は、おまえを使者に立てるのであれば、謁見を許し遣わすとの事だ」
指名があったのだと明かしたのである。
父も意外だったであろうが、名指しされた当人も驚いた。
理由は不明ながら、ともかくも、窮地を脱する光明は見えた。言われた通り、典礼庁から遣わされたという若い黒髪の青年役人へ申し出ると、ほどなく、第二謁見室へ呼ばれた。
室内に通されたと思う暇もなく、ジークシルトが足早に現れて、ゼーヴィスを見るなり
「おぬしとは、言葉を交わしてみたいと思っていたのだ。
このような案配になるとは、予想外だったがな」
破顔したのだった。
予想外と言うのなら、指名を受けた事、屈託の無い笑顔を見せられている事、全てがゼーヴィスにとっては予想外も甚だしく、思い返すたびに冷や汗がにじんでくる。
礼を失さないように心がけるのが精いっぱいで、同行の周囲から宮廷向けの口上を、あれこれ入れ知恵されて来たのだが、頭を下げた拍子にすっかり忘れる始末だった。
「この度は、誠に申し訳ございませんでした」
簡潔な詫びに、ジークシルトはいっそ感銘を受けたらしい。
「ほう、弁解は無しか。潔いな」
微笑したまま深く頷き、身辺を固める若い武人達を見渡して
「起きた事を無かった事には出来ないが、謝罪は容れよう。
過ぎた事だ、もう良い」
莞爾と言ったものだった。
「ただ、無罪放免は致しかねる。
わたしを襲った者には、まだ聞かねばならぬ事があるゆえ、当面は生かしておくが、帰国を許すはあたわず。
罪は償って貰うぞ」
「御意にございます」
「その方ら、事件に直接の関りが無い者どもには、聞くべき事を聞き終え次第に帰国を差し許す。
滞在中も特に行動を制限する積もりは無い。安心致せ。
後はおって沙汰を待て」
「かしこまりました」
どうやら、上層部が考えた弁解を省略したのが功を奏したらしい。ジークシルトは上機嫌で、使節団一行の無事を保証した。
肩の荷が下りて息をついた時、謁見の首席から
「その方の配下であろう、件の男、毒を携帯していた。
もっとも当人は、毒だとは思っていなかったようだがな。
ロギーマどのは知りおいたか」
質問が下された。
「いえ、存じ奉らず。ただいま初めて耳に致しました」
「そうか。
あの男が申すには、南方渡りの秘薬であって、飲めば真に迫った死人の振りが出来ると聞いていたそうな。
失敗の折には速やかに服用し、死者を装えとの指示だったという。
死人であれば国元に返されるゆえ、無事に逃げおおせられると。真面目に語ったとな」
「……恥じ入る次第でございます」
さすがに赤面を禁じ得ないゼーヴィスだった。
王太子の周辺から、あきれたような笑声がわいた。
特によく響いた声の主らしい若者が肩をすくめていた。
「戯言を真に受けるとは、ブレステリスの剣士は、なかなかに純真な気質と見えますな。
そんな都合の良い薬、あるはずなかろうに」
「いやまったく。
返す言葉もございません」
「グライアスに見下されているのは歴然。
貴君、そのあたりについては、若干の考慮が必要と思われる。
あまり東に肩入れするのは、どうかと」
「そうだな、我が陛下に倣い奉って、考えねばなるまい。
その方にはしかと申し付ける。
話が出来る者を選んで、報告致せ」
王太子主従が暗に言わんとしていたところは、ゼ―ヴィスには充分に理解が及んだ。
グライアスとの間にいかなる約束があったとしても黙殺せよ、今なら間に合う、との意であろう。
軽口の中に潜んでいた忠告には、更に敷衍して祖国に対しての安全保証も織り込まれていると見るべきだった。
「誠にありがたき御言葉、かたじけなく存じ奉ります。
必ずや、我が宮廷に奏上仕りましょう。
殿下に一方ならぬ御高配を賜りました段、決して無駄に致しませぬ」
「宜しい。
用は済んだ、下がれ」
ジークシルトは、自分の意図が正しく伝わったと見做したらしい。静かに頷いて、退席を命じて来た。
薄く微笑していたと、ゼ―ヴィスは記憶している。
帰国の際、あの大声の主は王太子の元修学仕で、現在も一番の気に入りのダオカルヤンという側近だと知った。
父にまでは順調に話が通ったが、しかし。
そこから先が問題だった。
特にグライアスとの手切れは、一部から酷く顰蹙を買ったようで、帰国から二日も立たないうちに
「出仕に及ばず」
自宅待機を命ぜられてしまった。
父が驚き、また怒りも露わにして
「使節団が無事に帰国の運びに至ったのは、憚りながら、息子の功績によるところが大きい。
息子が殿下に知己を賜り、親しく拝謁の栄に浴したからこそである。
それがなんで、出仕に及ばずと高飛車な物言いを受けねばならんのか」
抗議してくれたと聞いたが、東に傾いている一派が思った以上に多数だったらしい。
この頃は、父まで宮廷から遠ざけられたようだ。
エルンチェア滞在時、密かに心配していたグライアスの当宮廷への浸透は、かなり根深いのだろう。
自宅の居間で、ゼ―ヴィスは憂慮していた。
足元には、一人息子が座り込んでいる。
三歳の幼児には、日ごろ多忙であまり姿を見ない父が終日居間にいる事が、嬉しくてたまらないらしい。
木のおもちゃを持ち出してきて、父を見上げつつ、楽しそうに遊んでいる。
愛称をコーリィという、ゼ―ヴィスにとっては命にも等しい幼児だった。
しかし、一緒に遊ぶわけにはいかなかった。
来客を待っているのである。
気をまわした妻が近づいてきて
「コーリィ。
父上はお忙しいの。こちらにいらっしゃい」
小さな体を抱き上げた。途端に泣き声が上がった。
体をよじって必死に抵抗している。救いを求めるように、幼い両腕が伸ばされて来た。
ゼーヴィスは笑って立ち上がり、泣いて嫌がる息子の頭を優しく撫でながら
「母上のところで遊んでおいで。
いい子に待っていたら、後で外遊びしてあげよう」
穏やかな口調で言い聞かせた。妻と目が合った。
「甘いかな」
「たまには宜しうございましょう。
良かったわね、コーリィ。父上は、お外でお遊びして下さいますよ。いい子にしていらっしゃい」
宥められ、幼児は何とか泣き止んだ。
程なく、来客が告げられた。
自宅待機は、謹慎よりは軽いものの宮廷人にはそこそこ厳しい。
外出は制限されており、許可無しに出歩けるのは自宅の庭くらいで、来客も実は遠慮しなければならない。
そこを推して現れたのは、ゼ―ヴィスよりも身分が高い初老の貴族だった。
名をキルーツ剣爵という。王族である。
もっと言えば、エルンチェアの王后クレスティルテから見て従兄にあたる人物だった。
やむを得ないとはいえ、ゼ―ヴィスは居間に迎えた時、恐縮して深く頭を下げた。
「本来であれば、わたくしが出向かねばならぬのに、御足労をおかけ申し上げました」
「構わんよ。処分を受けた貴君を呼びつける程、わたしも度胸がある方ではない」
気さくな人柄なのだろう。冗談めかして姿勢を楽にするよう勧めるキルーツだった。
とはいえ、すぐに表情を引き締めた。
二人で向かい合い、互いの深刻げな表情を見やる。
決して、雑談のために席を設けたわけではない。
しばらく、沈黙が続いた。




