王太子親征1
パトリアルスの謹慎は、王太子による東国境遠征に同行し、司令官補佐を行う条件で解かれた。
兄に従って父王の執務室を訪れた彼は、緊張して直々の下命を受けたものである。
バロート王は次男を下がらせず、ジークシルトに従わせたまま、打ち合わせを始めた。
「東国境への出立、遠征にまつわる取り仕切りはそなたに一任する。
望むように致せ」
「ありがとう存じます、陛下」
「明日には、グライアスにも我が親書が届くであろう。
きゃつらが戦の支度を始めるより先に、当方は国境に陣取って万全を期すべし」
宣戦布告である。
王の決定は、当事国を含む南北両圏の全国家へ送付されていた。
パトリアルスの喉がごくりと音を立てた。
今、十三諸王国時代が始まって以来、初となる国家間の全面戦争が起きようとしている。
口火を切るのは、祖国なのだった。
王も王太子も、平然としている。彼らは、戦について思いを馳せるのではなく、極めて実際的に
「ラインテリアから、薪の新規取引について打診があった」
「早速の動き、彼らもどうして、目ざといものです。
して、ダリアスライスはどのように申しておりますか」
「今のところ、何も言って来てはおらんな」
違う話題を討議し始めていた。パトリアルスは口出しを控え、というより意見を出せる立場ではなく、謹んで拝聴するしかない。
バロートは、ジークシルトだけを真っすぐ見ている。
「好ましいとは思っておらぬ」
「同感です。
南方圏の事情からすれば、ダリアスライスを抜きにして、話が円滑に進むとは考え難いところ。
ラインテリアが彼らに対して、事前の了解を求めずに動いているとしたら、当方も軽率に飛びつくわけにはゆきませぬ」
「予も、それを気にしておる。
ラインテリアの薪供給能力をあてにして計画をたててから、ダリアスライスに口を出されて、話を無かった事にされてはな。
ヴェールトを頼みきれぬ現状では、ちと痛い。
さりとて、我らがダリアスライスに了承を求めるのは、筋違いというものだ。あくまで、ラインテリアに任せるべきであろう」
「はい。
先方は、どのような態度でおりますか」
「曖昧だな。同意を得ているとも、そうではないともとれる。
その点を明らかせぬうちは、話し合いにはならぬと申し付けて、この度は下がらせたがな。さて、今後どう出てくるか。
さしあたりは塩の産出を抑えて、薪も備蓄量で間に合わせる予定でおるが、あまり時間の猶予は無い。
考えねばならんな」
父と兄の対話を、パトリアリスは初めて間近に見、胸が焼けるような焦燥感を覚えていた。
(兄上は、いつもこのような緊張感に耐えておられるのか。
わたしには真似は出来ない)
傍らに控えて話を聞いているだけでも、手のひらに汗が滲んでくるのである。
バロートの視線を兄が一身に受けている事が、パトリアルスにはまことに有難かった。
「ダリアスライスと申せば」
ジークシルトは、時々弟を見やりながら、会話を進めている。
「かの国の王太子は決まっておりますのでしょうか。
風聞によれば、正式には未だ冊立されておらぬとか。
そこら辺りで躓いて、ラインテリアの独走に手が回らぬという事態も考えられます」
「うむ。確か、二十四か五か、成人男子が居たな。
太子に立ったとの知らせは入っておらぬ。
ランス、何だったかな。ランス……おお、そうだ、ランスフリートだ。
宮廷の最大派閥とかいう、有力貴族の筋だったはずだ」
「ランスフリート」
ジークシルトは、興味深そうに南方の若者の名を口にした。
彼は、ランスフリートが彼の噂を知っているのと正反対で、その青年を知らなかった。ようやく名を知ったのである。
「どういう男ですか。何か特技は」
「特に無いようだな。そなたには敵わぬであろうよ。
先方に送った間者の報告では、身分卑しい女に骨抜きにされて、臣下からも誹られておるとか」
「つまらん男ですな」
一瞬で、期待は失望に変わったらしい。
父王も深く頷いた。
「まったくだ。
これなら、パトリアルスの方が、まだしも見どころがあるわ」
全く突然に、矛先が向いた。パトリアルスは仰天して、正直に狼狽した。
ジークシルトが
「ばか、落ち着け」
とでも言いたげに、振り返りざま鋭い視線をなげてきた。バロートは低く笑った。
「のう、パトリアルス。
そなたは古詩に通じており、芸術における知見も、母の薫陶宜しきを得て、我が宮廷で随一と評判だ。
ランス何やら申す放蕩者よりも、余程ダリアスライスの王にふさわしかろう」
「ち、父上」
「しくじったものよ。
南に生まれておれば、な」
意味深な言葉で二人の実子をまとめて絶句させ、父は対話を終えた。
グライアスにとっては、あってはならない状況の悪化だった。
親書と称したその実は宣戦布告を、クラムシルト王は憤怒の形相で握り潰したものである。
ブレステリスの下級剣士を抱き込み、エルンチェア王太子襲撃事件を起こした。
事の正否は問題ではなく、開戦の口実さえ手に入れればそれでよかった。
だが、事態は予想を超えていた。
「返り討ちだとっ」
信じ難い失敗の報告を聞いて、さすがに開いた口が塞がらなかった。
まさか王太子ともあろう立場の者が、進んで危険に身を晒し、自らの手で襲撃犯を取り押さえるなどとは、想像出来るはずもない。
弟との仲は比類なく良好で、その申し条であれば多少の無理であっても容れる旨、親王周辺からの情報に基づいて立てた計画が、看破の挙句に逆用までされたという。
更に、先方から開戦の通知を受け取る羽目になっている。
計算違いにも程があろう。
今となってはどうしようもない。後は可及的速やかに戦争準備を終え、エルンチェア軍勢を国境で迎え撃ち、撃破する事。他には無かった。
事情はグライアス宮廷にも知らされ、軍の編成に対して檄が飛んだ。
一日。
最速の出撃が可能な師団を選抜する際、王から直々に内意を受けた青年が居た。
当年二十五歳、気鋭の若手将校としてクラムシルトにも目をかけられている。ツィンレー剣将という。
執務室に呼ばれて特に指名され、先陣を承る名誉を素直に喜んだ彼は、その足でとある僚友の元を訪れた。
「――というわけなのです。
ヴォルフローシュどの」
「出陣、おめでとう存じます」
嬉々として語る彼を、問題の僚友、マクダレア・ジーン・ヴォルフローシュは、熱気とは無縁な目で眺め、静かに祝いの口上を述べた。
名が示す通り、女性である。しかも美しい。
執務室に躍り込んで来た同年代の青年将校を、彼女は明らかに歓迎していなかった。
「御武運をお祈り仕ります」
「かたじけない。
ついては、貴官に相談があります」
存在を喜ばれていないとは察していたが、ツィンレーは怯まなかった。
「ぜひとも、わたしと共に西国境へ赴いて頂きたい」
「西国境へ」
マクダレアの美貌が、はっきり色合いを変えた。
初めはいかにも大儀そうに、軍人の礼儀を守る義務感だけで、呼んだ覚えも無い僚友に接していたものが、急激に話題へ関心を抱いたらしい。
挨拶も立ち話のみで、なるべく手短に終わらせようとしていたのを、方針変更したと見える。
「国境」
の一言から、彼女は察したのだ。
ツィンレーは、先陣の誉れを自分と分かち合うべく、申し出ているのだと。
「そういう事でしたら、詳しくお話を伺いましょう。
どうぞ、応接間へ」
まるきり愛想は無かったが、ともかくも、彼を室内の奥へ招き入れた。
向かい合って椅子に腰かけると、ツィンレーは早速
「事情はご存知と思いますので、説明は省略します。
陛下の御下命により、西国境においてエルンチェアを迎撃する旨、まもなく軍令が正式に発令されます。
わたしは、武人の名誉を遂げるにあたり、同行する僚友の選抜を御認め頂きました。
過去の実績から、貴官が適任であると考え、陛下に推挙しようと考えているのです」
切り出した。




