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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十章
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そして月は翳り6

「ティプテさまは大切な方なのです」

「大切とは聞き捨てならんな」


 ランスフリートは、いよいよ剣呑な雰囲気を漂わせた。オレンジルは慌てて両手を振り


「あ、いや。しばらく、しばらく。

 恋情のゆえではございませぬ。ご案じなさいますな、ランスフリートさま。

 そう。贖罪の意味を込めての事と言い直しましょう」


「贖罪。

 贖罪とはまた、大げさな言種いいぐさだな」


「大げさではございません。

 実は、ティプテさまは、我が身内にあたられるお方。


 わたくしにとっては、目上の遠い血縁者でいらっしゃるのです。

 ゆえあって名は明かせませぬが、さる高貴なお家柄に連なるお方です。ご出生にご事情がありまして、長い間ユピテア寺院暮らしを余儀なくされてこられました」


 オレンジルは慎重に言葉を選びつつ説明を始めた。が、その用心は無用ではあった。

 彼は知らなかったのである。それは既に秘密では無くなっている事を。


 事情を耳にした瞬間、ランスフリートはがく然として身を固くした。オレンジルと名乗る男の正体を、否応なく頓悟したのだった。


「何という事だ」

「驚かれるのも無理からぬ事」


 オレンジルは、この王位継承権を持つ若者が何を悟ったのか、気づいていなかった。


「御苦難を察せられたティプテさまの御父上は、お二方の幸福の為に、万難を排して奔走なさいました。

 その結果として、僭越ながらわたしが遣わされたのです。

 お二方に、身を挺して尽くすようにと」


「お父さま」


 彼女の心の中では、まだ見ぬ父は我が身の危険を顧みず、逃避行の道を開いてくれた、優しい信頼すべき愛情の対象なのだった。


「お父さまが仰ったのだそうです。

 今夜にでも、わたし達をこの国から逃がしてあげなさいって」

「ええ。この国におられては、あなた方は結ばれませぬ。

 外国へ身を隠され、新たな地にて仲睦まじく永遠の日をお過ごしになられますように、との事でございます。


 わたしも、一族の長老がそう申すのであれば、身を賭すのに否はございませぬとも。

 悲運のお二方には、ご同情申し上げてもおります。ゆえに参上仕りました」


 オレンジルは一旦言葉を切り、懐から革の小袋を取り出した。


「ここに当座の路銀がございます。

 北へお逃がし致しますゆえ、よろしければ北方圏へ。南方圏の手が伸びえぬ国へ、お渡りなされませ」


「ランスフリートさま。

 わたし、オレンジルさまから教えて頂いたの。あなたが必ず、今夜お迎えに来てくださるから、お外でお待ちになるようにって」


 ティプテの無邪気さに、だがランスフリートは同調しなかった。

 全てを悟ってしまった彼には、出来なかった。


「何たるうかつさだ、ちくしょうッ」

「あのう……どうかなさいましたか」


 オレンジルは路銀の入った小袋を手にしたまま、急に怒り始めた相手をぼう然と見やった。

 ティプテも、恋人の急変に驚いて言葉を継げなくなっている。

 ランスフリートはティプテを両腕にしっかり抱きしめると、厳しくオレンジルを睨みつけた。


「止めろ。

 馬車を止めろ。降りる」

「な、何ですと」


 意外な申し出に、オレンジルは思わず腰を浮かせた。同時に馬車が酷く揺れ、立ち上がりかけた彼はよろめいた。

 ランスフリートは、オレンジルの慌てぶりには頓着せず、馬車の乗降口を塞ぐ扉へ手を伸ばした。


「止めろと言っている。おれたちを降ろせ」

「如何なさったのです、ランスフリートさま。

 こんなところで降りてどうなさるのです。今少しお待ちください、一命に代えても安全な場所までお連れ申しあげますゆえ」


 オレンジルは引き止めたが、ランスフリートは頑として聞かない。

 ティプテは不安そうに、彼の横顔を見上げた。恋人はすこぶる機嫌が悪い。


「ランスフリートさま、どうして急に」

「ティプテさまの仰るとおりです。

 わたしが、何か至らぬ事を申し上げましたか。でしたら、陳謝致します」


「茶番はよせ。

 馬車を止めろと言ったら止めろ、バースエルム一門ッ」


 怒りにかられて、彼は大喝を浴びせた。

 興奮をなだめようと試みていたオレンジルは、ぎくりとして口を閉ざし、表情を歪めた。ティプテは大きな目をさらに大きく見開いた。


「ランスフリートさま、ご存知でいらしたの」

「ああ。

 バースエルム家の者が、おれにそんなに親切なはずはない。信じられるものか。

 馬車を止めないなら、もういい。降りる」


 怒鳴ると、ランスフリートは扉を開けた。

 凄まじい風音がして、突風が吹きこんできた。今どこに居るのか判然としない夜の冷たい気配と砂塵が、ランスフリートとティプテの体を、真横から包み込みにかかった。


「ティプテ、おれにしっかり捕まれ。飛び降りるぞ」

「そうはいくか」


 オレンジルは紳士の仮面を引き剥がした。

 懐から短刀を抜いて、相対する二人の目前へつきつけたのである。


 ティプテは悲鳴をあげた。ランスフリートは動転せず、男の手に握られた鈍い色合いの凶器を凝視した。

 いっそ腑に落ちていた。


「これが狙いか」

「慈悲をくれてやろうというのだ、ありがたく身に受けるがいい。

 どこへ行こうと、待っているのは破滅だぞ。


 ならば、少しでも他人ひとの役にたって死んでゆけたほうがよかろうよ。野垂れ死にするよりはな。

 おい、速度を上げろ。もっと上げるのだ」


 御者はオレンジルの命令に忠実であった。

 馬車は、今まで以上に言語道断な猛速度で走り出した。


 車内は上下左右に攪拌され、開けられた扉も、ばたばたと忙しく開閉を繰り返した。とても立ってなどいられない。


「降りられるものなら降りてみろ。

 地面に叩きつけられて、二人ともぼろきれのようになるのが関の山だぞ」

「……ティプテまで巻き添えにする事はなかろうが」


 ランスフリートは端正な面差しに怒気を宿して、オレンジルを叱った。

 ティプテは恋人の肩にしがみついて嗚咽し始めていた。


 味方だと信じて疑っていなかった男の、手ひどい豹変に打ちのめされて、死の恐怖さえ鳴りを潜めたと見えた。


 その哀れなさまが、いっそうランスフリートを激怒させた。

 ティプテが、どういう経緯の末に騙されたのかは彼には不明だったが、真実がどうであれ怒りの程に変わりはなかったであろう。


 自分が死の瀬戸際に立たされた現実よりも、裏切りに見舞われて恋人を不本意にも窮地に陥らせ、自らも身内の手にかけられようとしている恋人の心痛の方が、彼には何倍も重大なのだった。


「バースエルム家には、卑劣を恥とする意識が無いのか」

「無いな」


 オレンジルはせせら笑った。

 死の運命に肉迫されている男にどう非難されようが、何ら痛痒は感じないと言わんばかりの、余裕に満ちた態度である。


 確かに、ランスフリートがいくら激怒してバースエルム家のやりくちに非を鳴らしたところで、状況は少しも好転しない。


 怒りは怒りとしても、せめてティプテを助けるために策を講じねばならなかった。


「……要は、おれが死ねばよいのだろう」

「まあ、そういう事だ」


「では念願成就に協力してやるから、無関係なティプテは解放してやってくれ」

「ほほう、殊勝な心がけだな」


 短刀をちらつかせながら、オレンジルはさらに嘲笑した。

 ティプテは俄かに泣くのを止め、嫌と大声をあげた。


「だめ、やめて。

 ランスフリートさまを助けて。ティプテの事ならいいの、お願い」


「いいんだ、この上はせめて、君だけでも助かってくれ。

 心配するな、この男が欲しいのはおれの命だけだ。

 そうだろう、オレンジルとやら」


 恋人に対しては優しい笑顔を向けたランスフリートだったが、暗殺者には激しい敵愾心を見せた。


「おぬしとて、おれを殺す事に良心の呵責など感じまいが、身内の若い女性を手にかけるがごとき不名誉は、なるべくなら避けたいだろう。


 ティプテを逃がしてくれれば、黙って殺されてやる。

 胸でも腹でも、好きなところを刺すがいい」 


「悪くない提案だな」


 にやにやと笑いながら、オレンジルは考える振りをした。

 もちろん、そんな話に乗る積もりは、彼には無い。

 バースエルム家の目的を遂げるためには、国王子息と身分低い恋人の心中事件が、ぜひとも必要なのである。


「いいだろう」


 オレンジルは考えを決めた、と見せかけた。


「おれも、血縁者殺しの汚名を着たいとは思わんな。その女は逃がしてやろう。

 ただし条件がある。王都には絶対に戻るなよ。約束出来るか」


「嫌」


 ティプテは断固としていた。自分を騙した男を睨んでいる。


「嫌です、そんなの。お約束できません」

「待ってくれ、ティプテ」


 ランスフリートは、狂おしく叫ぶ恋人の細い肩をきつく抱いた。涙に濡れた頬へ柔らかく口づけて、蜜色の短髪を優しく撫でる。


「聞き分けてくれ。君まで死ぬ事は無いんだ」

「いいえ。絶対に嫌です」


 きっぱり断る彼女の表情に浮かんだ決意の色は濃厚で、無理に解放しても自害しかねない様相を呈していた。


 オレンジルにしてみれば手間が省けるというものだが、ランスフリートにはたまったものではない。


「念を押すが、この子は間違いなく助けてくれるだろうな」

「くどい。いま馬車を止めてやるから、さっさと放り出せ。

 いつまでも愁嘆場を見せつけられてはかなわん」


 面倒くさそうに請け合いながら、若い暗殺者は御者へ合図した。

 馬車は、またしても言語道断な勢いで急停車した。ランスフリートとティプテはもつれ合って扉と反対の方向へ転がり、オレンジルも危うく座席から放り出されかけた。

 ランスフリートは起き上がると、急いで馬車の扉を改めて大きく開いた。


「行きなさい。早く」

「嫌です。ランスフリートさま、嫌」


 ティプテは固く目を瞑り、どこにそんな力があったのかと驚かせる程、強く彼の首に抱きついた。

 ランスフリートは閉口して、オレンジルに


「ちょっと待っていてくれ」


 何となく妙な事を頼んでから恋人を説得にかかった。


「お願いだ、ティプテ。おれを困らせないでくれ。早く行くんだ」

「嫌です。

 オレンジルさま。どうしてもなさりたいのなら、どうぞわたしも殺してください」


 泣きながら、だが断固として、ティプテは逃亡を拒否する。

 オレンジルは周囲を憚っているように、そわそわと車外の様子を伺っていた。


 月が翳ったのだろうか。外は暗く静かで、城内とは思われない。

 やがて、彼は短刀を構え直した。


「そこまで望むなら、止むを得ないな」

「待て、オレンジル。もう少しだけ時間をくれ。いま言い聞かせる」


「嫌。絶対に嫌。殺してください」

「いい加減にしろ。いつまでも付き合っておれぬわ。仲良く神の国へ行ってしまえ」


 しびれを切らしたオレンジルは、容赦なく短刀を振りかざした。


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