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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十章
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そして月は翳り4

「ダディストリガッ」


 熱狂的な怒りをはらんだ声がとび、続いて声の主自身が従兄へ飛びついた。


「うわっ」


 ランスフリートが飛び起きざま、彼の背後に襲いかかったのだ。

 同時にティプテの体が解放され、床に倒れ伏した。


 痛みに耐えて顔を上げた彼女はその姿勢のまま、がく然となった。

 殺気立った恋人が、従兄の首に右腕を巻きつけて激しく締め上げるという、異様な光景が展開していたのである。


 ダディストリガは、大きく胸を反らせて従弟の腕を振りほどこうと懸命にもがいているが、ランスフリートはもう一方の腕も使って、がっちりと組みついており、容易に離れそうもなかった。


 固く握られた拳は血の気を失って白み、筋と血管が浮き上がっている。この状態が長く続けば、彼はやがて窒息死に至るだろう。


 ティプテは這いずって、怒りのあまり忘我状態に陥ったらしい恋人の側へ近寄ると、足の一方に抱きついた。


「だめ。

 ランスフリートさま、だめ。

 力を抜いて。人殺しになってしまいます。もう止めて」


 か細い少女の声が、ランスフリートの遊離しつつあった理性を、俄かに現実へと引き戻した。

 彼はびくりとし、それから慌てて身を引いた。


 ダディストリガは大きく前方へつんのめり、崩れるように片膝をついた。

 ぜいぜいと呼吸が短く、荒かった。赤みのさしていた頬からも、ゆっくり色が褪めてゆく。


 彼は頭を振り、ようやく苦痛から逃れた。ランスフリートの方も、自分のしでかした事の重大さに思い至っていた。


 倉皇と従兄の広い背中に手をかけ、さすり始める。


「済まなかった、ダディストリガ。

 ここまでやる積もりは無かった」

「殺す積もりなら、ぜひとも正式な決闘の場をしつらえてくれ。

 こんなところでくびり殺されるのは御免被る」


 呼吸を整えながら、彼は途絶えがちな声で言った。


「どうする。

 決闘したいのなら受けるぞ」

「いや。そんな気はないよ」


 ランスフリートは顔を青ざめさせて首を振り、恋人を抱き寄せた。


「だが、ティプテを渡すのも断る。

 このを失って生きるくらいなら、死んだほうがずっといい」


「ランスフリートさま」


 彼女も胸にすがりついてきた。


「ティプテも、生きていませんわ。

 ランスフリートさまのいらっしゃらない世界なんて、世界じゃないわ」


「ティプテ」

「……」


 ダディストリガは目を閉じた。

 彼とても、こうまで愛し合う二人を好んで引き裂きたいのではない。


「誰が、したくてしているものか。

 ばか者」


 ダディストリガは瞑目したまま、苦しい声で低く叫んだ。

 首を垂れてじっと身を固くしている。ランスフリートは従兄の苦悩する姿を、痛ましげに見やった。もはや、諸般の察しはついている。


 唇が何か言いたげに薄く動きかけた、その時。

 扉が連打された。


「おいダディストリガ、ここにいるのかッ。

 おれだ、フィリケルドだ。開けてくれッ」


 扉越しに若い男の声も聞こえた。

 ダディストリガの旧友で、部下でもあるユグナジスの緊迫した声であった。

 呼ばれた彼は素早く立ち上がって扉に駆け寄り、部屋の異様な様子を知られないよう急いで廊下へ出た。


「どうしたのだ。よくここが判ったな」

「そんなことはどうでもいい。

 大変な事が起こったぞ。

 すぐ来てくれ。みな、おぬしを探している」


 ユグナジスは足踏みせんばかりに急かした。

 急な事で、ダディストリガともあろう者が、俊敏な対応をしそこねた。


「大変だと」

「ああ、王太子暗殺事件だ。

 王太子が殺された」


「何を言っている。

 あれは未遂で終わっただろう」


「おぬしこそ。誰がエルンチェアの王太子だと言ったっ」


 ユグナジスは慌しく叫んだ。彼にも、上官を尊ぶ体裁を取り繕うゆとりがないと見える。

 それ程の動揺を彼に与えるのも無理はなかった。


「事件は南方圏で起こったのだ。

 よりにもよって、エテュイエンヌの王太子が暗殺されたッ」


「何だと」


 ダディストリガは硬直した。


 急報を伝える声は、室内にまでよく響いた。

 ランスフリートの耳にもその重大な一報は飛び込んだ。さすがにぎょっとして腰を浮かした途端、従兄が扉の狭い隙間から、大躯を滑り込ませるようにして戻って来た。


「聞いてのとおりだ、ランスフリートどの。

 話は一旦中止だ、すぐ議場へ戻る」

「……判った」


 ランスフリートはティプテを起こしてやりながら頷いた。

 隙を見て、恋人の耳へ顔を寄せる。


「逃げよう」

「えっ」


 囁きに目を瞠った彼女だったが


「この騒動に紛れて国を出よう。後で連絡する」

「はい」


 あれこれ問い返したりせず、即座に申し出を受け容れた。


「お待ちしております、ランスフリートさま」

 二人の密やかな企みに、ダディストリガが気づいたようすはなかった。



 エテュイエンヌ王国王太子暗殺の一報は、夜までに事実が確認された。

 疑いようのない毒殺であった。


 一昨日の朝食中に、変は起こったという。宮廷は激震し、夜間ながら緊急の閣僚会議が招集された。

 フェレーラ輿入れの可否を改めて討議せねばならない。


 断行するとしても延期は余儀なくされる。時期を逸してまでそのような宮廷へ、側室の出身とはいえ王女を嫁がせる必要があるかどうかで激論が交された。


 中止案と続行案が正面衝突し、ティエトマール一門といえど分裂を免れなかったものである。

 堂々巡りを繰り返す議論の様子を、溜飲の下がる思いで眺めていた者がいる。


 バースエルム剣爵である。会議が一時休息となり、与えられている控え室に戻ったところ、ほどなく弟盾爵が顔を出した。


「やれやれ、間に合いましたな」


 盾爵がにやつきながら言った。剣爵も口元を緩ませた。


「ああ、エテュイエンヌめ、冷や冷やさせおって。

 フェレーラ輿入れが動かせぬ状態になる前で良かった。今なら、まだ何とかなる」


「まことに。あの娘に嫁がれては、我らの立場が無くなるところでした。

 エテュイエンヌと縁組みされては、先方との話がどうこじれるやら、見当もつきませぬ」


「どうしても間に合わねば、止むを得ぬと、半ば覚悟を決めていた。

 そこまでの危険は、いくら何でも冒したくはなかったからな。ひと安心だ。

 で、エピテュリ娘の方はどうなのだ」


「それがですな、兄上」


 こみあがる愉悦を抑えきれぬというように、盾爵は唇を震わせた。


「何と都合の良い事に、あの娘から亡命を願い出て参りました。

 娘が言うには、どら息子が何を思ったか、自分から誘ってきたそうです」


「ほう、どういう心境の変化だ。

 昼間はあれ程に生意気な口をきいていたものが。

 国務に精励して名を挙げるよりも、女がいいとてか。さすがは陛下のご実子にあられるわ」


 蔑みきった笑いを、剣爵は漏らした。盾爵も機嫌良く倣った。

「では、今一度手はずを確認致しますぞ。

 我らは、あのどら息子とエピテュリ娘を亡命させるように見せかけて、心中させる。


 事の後に全てを外国へ漏らし、不祥事を追及するとして冠爵以下毒虫一族を宮廷より一掃する。

 一方で、ロートライツ冠爵家より例のの乳児を借り受け『ヴェールト』の後ろ盾を得て擁立する。


 これで、宜しいですな」


「結構だ。

 ヴェールトとの密約は、間違いないのだろうな。

 まさか、この土壇場で白紙撤回などという恐れは」


「ございませぬとも。

 先方も大いに乗り気で、撤回はおろか、当方が急きたてられる始末でございます。

 先方としても、ここで引き返すわけにはゆきませぬゆえ」


「宜しい。

 今夜にでも、あのどら息子を女ともども神の国へ送りこんでやるか。


 怨まれる筋合いは無いぞ。生きていても結ばれぬのが運命なれば、手を取り合って二人仲良く神の国へ旅立つのが、文芸の定石である事だ。

 

 チュリウスの死に損ないめ、ざまを見ろ。

 昼間はどら息子の意外な一面を見て、たいそうはしゃいでおったが、明日の晩には見ておれ。ひきつって声も出せなくなっておるぞ。


 おれの面目を丸潰れにしてくれおった男のために、我らが一肌脱ごうとは誰も思うまい。

 なまじ才気を発してみせたのが、己の仇となる事を思い知るがいい。


 放蕩者のろくでなしはろくでなしらしく、無能な姿で縮こまっておればよいのだ」


「あの鼻持ちならぬ若造めにも、たっぷり思い知らせてくれますぞ」


 兄弟は、おのおのの私憤をむき出しにして残忍な報復の快感に浸り込んだ。

 彼らの権力争奪作戦は発動した。

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