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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十章
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そして月は翳り3

 西へ、教会へ。

 ランスフリートは、廊下をすれ違う人々が驚くのも構わずに、血相を変えて駈けて行く。


 もし言葉が交せないならそれでもよい。せめて顔を見るだけでもよい。ティプテの笑顔が見たい。

 ただその一念で、彼は廊下を駈け抜け、敷地内の移動に使う小馬車へ飛び乗った。


(ティプテ、いま何をしている。一目でいい、おまえに会いたい。


 ユピテア大神よ。おれに時間を与え給え。水の女神アロアヴェーネよ、ティプテに会わせ給え)

 その祈りは通じた。


 馬車が教会の玄関前に到着した時、彼女は外に出ていた。大勢のシア人僧侶達に混じって、雑草抜きの作業を行う姿が車窓から見えた。


 ランスフリートは大急ぎで馬車を停止させた。

 盛大な物音に何事かと周囲がざわめきたち、ティプテも大きな目を瞠って辺りを見渡した。

 やがて、表情に喜びがはじけた。


「ランスフリートさま」


 馬車から降りて来た恋人めがけて、彼女はまっすぐ走った。

 雑草抜きに使っていたペルトナ籠も何もかも放り出して、ランスフリートしか見ていない。

 僧侶仲間がぼう然と見守るなか、恋人達は久々に互いを長く見つめ合った。


「ランスフリートさま」

「ティプテ。元気だったかい」

「はい、このとおりです」


 ティプテは胸に両手をあて、涙ぐみながらも、朗らかに答えた。


「ランスフリートさまも、お元気そう」

「たった今、元気になったよ」


 ランスフリートの声にも、みるみる生気が甦った。

 言葉を交す以上は何も出来ない。だから、彼は表情に精一杯の誠実と労わりをこめた。


 万感に満たされたその再会は、だが。

 ごく僅かな時間しか許されたものではなかった。


 ランスフリートの背後で凄まじいばかりの気配がたち、ティプテがびくりと身をすくませた。ランスフリートが踵を返す間も無く


たばかったか、おまえ」


 満腔の怒気を湛えた声に背中を叩かれた。

 若い男の、この上なく厳しい声。


 ランスフリートは振り返った。

 強い光を放つ一対の緑の目が視界に収まった。彼は苦痛を耐えるような声で、その不粋な闖入者の名を呻いた。


「ダディストリガ……」



 なぜ、ダディストリガ・バリアレオンが姿を見せたのか、ランスフリートにもティプテにも分からなかった。


 ただはっきりしているのは、教会の一室に二人揃って放り込まれ、ダディストリガに出口を塞がれているという、せっぱつまった現状にある事だけだった。


 有無を言わさずティプテの手をとり、ひきずるようにして連れて行く従兄に、ランスフリートは抗議しようもなく後に従う他は無かった。


 ダディストリガは押し込めるようにして、二人を教会内の一室へ連れ込み、扉の前にしっかと立ち塞がった。


 ランスフリートは怯えるティプテを背後に庇いつつ、どうやら尾行してきたらしいダディストリガへ、嫌悪と軽蔑で満ちた視線を向けた。


 従兄も激怒をたぎらせた目で、従弟を睨めつけていた。

 無言の睨み合いは、だがすぐに従弟が終息させた。


「いったいどういう積もりだ、ひとをつけて来るとは」

「どうもこうもあるものか。よくも裏切ってくれたな」


「裏切るだと。おれがいつあなたを裏切った。

 さっきの閣議での一件を言っているなら、お門違いだぞ。


 勝手に期待しておいて、勝手に失望したくせに、裏切ったとは何だ。人聞きの悪い。

 話を横にそらさないで答えろ、ダディストリガ。何でおれをつけて来た。監視役でも拝命しているのか」


「おまえが慌ただしく西へ向かおうとしているのが見えれば、ここへ行くとしか思えぬではないか」


「弁解になっていないぞ。

 そんな言い訳以下の物言いで、尾行を正当化できると考えているんだったら、あなたの倫理観は相当に歪んでいると言わざるを得ないな。

 おれのほうこそ失望だ」


 ランスフリートは逆上寸前だった。

 対するダディストリガは表情から怒気を消し、落ち着き払った態度に代わっていた。

 だからといって、この謹厳で知られる若い武人が、従弟の言い分を認めたとは考えられなかった。


「どけ。女を渡せ」


 問いに応じず、短く命じる声の調子が、尋常ならざる冷淡さを秘めている。

 ランスフリートはそう感じ、直感と同時に、ダディストリガが教会まで追いかけてきたのは、自分を議場へ連れ戻すだけが目的ではないようだ、とも思った。


「嫌だ。

 何の責任もないティプテには、指一本触れさせるものか。


 悪いのはおれなのだろう、だったら存分に、おれを殴るなり何なりすればいい」


「おまえを殴って事が済むなら、とっくにやっている。当分は起き上がれぬくらいにな。

 おまえが望むまでもない、後でゆっくり叩きのめして性根を入れ替えてやる。

 さあ、女を渡せ」


「渡してから、どうする」


「……城から叩き出して、二度とおまえたちを会わせぬようにする。知れた事だ」


 やや間をあけてから答えたダディストリガの態度に、ますますランスフリートは疑惑をかきたてられた。

 この従兄が、放逐程度で妥協するだろうか、と。警戒心も自然せりあがって来る。


「そう言われて、おれが素直に要求を呑むとでも思うのか」

「ならば、実力に訴える」


 ダディストリガは大股に近づいて来た。ティプテはいっそう怯えて、ランスフリートに抱きついた。


「ランスフリートさま」

「ちょっと離れていてくれ、ティプテ。必ず守ってやるから」


 細い肩を優しく抱いてなだめつつ、ランスフリートは言った。ティプテが驚いて顔をあげた。


「守る……ランスフリートさま」

「しがみつかれていては、やりにくいよ。少し下がっているんだ」


「何だ、おまえ。

 おれと渡り合える積もりでいるのか」


 ティプテを離れさせたランスフリートへ、ダディストリガが鋭い嘲笑を浴びせた。


「笑止千万だ。

 日頃家に篭りきりで、ろくに体を鍛えてもおらぬおまえが、おれをどうできるという」


「やればできるさ」


 ランスフリートは拳を握った。

 刹那、ダディストリガは床を踏み抜く勢いで従弟へ突進した。


 剛腕が風を切って伸び、従弟の秀麗な横顔を、石のような拳が捉えた。ティプテが裂帛の悲鳴をあげた。

 彼は横転し、置かれていた椅子と円卓の間に頭から落ちた。


 椅子が二脚吹き飛び、円卓に載っていた陶磁器製の呼び鈴が床上で砕けた。彼は立てなかった。


「ランスフリートさまッ。

 ランスフリートさまぁッ」


 ティプテは我を忘れたように絶叫し、駆け寄ろうとした。

 その細い右腕を、ダディストリガは無表情に掴み上げた。激痛に襲われた彼女は、短髪を振り乱して声をあげ、身を激しくよじった。


 大神に救いを求める声が、鳴咽ともども広い室内を満たす。が、若い武人は動じなかった。


「ざまはないな、ランスフリート。

 女一人守れない。それがおまえの限界だ。


 よく弁えて、ばかな考えは捨てろ。

 おまえが今少し物分かり良くあれば、おれもこんな事はせずに済んだのだ」


 つかんだ腕を引き抜かんばかりに力を込めて、ダディストリガは少女を連れ去ろうと背を翻した。

 そのとき。

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