そして月は翳り1
大陸に現在ある十三諸王国は、共通して旧帝国時代の定法を守っている。
程度の差はあるにせよ、王家存続に関するしきたりの類は、概ねどの国でも重要視されているものだ。
特に、男子による血統継続はレオス人の伝統でもあって、各国の王は皆、後継者の獲得に腐心している。
もっとも、南西三国の一翼を担うエテュイエンヌに関して言えば、現在のところ側室の子に出番は有りそうもない。
朝餉の儀と呼ばれる王族の朝食会ともなれば、壮観である。
国王夫妻に長子以下の既婚者は、しきたりに則って妻子を会場に伴う。この時点で、既に十名を超えているのだった。
驚くべき事に、国王の嫡子は、男子だけでも五名いる。女子二名も加えれば、総勢七名である。
円卓は四名が定員だったから、第四子のロベルティートは、最上席からはかなり離れる。
ある意味で、特等席かもしれない。
彼に懐いている妹姫達も同席で、しかも二人に左右を挟まれた格好だ。
「ねえ、兄上」
レイゼネアはにこやかに、四番目の兄へ話しかける。如才無い笑顔でよもやま話に付き合いながら、しかし彼は、対面に座る人物へのさりげない警戒も怠ってはいない。
弟がいる。
シルマイト・レオンドールという、一歳違いの王家末弟だった。
ぶっすりと機嫌が悪そうな顔を俯け、野菜の煮物を口に運んでいる。顔色は青白く痩せぎすで、更に不愛想ときては、ロベルティートならずとも、どうにも談笑する意欲が湧きづらい。
それでも、何とか気力を振り絞って
「なあ、シルマイト。
最近はあまり肉を食べないようだが、嫌いになったのかい」
声を掛ける。
反応は、感心する程冷ややかなものだった。
「あなたに関わりの有る話ですか」
「そう言うなよ。
気になったから訊いたまでだ」
「気にする必要など無いでしょう。
わたしが肉を嫌おうが好もうが、あなたには関係無いのですから」
「シルマイト兄上。
そういう言い方は宜しくないわ」
むしろレイゼネアの癇に障ったらしい。綺麗な顔立ちに精一杯の怒りを乗せている。
「ロベルティート兄上が、せっかく御気を遣ってくださったのに」
妹の抗議は、シルマイトには返答の値無しと思われたようだった。顔すら上げないで、相変わらず野菜をぼそぼそと口に運ぶばかりである。
相当かちんときたのだろう、レイゼネアが身を乗り出しかけた。
ロベルティートは、妹の服の袖を軽く引き、微笑を向けた。
「確かに、出過ぎたな。
気を悪くしたなら謝るよ」
「兄上」
不満そうな妹に、小さく首を振って見せる。
シルマイトはすぐに食器を置き、立ち上がった。おざなりな会釈を残して、両親が座る南卓へと向かってゆく。
ははは、と笑う声が、ロベルティートの背中から響いてきた。
兄妹揃って振り返ると、三兄の笑い顔があった。
「相変わらず、無駄な事をする。
シルマイトが雑談なんぞに応じるものか、特におまえが相手ではな」
「ええ、まあ。
わたしも、そんな気がしてはいましたが」
「察していたくせに、懲りないんだな。
おれはもう、あいつと話そうなんて、髪の毛一本程も考えていないぞ」
三兄は饒舌で、近くの円卓に席を設けられている次兄は、我関せずとばかりに食事を続けている。
たまにちらちらと視線を寄越しては来るが、積極的に介入する積もりも無いのであろう。
レイゼネアは、他の兄達の軽薄や冷淡に失望を禁じ得ない様子で
「兄上、明日からはわたしやフラウディルテとだけ、お話なさってね」
ロベルティートに要望を語った。
そうするよ、と返事をしつつ、彼は既に席を立った弟が去ったであろう方向を軽く流し見た。
兄弟の不仲は、今に始まった事ではない。
エテュイエンヌ王家における五兄弟の人柄は、誰が言い表したかは定かでないが、上から順に「凡庸」「尊大」「軽薄」「変人」「獰猛」と評されるらしい。
長兄殿下が一番ましか、とロベルティートは内心で苦笑している。
当人には、別に変人との自覚は無いのだが、男子優越が常識とされている宮廷社会にあっては、妹達との間に一線を引かず、男の兄弟と疎遠にしている彼の態度は、率直に言えば高評価を得られないのであろう。
さしあたりは、それでも良い。自分に王座は回ってこないのだから。
割り切った思いがある。
いまとなっては、とにかく無事に生き延びる事。何とか長兄に王座を獲得してもらって、静かに王位争奪戦から身を引く事。
ロベルティートの願いは平穏の一言に尽きた。
朝食が終わり、勝手に出て行った末弟を除いた王族一同は、序列に従い会場を後にした。
レイゼネアとは、また海が見える丘に散歩の約束をしている。昼を過ぎたら、いつもの通りに出かける支度をしなければと、つらつら考えながら自室へ引き取る途中
「………居たのか」
回廊の真中で、とっくに去ったはずの末弟と行き会ってしまった。
相手も、四兄と会いたかったわけではなかったのだろう。廊下を歩いていて、ばったり出くわしたといったところか、露骨に顔をしかめた。
「まだこんなところをうろうろと」
「そう言うな。
おれが遅いのではなくて、おまえの退出が早すぎたんだよ。
朝餉の儀はつい先刻終わったばかりだ」
ロベルティートは、恐らくかなり努力して、朗らかな表情を作った。
「ところで、散歩かい」
「先程からどうしてこうも、口うるさく干渉するんですか。
あなたは兄であって、父ではない」
「そうだな、おれは兄だな」
さすがに、腹を立てたと見える。ロベルティートは笑顔を少し強張らせた。
「おまえは忘れているようだが、兄というのも、一応は年長者なんだ。
弟らしく振る舞えとまでは言わない、ただもう少しだけ、紳士的な態度を心掛けたらどんなものだろう」
「おれは正直な男です。
あなたのように表面を笑顔で飾り立てて、野心を胸中に深くしまい込むなどという卑怯な真似は、一度たりともした事が無い。
これが紳士でなくて、何だと言うのですか」
「蛮人って言うんだよ」
シルマイトの口答えに、だがロベルティートは大声で反論したりはしなかった。胸の中に収めたのみである。
ただし、別の事は言った。
「何だい、野心って。
おれは野心なんて代物は持ち合わせていないよ」
「ほう。
ダリアスライスの美女を娶ると聞きましたが。
あの大国の後ろ盾を得ておいて、野心が無いとは恐れ入った話です」
シルマイトの眼つきが、急激に鋭くなった。
ロベルティートも警戒の態度を、今や隠さなかった。
早い。情報が漏れている。
思わず口ごもり、唇を軽く噛んだ彼に、弟は
「あなたにしては上出来だ、なかなかの大胆さだと褒めてもいい。
しかし、そう事がうまく運ぶとはお考えにならない方が、身の為というものです」
「……」
「精々、あの富国の威を借りて胸を張っているが宜しいでしょうよ。ついでに評判の美人も妻と呼べるとは、幸せな事です」
「……ありがとう。
出来たら、心清らかな弟を持つ事も叶えば、猶更幸せなんだけどな。
おれの幸せを喜んでくれるなら、ぜひ、協力してもらいたいね」
「お断りだ」
獰猛。
シルマイトの人となりを評する言葉は、なるほど的を射ている。
つい納得する程に、末弟の表情には凄まじい彩りが浮かんでいた。
会話の意欲は砕け散っていた。
ロベルティートは物憂げに片手をあげ、そそくさと行きたい方向へ歩き去った。
シルマイトは、唾棄したい欲望に忠実であった。
ぺっ、と威勢のよい音を立てて口中の液体を吐き捨てると、剣呑に目を細めて、兄の背を睨みつけた。
「えせ紳士が。
貴様にダリアスライスの美人は分不相応すぎる。おれが代理して貰い受けてやるから、さっさと坊主になってしまえ。
それとも、神の国へ行くか。
ならそれでもいい、望み通り協力してやるぞ、喜んで」
何がどうなれば、ここまでの憎悪が全身から溢れるのだろうか。
肉付きの薄い頬を引きつらせ、眉を思い切り寄せて、彼は
「覚えていろよ、ロベルティート。
その気色悪い薄ら笑いを、必ず凍りつかせてやる。
おれは、握っているんだ。
貴様どころか、ばかな兄どもが誰一人知らない、とっておきの切り札をな。
近々、全員まとめてほえ面かかせてやるから、楽しみにしておけ」
憎悪の煮えたぎった声で、低く独語した。




