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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第九章
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暗闘の夜3

 夜。

 親王邸から酒を持ち帰ったジークシルトは、居間に腰を据えていた。


 本日は、それなりに実りがあったと言っていい。

 一番悩ましかったのは、パトリアルスの処遇だったのだが、父はこちらの思惑通りに彼の意見を容れた。


 暗殺未遂事件に親王邸の勤め人が関与したと判明し、執り成しをどうしたものかと頭を痛めた挙句、元修学仕の旧友を側に寄せた。

 ダオカルヤンには不向きな相談は、全てラミュネス・ランドに任せる事にしている。


「父上は、弟を不問に付すと思うか」


 その問いに、黒い髪の童顔な青年は、きっぱりと首を横に振ったものだ。


「監督責任を問い給うと思われます」

「同感だ。

 で、策はあるか」

「殿下におかれましても、弟君おとぎみ殿下に相応の責めを下されるが宜しいかと存じます」


 ラミュネスは平然と答えて、一時はジークシルトの怒りを被った。

 しかし、旧友の言葉には先があった。


「殿下は、近く対グライアス王国との戦に臨まれると拝察致します」

「それがどうした。今はその話ではない」


「殿下。

 弟君を伴われて東国境へ御親征を御考えの由。


 しかし、口実が問題でございましょう。両殿下が宮廷を御留守になされるなど、前例がございませぬ。

 ましてや、殿下に御後継の御嫡男は居ませず」


「だから何だ」


 いらいらと声を荒げかけたジークシルトだったが、途中で俄かに頓悟した。

 パトリアルスを連れ出して、宮廷をがら空きにするのは、ラミュネスへ王后排除の工作を命じる目的のゆえである。


 だが、確かに困難だった。

 二人とも独身のせいで、現在は第八代王太子たるべき男子が居ないのである。


 万が一、ジークシルト帰還せずとの非常事態になれば、第二王位継承権を持つパトリアルスが太子に立たねばならない。


 第三位以下の者は、現在のところ連枝に数人ある男子が、年齢順に並んではいる。しかし、宮廷を納得させられるだけの力量があるかは不明、知名度も足りなかった。


 どのように考えても、パトリアルスまで東国境に向かわせるという段取りを組むのは、事実上は不可能と言える。


 通常なら、誰でもそう思う。ジークシルトも同様で、口実を設ける段階で躓きかけていた。

 つまり、ラミュネスは


「いっそ懲罰として、パトリアルスを前線に出せ」


 と言っているのである。

 悟った瞬間、ジークシルトは美貌に苦笑をのせた。


「なるほどな。

 体面はともかくとして、口実にはなる」


「左様でございます。

 弟君にあらせられては、温和な御気性におわす。


 それ自体は大いに美徳ながら、王族たる者、時には剛毅さを求められましょう。

 懲罰及び、今後の糧とするためにも、敢えて前線に送りまいらせ改めて鍛え直す、という理由づけでは如何でしょうか」


「窮地は好機に通じる、か。

 良い策だ。直ちに父上へ奏上する」


 意見について、バロート王は即断を避けたが、朝餉の儀で首尾よく裁可を得た。

 父の狙いである


「王后と周囲に群がる親王擁立派の決起を促す」


 策は、ジークシルトにとっても悪い話ではないが、故意に暗殺の的になる事をも意味する。

 父にすれば、命令の受け容れに対する返礼といったところであろう。


 動機に用は無い、思い通りになれば良い。

 ジークシルトは割り切っている。

 満足すべきだった。


 ほどなく酒が運ばれて来た。肴は無い。陶器の杯に、北方名物の強酒が満たされているだけである。

 神殿を経由した捧げ物の下賜品は、極上が保証されている。早々に飲んでしまった、経験からみても間違いない。


 彼は酒杯を手に取り、滑らかな動作で一口飲んだ。

 その瞬間。

 目が、かっと見開かれた。



 驚きと怒り、己の失策を悟った悔いが、高速で美貌の上を入れ替わり立ち代わり閃いた。

 酒杯を床へ放り投げ、割れるに任せて、含んだ強酒を鋭く吐いた。


 即座に椅子から身を起こし、食堂へ走る。

 何事かと仰天した屋敷の勤め人を、乱暴に突き飛ばし、台所へ飛び込むと、飲料水の樽へ顔を入れて、口中を迅速にすすいだ。


「ええい、何たる不覚だ。このおれが」


 ジークシルトは樽のへりを拳で殴りつけた。

 酒の味が、異様だったのである。


 強酒には風味が無く、味が欲しければ果汁で割るものである。それが、苦みと辛みが強く、金属的な味がしたのだ。


 毒。

 少なくとも、何か異物が混入していた可能性が、俄然高まった。


 よもや、パトリアルスへの献上品に毒が投入されているとは、思わなかった。

 異物の混入を疑わず、つい飲み物に口をつけてしまった迂闊さを、彼は怒りに燃え立ちつつ悔いた。


 何かの手違いで、劣化した酒が贈られたのなら良し。だが、そうでなかったとしたら。

 ジークシルトは恐ろしい顔で振り返ると、その場に棒立ちになっていた勤め人を睨みつけた。


「薬師だ、薬師を呼べ。

 いいか、隠密にだぞ。誰にも知られてはならぬ。

 もし明るみに出ようものなら、おまえを殺すぞ」


 凄まじい命令を、勤め人は悲鳴をあげて肯った。

 彼はあたふたと、遁走するような勢いで手配の為に走り出した。


 知られてはならない。

 特にバロート王にだけは、決して知られてはならない。今度は間違いなく、パトリアルスの致命傷になる。


 何も変わった事は起きていない――死力を尽くして取り繕わなくてはならなかった。

 薬師が来るまでの間に、少しでも体内に侵入した毒素を排出する必要がある。


 ジークシルトは指を喉の奥深くへ付き込んでは、胃の内容物を戻しにかかった。

 最初に吐き戻した物は、捨てずにたらいへ溜めた。薬師へ見せる為である。


 後は水をがぶ飲みしては、指で刺激を与えて、しゃにむに吐く。

 少し、飲み込んでしまった。不安が襲う。


 量としてはごく僅かだったが、仮に毒だとして、どういう種類で致死量がどの程度か、素人には見当もつかない。


 胸の中に沸き上がる嫌な予感を、ジークシルトは必死の努力でねじ伏せる。


「冗談ではない。

 死ぬものか。こんな下らぬ形で、死んでたまるか」


 執念が、彼を支えていた。



「これは、予想外でした」


 深夜に召し出しを受けたラミュネスは、声を低めて静かに言った。

 宮廷付きの薬師と入れ替わりである。


 要求通り、極秘に手当を終えた彼は、幼馴染のうち、黒髪の青年だけを呼びつけた。

 側近中の側近であるダオカルヤンにすら、服毒の事実を伏せる積もりなのだった。


「これこそ、親王陣営のしわざでしょう」

「おれもそう思う。

 くそ、狡猾な。

 まさか、パトリアルスへの賜品へ毒を混ぜるとは。そこまで大胆な策をとる、とは思わなかった」


 寝室に引き取り、身を横たえたジークシルトは、息が荒い。

 彼は体を起こす事が出来なくなっていた。


 白皙の肌は鉛色のような黒みをおび、発汗が著しい。

 歯の根があわぬ程の悪寒と、重い頭痛、舌や四肢のしびれ、めまい、猛烈な嘔吐感。もはや素人にも明白な典型症状である。


 薬師は急いで処置を行い、さしあたりの見立てながら、命は取り留めるであろうと診断してはいる。

 ただし、あくまで薬師の意見であり、医師が診れば違う診断がなされた可能性は残っている。


 それでも彼は、極秘裏に全てを終える方を選んだ。

 王族の日常を管轄する典礼庁に、薬師の王太子邸派遣は記録される。人を呼べば、その分だけ秘密が漏れやすくなる。懸念が勝っていた。


「……ラミュネス、判っているな」

「それはもちろん。

 しかし、薬師は毒の知識はあれ、医術に関してはあまり技量があるとは言えませぬ」


「おれは死なん。あいにく、そんな可愛げのある体ではない。

 全く、パトリアルスが飲まなくてよかった」


 ぜいぜいと肩で息をしながら、ジークシルトは言った。この期に及んでも、彼は弟の身を案じているのである。


「あいつは下戸だ、酒に手は付けない。おれにくれる積もりだった下賜品なら、絶対に飲まない。

 余程の確信が無ければ、こんな策はとれまい。

 そうと知れているとはいえ、万が一を考えれば腹が立つ」


「はい。

 そのような確信を抱く者と言えば、一人しか該当者はおりません」


 アローマ内務卿。

 豊穣祭の実行責任者であり、パトリアルスに依頼されて飾り用の空瓶を用意する役目を負う、反王太子派の頭目以外にあり得ない。


 あの男にしか出来ない犯行であろう。

 ジークシルトは拳を握っていた。


「あやつらには、必ず報いをくれてやる。

 パトリアルスが下戸であろうが何だろうが、口をつける可能性もあったのだからな。

 もう勘弁ならぬ」

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