暗闘の夜3
夜。
親王邸から酒を持ち帰ったジークシルトは、居間に腰を据えていた。
本日は、それなりに実りがあったと言っていい。
一番悩ましかったのは、パトリアルスの処遇だったのだが、父はこちらの思惑通りに彼の意見を容れた。
暗殺未遂事件に親王邸の勤め人が関与したと判明し、執り成しをどうしたものかと頭を痛めた挙句、元修学仕の旧友を側に寄せた。
ダオカルヤンには不向きな相談は、全てラミュネス・ランドに任せる事にしている。
「父上は、弟を不問に付すと思うか」
その問いに、黒い髪の童顔な青年は、きっぱりと首を横に振ったものだ。
「監督責任を問い給うと思われます」
「同感だ。
で、策はあるか」
「殿下におかれましても、弟君殿下に相応の責めを下されるが宜しいかと存じます」
ラミュネスは平然と答えて、一時はジークシルトの怒りを被った。
しかし、旧友の言葉には先があった。
「殿下は、近く対グライアス王国との戦に臨まれると拝察致します」
「それがどうした。今はその話ではない」
「殿下。
弟君を伴われて東国境へ御親征を御考えの由。
しかし、口実が問題でございましょう。両殿下が宮廷を御留守になされるなど、前例がございませぬ。
ましてや、殿下に御後継の御嫡男は居ませず」
「だから何だ」
いらいらと声を荒げかけたジークシルトだったが、途中で俄かに頓悟した。
パトリアルスを連れ出して、宮廷をがら空きにするのは、ラミュネスへ王后排除の工作を命じる目的のゆえである。
だが、確かに困難だった。
二人とも独身のせいで、現在は第八代王太子たるべき男子が居ないのである。
万が一、ジークシルト帰還せずとの非常事態になれば、第二王位継承権を持つパトリアルスが太子に立たねばならない。
第三位以下の者は、現在のところ連枝に数人ある男子が、年齢順に並んではいる。しかし、宮廷を納得させられるだけの力量があるかは不明、知名度も足りなかった。
どのように考えても、パトリアルスまで東国境に向かわせるという段取りを組むのは、事実上は不可能と言える。
通常なら、誰でもそう思う。ジークシルトも同様で、口実を設ける段階で躓きかけていた。
つまり、ラミュネスは
「いっそ懲罰として、パトリアルスを前線に出せ」
と言っているのである。
悟った瞬間、ジークシルトは美貌に苦笑をのせた。
「なるほどな。
体面はともかくとして、口実にはなる」
「左様でございます。
弟君にあらせられては、温和な御気性におわす。
それ自体は大いに美徳ながら、王族たる者、時には剛毅さを求められましょう。
懲罰及び、今後の糧とするためにも、敢えて前線に送りまいらせ改めて鍛え直す、という理由づけでは如何でしょうか」
「窮地は好機に通じる、か。
良い策だ。直ちに父上へ奏上する」
意見について、バロート王は即断を避けたが、朝餉の儀で首尾よく裁可を得た。
父の狙いである
「王后と周囲に群がる親王擁立派の決起を促す」
策は、ジークシルトにとっても悪い話ではないが、故意に暗殺の的になる事をも意味する。
父にすれば、命令の受け容れに対する返礼といったところであろう。
動機に用は無い、思い通りになれば良い。
ジークシルトは割り切っている。
満足すべきだった。
ほどなく酒が運ばれて来た。肴は無い。陶器の杯に、北方名物の強酒が満たされているだけである。
神殿を経由した捧げ物の下賜品は、極上が保証されている。早々に飲んでしまった、経験からみても間違いない。
彼は酒杯を手に取り、滑らかな動作で一口飲んだ。
その瞬間。
目が、かっと見開かれた。
驚きと怒り、己の失策を悟った悔いが、高速で美貌の上を入れ替わり立ち代わり閃いた。
酒杯を床へ放り投げ、割れるに任せて、含んだ強酒を鋭く吐いた。
即座に椅子から身を起こし、食堂へ走る。
何事かと仰天した屋敷の勤め人を、乱暴に突き飛ばし、台所へ飛び込むと、飲料水の樽へ顔を入れて、口中を迅速にすすいだ。
「ええい、何たる不覚だ。このおれが」
ジークシルトは樽のへりを拳で殴りつけた。
酒の味が、異様だったのである。
強酒には風味が無く、味が欲しければ果汁で割るものである。それが、苦みと辛みが強く、金属的な味がしたのだ。
毒。
少なくとも、何か異物が混入していた可能性が、俄然高まった。
よもや、パトリアルスへの献上品に毒が投入されているとは、思わなかった。
異物の混入を疑わず、つい飲み物に口をつけてしまった迂闊さを、彼は怒りに燃え立ちつつ悔いた。
何かの手違いで、劣化した酒が贈られたのなら良し。だが、そうでなかったとしたら。
ジークシルトは恐ろしい顔で振り返ると、その場に棒立ちになっていた勤め人を睨みつけた。
「薬師だ、薬師を呼べ。
いいか、隠密にだぞ。誰にも知られてはならぬ。
もし明るみに出ようものなら、おまえを殺すぞ」
凄まじい命令を、勤め人は悲鳴をあげて肯った。
彼はあたふたと、遁走するような勢いで手配の為に走り出した。
知られてはならない。
特にバロート王にだけは、決して知られてはならない。今度は間違いなく、パトリアルスの致命傷になる。
何も変わった事は起きていない――死力を尽くして取り繕わなくてはならなかった。
薬師が来るまでの間に、少しでも体内に侵入した毒素を排出する必要がある。
ジークシルトは指を喉の奥深くへ付き込んでは、胃の内容物を戻しにかかった。
最初に吐き戻した物は、捨てずにたらいへ溜めた。薬師へ見せる為である。
後は水をがぶ飲みしては、指で刺激を与えて、しゃにむに吐く。
少し、飲み込んでしまった。不安が襲う。
量としてはごく僅かだったが、仮に毒だとして、どういう種類で致死量がどの程度か、素人には見当もつかない。
胸の中に沸き上がる嫌な予感を、ジークシルトは必死の努力でねじ伏せる。
「冗談ではない。
死ぬものか。こんな下らぬ形で、死んでたまるか」
執念が、彼を支えていた。
「これは、予想外でした」
深夜に召し出しを受けたラミュネスは、声を低めて静かに言った。
宮廷付きの薬師と入れ替わりである。
要求通り、極秘に手当を終えた彼は、幼馴染のうち、黒髪の青年だけを呼びつけた。
側近中の側近であるダオカルヤンにすら、服毒の事実を伏せる積もりなのだった。
「これこそ、親王陣営のしわざでしょう」
「おれもそう思う。
くそ、狡猾な。
まさか、パトリアルスへの賜品へ毒を混ぜるとは。そこまで大胆な策をとる、とは思わなかった」
寝室に引き取り、身を横たえたジークシルトは、息が荒い。
彼は体を起こす事が出来なくなっていた。
白皙の肌は鉛色のような黒みをおび、発汗が著しい。
歯の根があわぬ程の悪寒と、重い頭痛、舌や四肢のしびれ、めまい、猛烈な嘔吐感。もはや素人にも明白な典型症状である。
薬師は急いで処置を行い、さしあたりの見立てながら、命は取り留めるであろうと診断してはいる。
ただし、あくまで薬師の意見であり、医師が診れば違う診断がなされた可能性は残っている。
それでも彼は、極秘裏に全てを終える方を選んだ。
王族の日常を管轄する典礼庁に、薬師の王太子邸派遣は記録される。人を呼べば、その分だけ秘密が漏れやすくなる。懸念が勝っていた。
「……ラミュネス、判っているな」
「それはもちろん。
しかし、薬師は毒の知識はあれ、医術に関してはあまり技量があるとは言えませぬ」
「おれは死なん。あいにく、そんな可愛げのある体ではない。
全く、パトリアルスが飲まなくてよかった」
ぜいぜいと肩で息をしながら、ジークシルトは言った。この期に及んでも、彼は弟の身を案じているのである。
「あいつは下戸だ、酒に手は付けない。おれにくれる積もりだった下賜品なら、絶対に飲まない。
余程の確信が無ければ、こんな策はとれまい。
そうと知れているとはいえ、万が一を考えれば腹が立つ」
「はい。
そのような確信を抱く者と言えば、一人しか該当者はおりません」
アローマ内務卿。
豊穣祭の実行責任者であり、パトリアルスに依頼されて飾り用の空瓶を用意する役目を負う、反王太子派の頭目以外にあり得ない。
あの男にしか出来ない犯行であろう。
ジークシルトは拳を握っていた。
「あやつらには、必ず報いをくれてやる。
パトリアルスが下戸であろうが何だろうが、口をつける可能性もあったのだからな。
もう勘弁ならぬ」




