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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第九章
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暗闘の夜2

 親王邸は、灰色に閉ざされていた。

 正面玄関は垂れ幕で封鎖されており、唯一の出入り口は台所に通じる小扉のみである。


 謹慎を表す作法だった。

 ジークシルト暗殺未遂事件には、屋敷の勤め人が関与していた。


 当人は捕縛されて投獄、現在は背後関係の取り調べを受けている。

 だが、パトリアルスも責任を免れるわけにはゆかず、屋敷において身を慎めとの下命を被った。


 礼賛の儀にまで出席を遠慮するはめに陥っており、朝の食事会にも姿を現してはいない。

 もちろん、面会も認められてはいなかったが、ジークシルトの訪問する足を止める理由にはならなかった。


「どけ。

 通せっ」


 正門を守る衛士を一喝し、腰に佩いた剣の柄に手をかけて、無理やり玄関を通ったものだった。

 屋敷の勤め人達がうろたえる中、平然と居間へ渡り、自室に居るはずの弟を呼びに行かせる。

 驚いた体を隠しもしないで駆け付けた弟の様子を見て、兄も息をのんだ。


「何だ、そのざまは」


 酷い有り様だった。

 父譲りの偉丈夫が見る影も無くやつれ果て、頬がこけている。顔色は青黒く、無精ひげも目立っていた。

 危篤の床から這い出してきた重病人さながらである。


 ふらふらとしながら、会釈だけは丁寧にしたパトリアルスは、弱々しく微笑んで

「謹慎中につき、お見苦しい姿を晒しております。恥じ入る次第」

「見苦しいを通り越しているぞ。

 おまえ、まさか毒にあたったのではあるまいな。


 いやいい、まずは座れ。とにかく席につけ。

 座れと言ったら座らんか」」


 応接用の上等な椅子に、怒鳴りつける勢いで腰を下ろさせる。

 半月に渡る本気の謹慎は、日ごろから屋敷にこもりがちな彼をもってしても、身に堪える苦行に違いない。


「おまえの事だ、大真面目に作法通りの引き篭もりをしているのだろう。

 真に受けるやつがあるか」


「父上の御下命です。

 第一、わたしとしても、身を慎まずにはいられません。この程度で済む事だとは思えないのです」


「断じておまえのせいではない。

 形式として、身を慎めとの仰せにすぎんのだ。

 死ぬぞ、おまえ」


「……死んだ方が、ましです。

 兄上の御身を害さんと謀った一味に、わたしの家臣が合力していた、と判明したからには」


 パトリアルスは力無い声でいらえ、兄から顔をそむけた。


「命を捧げてお詫びするのが筋でございましょう」

「誰が死んで詫びろと言ったっ」


 ジークシルトは怒鳴り、円卓を叩いた。美貌は怒気に覆われ、目の鋭さは身を縮める弟を射抜くかのように鋭く厳しい。


「不埒の輩なら、とっくにおれが斬り捨ててくれたわっ。

 この上、おまえの非を鳴らす積もりなど無い。意味も無い。

 何か食え。食わぬと、ただではおかぬぞ」


「如何様にでも、罰をお受けします」


 顔を伏せたままで、パトリアルスはしおらしく言った。

 ジークシルトは舌打ちし、しばらく眉間にしわをよせていたが、やがて卓上に備えてある呼び鈴を手にとり、乱暴に振った。


 たちまち、勤め人が飛んで来る。彼はそちらを見ないで


「何かもて。

 有り合わせで良い、何かしつらえよ。二人分だぞ。急げ」


 早口に命じた。

 ようやく、表情が少し和らいだ。


「今朝は多忙でな、あまり食べる暇が無かった。付き合え」

「あの……わたしは」


 誰でも容易に看破出来る嘘を聞かされて、パトリアルスは唇をかんだ。

 ジークシルトは軽く息をつき


「うるさい、反抗は許さん。

 食えと言ったら食え。おれの意にそむくと、酷い目に遭わせるぞ」


 急に笑顔を作った。


「二度と兄上とは呼ばせぬ」

「兄上」


「呼ばせぬと言ったばかりだぞ。もうそむくのか、おまえ。

 おれを兄と呼びたいなら、諦めて食事をとれ」

「……はい」


「このばか。

 おれに要らぬ心配をさせるな。ついでに手も焼かせるな」


 そう言ってから、彼は咳払いして弟を見


「よいか、二度は言わぬ。しかと聞け。

 おれは、この世の誰よりも、おまえが大切なのだ。理由を訊かれても困るが、おれの本音だ。


 パトリアルス。おれは悲しいだの寂しいだのといった、やわな感情は持ち合わせぬ。

 だが、どういうわけか、おまえだけは別だ。


 おまえがおらねば悲しく思うであろうし、寂しくも思うであろう。

 おれを兄を思うなら、多少なりとも肉親として大事に思ってくれるなら、自愛せよ」


「あ――兄上」

「命令だ、パトリアルス。

 自分の為と思うのが嫌なら、おれの為に、体を大切にしろ。判ったな」


 ジークシルトの強い声には、無限と称してよい愛情が込められていた。

 パトリアルスは無言で自分の両膝を固く掴んだ。


 十本の指がかぎ型に曲がって、静かにわななき始めた。上体が前にのめり、前髪が数本、広く秀でた額に落ちかかった。


 彼は泣いていた。声をころし、歯を食いしばって、涙を流していた。

 ジークシルトは困惑したようにまばたきすると、ため息をついて、円卓上を忙しく見渡した。


 弟の涙を拭えるようなものは、円卓を覆う厚手の飾り敷布の他には、手元に広げられている茶杯受け用の小敷布くらいであった。


 仕方無くそれを取り、弟の膝がしら目がけて投げつける。


「男が泣くな。

 涙を拭け――ま、ちょっと厚手で拭きにくかろうが――おい、泣くなと言うのに」

「申し訳ありません、兄上」


 パトリアルスは、さすがに小敷布ではなく手布を取り出して、目元を拭った。


「これ程に嬉しい御言葉を賜るとは、夢にも思っておりませんでしたので」

「構えて余人に漏らすなよ」


 ジークシルトは、ひどく照れた。


「と言うより、もう忘れろ」

「御言葉ながら、生涯忘れられません」

「いいから忘れろ、止めんか、恥ずかしい」


 照れ隠しの手段に困って、ジークシルトは実にわざとらしく居間の装飾品を眺めた。

 と、横顔を弟に見せながら付け足す。


 パトリアルスは、万能に限り無く近いと思い、尊敬していた兄の、拙いはにかみぶりに微笑を誘われた。

 ジークシルトの、鬼神のごとき側面しか知り得なかったブレステリスの人々が、今のこの姿を見れば、あまりの落差に声を失うに違いない。


 当人は、たいそう子供じみた態度で


「言わなければ良かった」


 などと、小声でつぶやいている。

 さんざん恥じらった後、彼は、話題を転換する恰好の理由を発見した。


「ところで、その酒瓶は中身があるのか」


 神殿を模した飾り台がある。豊穣祭に先立って、神の祝福を受けた酒とギルムが王族に配られており、捧げられているのだ。


 ジークシルトは早速その日のうちに平らげてしまったが、本来は祭の後に封を切る習わしである。

 パトリアルスもようやく緊張を解いて、物柔らかな笑顔を見せ


「もちろんです。

 いつも通り、兄上の御手元にお届けするはずだった品ですから、手を付けるような真似は致しませんとも。

 どうぞ、お帰りの際にお持ち帰りください」

「有難く頂こう」


 酒豪の兄を満足させた。


「しかし、おれに酒瓶をくれるのは良いが、一応は飾っておくしきたりだろう。

 作法を気にするおまえが、そこだけは気にならないのか」

「いえ、形だけは整えておりますよ」


 パトリアルスは笑って立ち上がり、飾り台の下に備え付けられた扉を開けた。

 同じ形の瓶が入っていた。


「代わりの瓶です。

 アローマ内務卿に頼んで、用意してもらっているのですよ」

「おまえもなかなかどうして、立派な不信心者だな」


 ジークシルトも破顔した。

 しばらく笑い合って、彼は


「パトリアルス。

 まだ正式の話ではないが、おまえは近々おれに従う事になる。


 詳しい事は後日に教えて遣わすが、段取りは既に終わっている。心しておけ」

 真面目な顔をした。パトリアルスは笑顔を収め、頷いた。

 そこへ、軽食の用意が整ったとの知らせが来た。


「さ、腹ごしらえするか。

 そうゆっくりもしておれぬが、食後に駒とりを一局指す程度の時間はあるぞ」


「久々に、お手合わせ願いますか。

 もっとも、へたで有名なわたしなどが相手では、兄上には物足りなさすぎて、面白く無いでしょうが」


「何。おれは、このところダオカルヤンめに負けてばかりだ。

 少し自信を回復させてもらおう」

「あ。

 酷いな、兄上」


 兄弟は和やかに、食卓へ向かった。

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