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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第八章
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悲劇の始まり1

 北方の雄国で発生した事件は、またたくまに南方圏にも伝わった。

 この時代、十三諸王国が有する通信情報網は、意外な程に高度である。


 早馬や、急便を伝える早足の伝令のみならず、原始的ながらも遠隔通信手段が豊富に編み出されている。

 天候に左右される欠点はあるものの、手旗信号、のろし、鏡の反射を利用した暗号通信等を駆使すれば、概要を遠隔地へ送る事が出来る。

 南北両圏の一国で有事があれば、情報は早ければ半日程度でザーヌ大連峰を飛び越える事が可能なのである。


 エルンチェア王太子暗殺未遂事件は、三日も要さずに南方圏七国すべての知るところとなった。

 特にジークシルトがやってのけた暗殺未遂犯手打ちのくだりは、大いに喧伝された。


 ダリアスライス王国においても本件は人々の耳目を集めた。

 ダディストリガ・バリアレオン・ティエトマール剣将が最も興味をそそられた人物であったろう。彼は一日、早速入手した街の読み売りを元に、若い剣士仲間と昼食をとりながらこの一件を語り合った。


「気骨ある人物、とはかねがね聞いていたが、そんな生易しい御方ではないな。

 我が主君に仰ぎたいとはゆめ思わぬが、エルンチェアがごとき王権国家であれば、彼のような指導者はうってつけだろう」

「全くだな。

 これで彼に逆心を抱く者は、過去はともかく現在はおらぬようになったのではないか」


 意見に首肯したのは、その師団に籍をおく若い武人フィリケルド・グリスレオン・ユグナジスである。

 ダディストリガと同年の二十六歳で、師団においては中堅武官たちのまとめ役的な存在だった。


 二人は、他人のいない場所では同格で語り合う仲で、互いに気のおけない良き友であった。

 彼らは、城内にある高位宮廷人向けの休憩用の美麗な一室で軽食を共にしている。

 香辛料をたっぷりきかせた鶏肉の煮物とクエラ、煮こごりという、武人らしい質素な品揃えの円卓を囲んで、すでに一刻半ほども話し込んでいた。


 ダディストリガの手にある読み売りは、エルンチェアに好意的な文体でほぼ占められている。

 この事は、先方が情報を統制しておらず、むしろ積極的に流布しているであろうことを示している。

 ブレステリスの暴慢をエルンチェアは看過する事なく、近々その責任を厳しく問うであろう――といった意の結びに、ユグナジスは注目し


「これは、戦争を前提にしているな。

 以前おぬしに聞いたあの両国が決裂するだろうとの予想が、いよいよ本格化しているのだろう」

「ああ。恐らく近いうちに正式な開戦の通牒が来る、とおれは見ている。

 記事の流布は、そのための布石と見るべきだろうな」


 ダディストリガも賛意を示した。

 彼らの予想は正鵠を得ているであろう。


 開戦にあたっては、自国の正義を大声で主張する必要がある。逆に言えば、戦争をする気がなければ長い友邦国の「血迷った蛮行」を固く秘して、水面下での解決策を講じるはずである。


 それをしなかったという点から見て、エルンチェアは大義名分を得るべく他国におのれの正当性を認めさせ、迅速に戦争状態へ突入する意図を有しているに違いない。

 北方と膨大な塩の取引を行っているダリアスライスとしては、勝手にしろという態度をとるわけにはゆかない。


「して、我が宮廷には調停に乗り出す腹積もりがあるのか」


 重要な事を、ユグナジスは訊いた。ダディストリガの返答はきわめて簡潔であった。


「いや」


 そうしたいのはやまやまである。が、国内情勢が定まっていない。

 具体的には、王位継承権問題がおよそ円満解決からほど遠い状態である事が、ダリアスライスをして戦争回避に動き出しかねさせている。


 王の実子で唯一の成人男子であるランスフリートが、王位継承を確実化しなければ、王の舅バースエルム家がどのような策を講じてくるか。ましてランスフリートを骨抜きにしている――と、ダディストリガには思える――ティプテ・ワルドが、事もあろうにそのバースエルム一族の血縁者なのである。


 ティエトマール家にすれば、これほど危険な状態はない。現状、エルンチェアの外交問題に手を出せる余裕は、とてもあったものではないのだ。

 ユグナジスは、むろん心得ている。


「だろうな。鍵は、ランスフリートどのが握っているというわけだ」

「そのとおりだ。あれさえしっかりしておれば、おれも大父さまも北方問題に専念できるのだがな。

 あれが、未だにあの危険な女と手を切ろうとせぬゆえ、これほどの重大な案件だというのにろくな手も打てずにいる」


「おぬしもいろいろ、苦労するな」


 友人の心労を、ユグナジスはよく理解する立場にある。心底気の毒そうな表情を作ったものだった。

 もっとも、ダディストリガは喜ばなかったが。


「よせ。同情は好かん」

「怒るなよ。おれとしても、おぬしがそうも長く屈託している姿を見るのはどうにも苦痛でな。

 なあ、ダディストリガ。ランスフリートどのを何か役職につけるというのはどうだ」


「役職につけるだと」


 予想外の提案に、いささかならずダディストリガは意表を突かれた。

 驚きの表情で自分を見やっている友人を、ユグナジスは笑顔で見返した。


「そうとも。

 ランスフリートどのは、こう言っては失礼ながら無為徒食の日々を送っておられるのだろう。

 思うに、それがいかんのだ。時間が余りすぎているから、ついつい女のことに頭がいってしまう。

 多忙になってみろ、それどころではなくなるに違いない」

「なるほど」


「おぬし、自分の事を顧みてみるがいい。

 毎日公務で謀殺されてくたびれ果てて帰宅して、そのうえ細君にもとやかく言われ――あ。いやそのう、ジュリシアどのは別格だがな――ともかくだ。

 そういう状態で、女をかわいがろうなどという気力が湧くと思うか」

「それは、そのとおりだな」


 ダディストリガは感銘を受けて大いに首肯した。

 言われてみればなるほど、ランスフリートの日々は全くの無為である。むろん老チュリウスに考えがあっての事だが、しかし見方を変えれば、若い健康な男が時間を持て余して益がある事は通常、無い。現に、弊害が出ている。ユグナジスはさらに言を継いで


「男は仕事だぞ、ダディストリガ。


 冠爵閣下のお考えは、おれにもわかる。実務に携わる者にすれば、国王陛下には行政へのお口出しを控えて戴きたい、国政に関心をもたれすぎるのも喜ばしからぬ話だからな。

 閣下も、その点を踏まえてランスフリートどのにはあえて国政に関わりをもたせぬよう、配慮なさっておられるのだろう。それはそれで重要な事だ。


 しかし、その結果ランスフリートどのがろくでもない女に引っかかり、足をすくわれてしまっては、元も子もなくなるではないか。

 あまり立ち入らせないていどに、何かやり甲斐のある職務を与えてはどうかと思う。仕事を始めれば女どころではなくなるさ」


「妙案だ」

 ダディストリガは喜んで友人の提案を受け容れた。


「今夜にでも大父さまに相談してみる。

 助言、感謝するぞ。フィリケルド」


「何の。役に立てれば、おれも重畳だ」


 ユグナジスは朗らかに笑った。その陽気な声には友人への心遣いがあふれていた。



 フィリケルド・ユグナジスの提案は、老チュリウスにも手放しで受け容れられた。

 外出禁止を命じられて以来、とかく自室に引き篭もりがちなランスフリートを、チュリウスは強引に居間へ呼びつけると、ダディストリガが見守るなか明日からの宮廷出仕を申し渡した。


「よいな。おまえは明日から、わしとともに登城するのだ。

 役目は文務総裁職補佐官とする。わしの傍らにおって、公務とはどういうものかとくと検分せよ」


「はい」


 ランスフリートは目を伏せ、無感動な声で応えた。

 突然の命令に驚くわけでもなく、反発の姿勢も示さない。といって、役職を与えられた事を喜んでいる様子でもない。


 秀麗な容貌は、およそ生気に乏しかった。声に張りも無かった。あたかも人形が話を聞き、返事をしているかのように見えた。

 ダディストリガは、従弟の病的な無気力ぶりに眉をひそめたが、祖父を差し置いて口を出すわけにもゆかず、唇をぐっとひきしめ、相変わらずの巌を連想させる謹厳な姿勢を固持していた。


 彼が見るところ、従弟の精神状態はそうとうに危うい。過日、激しい口調で言い争いをした際のランスフリートは、ともかくも気力に満ちており、何かとうるさい従兄に対して抗うだけの精神的な強さをもっていた。


 だが、最近では顔を合わせるのも嫌がり、会っても説教に反論を加えようともしていなかった。

 反発する手間も惜しいというところまで、従兄への嫌悪感が高まっているのであろうが、精神力そのものが減退しているようでもある。

 さすがに、ダディストリガは見過ごせなかった。ランスフリートが居間を辞去すると同時に、彼は従弟を追いかけて、暗い廊下へ灯りも持たずに飛び出した。


「待て、ランスフリート。待て」

「用は無い」

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