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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第七章
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流血は祭に潜む6

 彼は夜の風景から、室内に視線を転じた。

 晩餐会は解散が早かった。長い夜の空腹凌ぎとして、部屋には酒肴が届けられており、卓上に置かれた皿の中身も、ブレステリス人の嗜好に合わせてあるものばかりだった。


 エルンチェアでは、素朴で豪快な料理が好まれる。しかし、ブレステリスは南国ヴェールトと連峰越しに背を合わせる土地柄のせいか、もう少し料理に手をかけたがる。


 香味野菜や香辛料を南国ばりに多く用い、じっくり蒸し焼きにするのが当方風である。

 その通りの料理が用意されている。


「ありがたいが、今となっては、かえって気が置けるな」


 酒を飲んでぼんやり過ごしている体を装うのが、心情としては精一杯で、肴に手を伸ばす気分にはどうにもなりにくい。

 虚しく冷めてゆくのを、黙って見やる。


 が、ほどなく廊下が騒がしくなった。

 父が戻って来たと見える。


 ゼーヴィスは杯を卓上に置いて、姿勢を正し、出迎えの格好を整えた。

 果たして、父である護衛団長が、転がり込むようにして室内に姿を現した。


 扉が閉まるまでは、かろうじて外聞を憚っていたようだが、いざ息子と二人きりになった途端、顔色を失って、椅子に崩れ込んだ程の困憊ぶりである。

 ゼーヴィスは驚いて駆け寄った。


「父上、父上。

 お気を確かに」

「恐ろしい」


 護衛団長は半ば放心している。


「何という恐ろしい御方におわす。

 ゼーヴィス。わたしは、この世に生まれて四十四年ばかり経つが、薄笑いを浮かべて人を手にかける事が出来る御方を、今日初めて見た」

「……王太子殿下にあらせられますか」


 意外のあまり、訊かでもの事をつい訊いてしまった。

 団長は息をつき


「笑っておられた。

 わたしは、確かに見たのだ。

 殿下は、我が方配下を御手討ちあそばされた。二名。笑って」


「何と」


 軍服での謁見式臨席を見て、既に常人ではないとの印象を濃くしていたが、その証言は想定外だった。

 打ちひしがれている父は、さぞやの光景を目撃したのであろう。


 ゼーヴィスは卓上に目をやり、水差しを見つけると、椅子から離れた。

 空いていた杯に冷水を満たして、心労を抱え込んだまま椅子に全身を預けている父へ差し出す。


 水をがぶ飲みして、人心地ついたのだろう、自然と上体が起きた。

 改めて吐息する。


「有り得べからざる事態だ。

 今後、どうなるやら知れたものではない。

 獄舎行きも、覚悟せねばなるまい」


「父上。

 お言葉ながら、それは無いと思います」

 ゼーヴィスは、きっぱり否定した。


「殿下が御瞋恚にかられあそばし、仇討ちとして我が方配下を御手にかけられたなら、可能性は無きにしもあらず。


 しかし、笑っておわしたなら、何らかの御考えあっての事かもしれません。

 もし左様な思し召しにおわせば、我らはとうに獄舎へ下っておりましょう」


「うむ」


 息子の言葉を聞く父だったが、同意を示す動作は弱々しい。

 仮にも経歴が長い武人を、こうまで弱気になさしめるとは。他にも何かあったのかもしれない。

 ゼーヴィスはかがんで、父の背中をさすりつつ、耳元へ口を寄せた。


「父上。

 殿下を弑し奉らんとの試み、我がブレステリスの所業でございますか」


 小声で尋ねる。

 父は、急に生気を取り戻した。眉をしかめ


「ばかな。

 断じて我らではない。

 我がブレステリスに無実の罪をなすりつけんとする、グライアスの所業よ」


 厳しい口調で疑惑を否定した。心底から腹を立てているらしい。


「東め。

 己が戦を欲しておろうに、我らを無理やり身代わりに仕立てようと謀りおったわ」


「やはり、グライアスには下心がございましたな」

「何が、独立国への敬意だ」


 鋭く怒りを口にする。


 ゼーヴィスは、卓上の冷めた料理を軽く振り向いた。

 なるほど、エルンチェアは美句麗言を並べこそしないが、態度ではそれなりの敬意を表している。

 翻ってグライアスは、この体たらくである。


 先方の外務卿は、何やら聞こえのよい言葉を振り回したらしいが、二万サハードにも及ぶ大量の塩輸入を要求した末に、望んでもいない王太子暗殺事件の実行まで当方に押し付けてきた。

 さて、どちらが好ましいか。少なくともゼーヴィスには自明だった。


「いつのまに、我が方配下の者を手なずけたものか。

 調べる必要がありましょう」

「無駄だろう」


 父は大きく首を振った。


「調べようがない。


 あの愚か者ども、二人までは殿下御自らの御手討ちに遭い、残りの一人もエルンチェアに身柄を抑えられておる。


 我らが訊いたところで、まともな回答など望むべくもない。


 こう言っては何だが、我らにもな。清廉潔白かと問われれば、決して胸を張れない事情もある。

 下手に騒いで、そちらまで露見しては」


「一理ございますが、それでも限られた範囲であれ、やはり調べた方が宜しいかと存じます。


 東が、我らにどのくらい手を伸ばしているのか。何人を抱き込んで、意のままに操っているものかを知らねば、また同じ事が起きかねません」


 彼の不安は、もっともである。

 下級剣士とはいえ、三名ものブレステリス人がグライアスの使嗾しそうに乗ってしまっている。


 彼らだけで済むものだろうか。

 より上位の、国策決定に影響力を有する貴族は、東側についてはいないのか。


 万が一、東の思惑を忠実にこなす役目を負った者が宮廷で力を振るえばどうなるか。


(代理戦争をさせられかねない)


 そう思うと、居てもたってもいられない程の焦燥感がこみあがってくる。

 父は、少し黙っていたが、やがて


「……伝手をあたってみよう」


 静かに言った。


「わたしは武人で、宮廷にこれといった有力な人脈は無いが、それでも長く城勤めをしてきた。

 経歴相応の知り合いは、一人二人くらいならおる。

 おまえも、探れるだけ探ってみよ。必要なら、わたしの名を使っても良い」


「かしこまりました。

 父上、ありがとう存じます。


 わたしもブレステリス生まれの武人です。祖国を勝手にされて、見過ごせる程には呑気ではございません」


「そうだな。

 我らはブレステリスの武人だ。その誇りを踏みにじられたとあっては、引き下がってもおれぬ」


 父は立ち直ったらしい。ゼーヴィスは安堵した。

 次は、目下の問題をどう解消するかである。


「ときに父上。

 それはそれとして、エルンチェアには謝罪せねばなりますまい。


 我が方の企みではないと、先方も恐らく承知ではございましょうが、実行したのは遺憾ながら我が配下です」


「その事だがな」


 護衛団長らしい、引き締まった様子を取り戻して


「おまえに頼みたい」

「えっ」

「訳がある。

 実を言うとな」


 父は詳細を語り始めた。

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