流血は祭に潜む4
※ 本文の最後に残酷表現があります。苦手な方はご注意下さい ※
「出自は紛れもなく、ブレステリス人に相違ございますまい。
言葉には、独特の訛りがございました。身分はあまり高くないものと考えます」
発音に出る地方の特色は、上流の出であれば教育によって隠される。宮廷の言い回しは、いうなれば一種の共通語である。
言い方を変えるなら、訛りにまで注意を払わないと、出身を偽ってもすぐ露見する。
すなわち暗殺を試みた三人は、身分が一定以下のブレステリス人という推測が成り立つのだった。
「問題は、この一件の首謀者であるか否か、でございましょう」
ダオカルヤンが答えると、ジークシルトも深く頷いた。
「どうもな、やりくちが粗雑すぎる。
事の成否に構っておらぬと言うか、おれの生死に関しては、どうでもよいと思っている節がある」
「如何なる御意におわしますか」
「なに、連中に聞けば判る」
訝しむ腹心を、ジークシルトはいなした。思考は既に別のところへ向けられているらしい。
「つくづく、腹立たしい連中だ。
どうせ粗雑なやりくちなら、いっその事おれの屋敷に切り込んで来て欲しかったぞ。
パトリアルスの名が出たとあっては」
父を相手に、どう弟を庇うか。自分に対する暗殺未遂事件よりも、彼にとっては重大な案件だったのである。
少しの間をおいて、彼は半ばあきれているダオカルヤンを見た。
「ともかく、城へ行くぞ。こんなところに長居は無用だ」
今や、父との対面は避けられない。とりあえず心の準備は整ったと見えて、城本丸へ続く砂利道を歩き出す王太子だった。
ジークシルト・レダオイン暗殺未遂事件は、ほどなく全宮廷人の知るところとなった。
就寝後まもなく急報を受けたバロート・レオルタス王は、寝台から跳ね起きて、関係者一同の招集を命じた。
直ちにツァリース大剣将が参上した。続いて、閣僚達が続々と集まって来、城本丸の大広間は二十名を越す人数がひしめき合う事になった。
落ちつかない雰囲気の中、ブレステリス使節団からも、代表者二名が案内されて来た。
外務卿と、あのゼーヴィスの父である。
使節団の護衛隊長たる剣将は、さすが気丈に振る舞っていたが、彼の上役はやや怯んだようすを見せながら、所定の位置まで足を進めて行った。
最後に、襲撃された当人を除いたエルンチェア王家の人々が現れた。
バロート王は冷ややかな厳格さを湛えており、王后クレスティルテは無表情だった。彼女は仮面を被っているかのように沈黙し、動揺の気振りも表わさず、用意されていた椅子に腰かけたものだ。
対照的だったのは、弟パトリアルス親王である。
秀でた額には汗が浮かび、顔色も悪い。一刻も早く兄の無事を確認したい思いを、かなり苦労して抑制しているように見受けられる。
その努力は、やがて報われた。ざわめく大広間に
「王太子殿下の御入来」
ふれ係の声が響いたのである。騒々しい空気が一瞬で静まった。
同時に緞帳が引き上げられ、室内と廊下とを隔てる大扉が重々しく開いた。
当事者が立っていた。先程まで着ていた簡素な室内着から、軍服に衣装を改めており、護衛の下級兵士十五名を従えている。
捕縛された暗殺者の小集団は、武装した兵士達に周囲を固められており、王太子に率いられた一団が前へ進み始めると、荒っぽく促されて嫌々ながらの前進を始めた。
悄然と歩みを進める襲撃犯三名が、目の前を通過した時、ブレステリス外務卿は
「げっ」
うめいた。剣将も、顔から血の気を引かせた。手が白むほど強く握り締められている。
彼らにとって襲撃犯とされる三名は、知らぬと断言し得る者達では無いらしい。
ジークシルトは、ブレステリス代表らのうろたえぶりを冷ややかに一瞥してから、父に向き直って姿勢を改め一礼した。
「夜分、陛下の宸襟を騒がせ奉りました」
「災難であったな。
して、その者どもらか。そなたの暗殺を企てたやつばらは」
王は、長男の命を狙ったという三人を睨め据えた。
武断王とも呼ばれるバロートの、苛烈きわまる視線にさらされて、暗殺犯のなり損ね達は身を竦ませ、一人などは小さく悲鳴をあげた。
「さて、これは面妖な。
そやつらの顔に、予は見覚えがある。しかし、予の臣ではない。
この顔ぶれは、そこもとらの中にあったという気がしてならぬのだが、予の覚え違いかな」
無表情のまま皮肉を述べると、王はブレステリス側の二名へ顔を向けた。
外務卿の喉が、ごくりと音を立てた。
甚だしい不利にあるのは重々承知の上で、しかし彼は釈明せねばならない。
口を閉ざしたまま、慌ただしく思案をまとめにかかる。
はっきりしているのは、例え黒を白と強弁してでも言い抜けなければ、祖国は進退に窮した挙句、滅亡を覚悟で戦争に臨む事態へと陥りかねない。その事実である。
時間の猶予は無いに等しい。
必死の体で知恵を絞ったらしく、外務卿は大きく息をつくと
「恐れながら申し上げます。
この者どもが当使節団の随行者でございますのは、まことに遺憾ながら事実でございます。
不肖の監督不行き届き、かくなる上はこの者どもを厳しく吟味の上、一族悉く成敗し、王太子殿下のご瞋恚を鎮めまいらせまする。
何を申すにも、我が国の不祥事。まずは心より謝罪申しあげ奉ります」
強いられた冷酷な決定に服したのだった。
いかように申し開こうとも、目の前の三人がブレステリス人である事は、もはや糊塗しようが無かった。何を思って逸ったのかは不明ながら、独断で事を起こした三名を突き放して身をかわすしかない。彼なりに、腹を括ったのである。
バロート王は獰猛なまでの冷笑を浮かべた。
「ほう、吟味と申すか。
ではこの一件については、貴公は全く与り知らぬ、存外のきわみであると申すのだな」
「むろんの事でございます、陛下」
外務卿は身を震わせた。演技ではなく、彼は本気で恐怖を覚えていた。受け答えを間違えば、この場で命を落とす。予感が脳裏に居座っている。
王は、ゆっくりと長男へ視線を向けた。
「ジークシルト。そなたはどう思う」
「外務卿どのの申し条は、誠にもっともであると考えます」
問われた彼は、しごく真面目な顔つきで、重々しく口を開いた。
「とまれ、一番確かな答えを持つのは、事を起こした者どもに違いございせぬ。
わたくしとしても、ぜひ知りたく思うところ。
殺されかけた当人としましては、一切を他人に任せてよしとは致しかねます。
従いまして、わたくし自身がこの場にて彼らを問い質したく存じます」
「なるほど。
そなたの気持ちは判る。予も同感だ。
そこもとらに異存は無かろうな」
静かに、だが拒む余地のない厳しさを口調に滲ませて、王は念を押した。外務卿は、否とは言いかねた。
「それはもう、御存分に」
「その言葉、しかと聞いたぞ」
ジークシルトは、相手の肝を冷やして余りある迫力に満ちた微笑を浮かべた。
文官の外務卿はもとより、武官として長い経験を有する剣将さえもたじろがせる、凄みの効いた笑みであった。
「わたしは見ての通りの武辺者。気立ても、残念ながら紳士には程遠い。
少々手荒な手段を用いて尋問を行うが、よろしかろうな」
「は。
殿下のお怒りの程は、推察し奉りますゆえ、どうぞ御存分に」
応じる他は無い。外務卿は、出来るなら三名の身柄を奪還したかったのだろうが、どうにも無理と見たらしく、渋々同意したのだった。
ジークシルトはそっけなく頷くと、そこでやっと母へ向き直った。
「王后陛下。
これから先の光景は、貴い女性の御目にかけるには、いささかならず憚りあろうと存じます。
どうぞ、暫時隣室へお引き取りを。
パトリアルス親王。陛下を頼む」
「兄上……」
声をかけたい思いに焦れつつ、成り行きをじっと見守っていたパトリアルスは、緊張をほぐした。
かすり傷一つない兄の姿を自分の目で確認して、安心したのであろう。目を潤ませている弟へ、ジークシルトも一転して和んだ様子を見せた。
本来なら、母子の間でこそかわされるべき慈愛に満ちたやりとりは、だが兄弟間のみで終わった。
長男を凝視するクレスティルテに、相変わらず表情は無かった。パトリアルスは彼女の手を取ると、退室を促した。次男に伴われて、彼女は席を立って行った。
最後まで、表情は動かなかった。
去ってゆく母に、長男は無関心であった。
彼は傲然として襲撃犯を振り返るや、利き手を鋭く動かした。腰に佩いた柔剣の柄が握られる。
周囲が驚きの声を漏らした時、剣は鞘から抜き放たれていた。
抜き身の柔剣をぶらさげて、大股に三人の許へと歩み寄って行く。まず一人の眼前へ、切っ先を突きつけた。
「一度しか問わぬ。
真実を言え」
命令が下った。
襲撃犯の一人は首を何度も横に振った。覚悟を決めたのか、ひどく反抗的な視線で、自分が倒せなかった暗殺の標的を睨み上げた。
「言うべき事は無い」
怒りを込めた返答だった。
美貌の王太子は、やおら剣を振り上げた。
「ならば、死ね」
冷酷な宣言もろとも、白刃を男の首へと食いこませる。
渾身の一撃である。柔剣は空を裂き、男の肉をも裂いた。
骨が砕ける音がして鮮紅色の血しぶきが激しく跳ねて飛び散り、ごく短い、しかし凄まじい悲鳴が上がった。
その瞬間を目撃した者も、一人の例外無く声をあげた。驚きの叫び、嫌悪の声、そして感嘆。三種類の声が、大広間をまたしてもどよもした。
ジークシルト・レオダインが、初めて人を殺めた瞬間であった。
当人は、自らの手を人血で汚した事実には、何の感慨も覚えていないと見えた。
首の過半分を引きちぎられ、無残な姿で絶息した男には一辺の関心も示さず、むろん憐憫も垂れず、次の男へと足早に移動した。
二人めの刺客は、発狂寸前の表情で体を震わせていた。
声を立てる事も出来ずに、ただ口を大きく開閉させ、全身が干上がる程の汗を流し、両目を限界まで見開いて、彼は暗い任務を分かち合った同僚の死に直面し、更には自分自身の惨死にも直面しようとしていた。
彼は、何か叫びかけた。その叫びは、だが声になる暇を与えられなかった。
ジークシルトは、問いかける手間を省いて朱に染まった刀身を素早く振りかざし、男の顔面へと打ち下ろしていたのである。
額を割られた男は、眼球を露出させ、人血の赤と脳漿の白で自らの死に顔へ凄惨な化粧を施した。一言も発さぬまま、崩れ落ちる。
二人の返り血で全身を叩かれたジークシルトは、頬にべっとりと生血をこびりつかせ、白金の長髪も血糊でもつれさせて、凄まじい姿となっていた。
その様子で薄笑いを浮かべながら、最後の刺客を見つめる。
恐らくは意図的に、時間をかけて近づいてゆく。
身の至近まで、凄惨きわまる殺人者に近寄られた男は、物凄い喚き声をあげた。人の言葉では無かった。
ジークシルトは、襲撃犯の狂乱を平然と無視した。やはり何も問わず、剣を頭上へかざす。
「ま、待って――待ってくれえっ」
ようやく、最後の刺客は意味の通る言葉を口にした。涙を流し、身を激しくよじって、彼は叫んだ。
「止めてくれっ。
判った、言うっ」




