流血は祭に潜む1
朝。
まだ日も昇らぬうちから、王家居城の正門前には図案の異なる旗が二本、高々と掲げられている。
冷風の中を舞っているのは、エルンチェアとブレステリスの国旗である。
右は、黒地に鮮やかな黄糸で、炎の神が愛玩するという三つ首の猛犬が吼え猛る姿と交差する二本剣を縫い取った、やや剣呑な意匠であり、左は布地の中央を白く残して両端を深緑に染めあげ、中心に巨大な角をもつ高山の大型獣の首級を刺繍してある、無難と言える図案だった。
国柄がそれぞれに表れている。
本日、南隣国から使節団が当国を訪れるという。
丁度、秋の主要な行事である豊穣祭の前夜を迎える日でもあり、城はもちろん、首都全体が忙し気な雰囲気に包まれている。
大地との別れを惜しみ、来るべき雪との戦いに備えるための、祭は一種の儀式とも言える。
名称ほどには、実際は広くはない大通では、一年を通じて最大の規模となる豊穣祭の始まりを待ち構える人々で埋まっている。
店を構える商人は言うに及ばず、目ざとい近郊の村民達も恰好のかき入れ時とあって、早朝にも関わらず物売りに勤しんでいるのだった。
南方圏と違い、積雪がある北方では商店街に朝市が立つ事はあまりない。主流は「流し売り」と呼ばれる、行商人の路上商売である。
「さあさあ、早い者勝ちだよ」
「奥さん、祭を祝って鳥の足はどうだい。香草と塩汁に漬けてあるんだ、後は焼くだけ」
「箱の中が売り切れたらそれでおしまいだ、買った買った」
街角には、あちらこちらに人だかりが出来ていて、買い物客と商売人のやりとりが盛んだった。
流し売りは、余分な在庫を持たない。売り切れれば商売は終わる。
北方の祭の祝いと言えば、鳥の足を炭火で焼いた塩焼きが通り相場とあって、味が佳いと評価が高い行商人なら、身動きが取れなくなるほど客に殺到される。
「もうすぐ売り切れるぞーっ」
客呼びの大声に、売ってくれの合唱が呼応する。
その様子を、都市警備にあたる巡ら兵達が遠巻きに眺めていた。
「今からこんな込み具合じゃあ、先が思いやられるな」
誰かがぼやき、周りの同役も数人、一斉に頷いた。
「これから、隣国のお偉い様がお通りだと。
ブレステリスの使節団もまた、何だって豊穣祭の初日に来るんだか」
「あちらさんでも、祭だろうにな。
外国なんかに出張って来ないで、自分の国で鳥の足でもかじってりゃあいいものを」
「全くだ。
この人出を整理する方の身にもなりやがれ」
南の使節団は、あまり歓迎されていないらしい。それでも、彼らは明日の当番兵よりはましだと言えるだろう。
どの国でも、祭は三日間の日程で開かれ、中日は庶民向けの催しや、王室からの贈り物として酒肴と甘味が景気よく配られる。一番の楽しい日になるのが通例だった。
「今日を凌げば、明日は中日だ。
これもお役目、無事に乗り切るしかあるまいさ」
警備を担当する彼ら下級の兵士達は、苦笑いしながら時間が過ぎるのを待つのだった。
南から街道を進んでくる一団は、馬車が三台と歩兵三十名で組織されていた。
エルンチェアの王都を目指す、ブレステリス使節団である。
外務卿と補佐官、下役、護衛の軍人という常識に則った構成で、指揮官は熟練した剣将とその息子だった。
もっとも、携えて来た訪問理由については、必ずしも常識的とは言い難かったが。
二人は乗馬しており、轡を並べて歩兵を従え、北西に向かっている。
「父上。城外門が見えて参りましたな」
ゼーヴィス・グランレオンという青年が、父に声をかけた。
前方には、都市の出入り口である大門が姿を現している。
この時代の街、特に王族が住む首都は守りが堅い。
都市周辺には石を積んで防壁を築き、通行に対しても厳しい監視が施される。
まして、王城を擁する首都ともなれば、街道と都市を隔てる門扉が存在しないなど、南北共通して有り得ない。
門兵がずらりと並ぶ、一般に城外門と呼ばれる、いわば街の顔が視界に入っていた。
父が頷くのを見たゼーヴィスは
「旗手、前へ」
国旗を持つ兵士に前進を命じた。二名が列から離れ、馬よりも先頭に立った。
「旗竿、垂直にッ」
号令と同時に、行軍中は少し前方へ傾いでいた竿が立てられる。ブレステリスの国旗である白と深緑の鹿頭旗が掲げられた。
前方でも動きがあった。
同じく、黒地に黄色の神犬旗が、竿ごと立ち上がった。左には鹿頭旗がある。
ただちに素早い動作で校差が行われ、兵士達が姿勢を正した。
外国の来客を迎える儀礼である。彼らも、こちらを認識したのであろう。
胸中の本音は別としても、礼については非の打ちどころが無い端正なものだった。
先導役らしい兵士の挨拶があり、一行は目抜き通りへ案内された。
螺旋の街と称される通り、エルンチェア王都は複雑な造りをしていて、道を知らない者が自力で城に辿り着くのは困難とも噂される。
なるほど、とゼーヴィスは、入り組んで曲り道が多い大通りを馬の背に揺られながら進みつつ、得心したものだ。
彼の故郷であるブレステリスの都市も、エルンチェアに準拠した造りをしているが、こうも頻繁に右だ左だと曲がったりはしない。
この国に多い寒白の街路樹も、あまり目にする機会が無く、冬も落葉せずに白く染まる独特の樹木を目にしながら、外国を訪れているのだと実感していた。
(城の姿は、我が国と変わらないようだな)
たっぷり曲がりくねって後、ようやく王城が見えて来た。
高塔式とも呼ばれる、いかにも北方建築らしい、飾り気がまるで無い城の外観である。
南方様式は平屋造が基本だが、北方では降雪に耐える事を主目的として、円錐状の塔を建てるのが通常なのだ。
まことにもって美麗とは縁が無く、国旗の存在だけが唯一と言ってよい装飾とあっては、例えば南方人であれば、一目では城とは思わないかもしれない。
もっとも、城の住人に言わせれば
「祭の期間につき、十分に飾っておる」
憤慨するに違いなかった。
城の正門には、大陸の宗教であるユピテア教の、繁栄祈願を意味する神印が下げられ、しかも白と緑の彩色も施されていた。
下向きの正三角形で、左の一辺には鈴、右の一辺には木の実、上の一辺には蝋細工の花が結び付けられている。
三辺全てにブレステリスの象徴色が配されているのは、つまり歓迎の意であろう。
正門が開かれた。
出迎えには、外務卿が直々に足を運んでいた。
「遠路はるばる、御無事のお渡り。祝着に存じます」
惜しげも無く喜色を浮かべ、たいへん愛想良く、彼は軍人達を労った。まだ馬から降りていないのに挨拶されて、ゼ―ヴィスも父も驚きを隠せなかった。
主賓たるブレステリス外務卿に至っては、降車の際に王族もかくやと言わんばかりの恭しい礼を捧げられ、さすがに居心地が悪そうな表情を作った。
当国外務庁の長官を守る兵士は、行儀こそ良いものの一様に白けた表情をしている。ゼーヴィスは見逃さず、また
「見苦しい」
かすかな苦言も聞き逃さなかった。
城内に流れる無音の不協和音に、否応なく気づかされたのだった。
使節団一行は、城の第二謁見室へ通された。
まずは王族の謁見式がある。
これも、レオス民族の感覚に照らせば、相当な破格の待遇と言える。
どの国でも王族は、そう簡単には目通りを許さない。
連枝が同行していれば話は別になるが、他国の臣下へ拝謁が認められるのは、通常は余程早くとも到着の翌日である。
エルンチェアの長い友邦であり、王后生国という実績があるからこその例外だった。
薄暗い廊下を歩きながら、ゼーヴィスは、遠慮しながらも興味深く城の造作を観察している。
(何と殺風景な城だ。一幅の絵画すら飾っておらぬとは)
北方様式に忠実な造りであるため、王家居城は、自国王城とほとんど変わりはない。しかし、内装は似ても似つかなかった。
外観が武骨である分、ブレステリスでは内装に手をかけている。
壁を絵画なり彫刻なりで飾り、廊下の随所にも季節の花を生けた壷を配置するなどして、華美とまでは言えぬにせよ、そこそこ目を楽しませる工夫を凝らしているものだ。
この城には、だがそれが一切無い。ひたすら無粋なのである。
(城の装飾を禁ずるといった家訓でもお有りなのか)
ついそう思ったほどだ。
当代の王后クレスティルテ・フローレンは、成婚当時さぞ当惑しただろう。同情の思いが込みあがる彼だった。
やがて。
歓迎を受けながら謁見の間に足を踏み入れた一行は、待つほどもなく、王族との顔合わせを果たした。
万雷の拍手とともに、正面の緞帳がするすると上げられ、謁見席に座する人々が現れた。
「おお」
どよめきが、使節団の中から沸き起こった。




