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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第六章
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内乱勃発す1

 激しい雨音が辺りを包み込み、ある人々の怒声をかき消している。

 頻繁に響き渡る雷鳴と、夜空を白熱させる閃光、横殴りに吹き付ける暴風。その嵐を掻いかいくぐるようにして、鎧姿の男達が往来を駆けてゆく。

 ざっと数えただけでも五十名は下らない。


「逃がすな、必ず捕らえよっ」


 頭だった男が部下達を盛んに叱咤する。彼は兜の前を開き、雨風を顔に浴びているが、気に留めてはいなかった。

 関心は、違うところに向けられている。


「場合によっては斬れッ」

「宜しいのですか、隊長どの。

 あの男にはまだ聞かねばならぬ事が」


「生かして帰すくらいなら、見つけ次第に口を封じる」


 副長と思わしい剣士の問いを、指揮官は皆まで言わせなかった。焦りの様子が見受けられる。


「例の件、構えて先方に知られてはならんのだ。

 あの男が逃げおおせたら、我らも生きてはおれぬものと思え」

「はっ」


 それが冗談や威嚇の類ではない事を、副長は上官の表情から読み取ったのであろう。俄かに顔つきを改めた。


 嵐の様相は深刻さを増す一方で、追跡者達にとってはまことに具合が悪い。

 しかし、逃亡者に利するかといえば、決してそうではない。


 五十名を越える兵士の一隊に追われる男もまた、立つのも難儀する猛烈な突風に翻弄され、氾濫した川のような街路で絶えず足を滑らせ、目指す方向には容易に進めないでいる。

 仕方なく街の裏通りに身を潜ませ、建物の陰で暴風雨を凌いで時間を稼ぐ方策を採った。


「ええい、間の悪いっ」


 南方圏の最南端、通称を南西三国というこの地方では、季節に関わりなく嵐が上陸する。

 先日は通り雨で済んだのだったが、あれはどうやらほんの小手調べ、あるいは先ぶれとでも言うべきものだったようだ。本日は本領が発揮されている。


 雷は時間を置かずに連続して鳴っている。いや、繋がった爆音である。耳が潰れる錯覚を起こす程の大音量が、頭上から降り注いでくる。


 雨はもはや滝と区別が付かない。まともに受けたら体に痛みが走る。

 何よりも、風に閉口させられた。南西から吹いてくる暴風が、ある商店が掲げていた大きな一枚作りの看板を軽々ともぎ取って、路面へ盛大に叩きつけるのを、目の当たりにしたばかりだ。


 更に、家屋の壁から建築材が剥がれ、風に攫われて転がって行った。岩場から切り出して磨きをかけた重い石が、である。

 あんなものが頭にでも当たったら、兜どころか雨避けの笠帽子さえ被っていない彼はひとたまりもない。


(冗談ではないぞ、追手を撒いても嵐に殺されては何にもならん)


 商店街の裏手にあたる細い路地で、雨を吸い込まないよう慎重に息を調え、なるべく体を縮ませて、逃亡中の彼は思案に暮れている。


 どうしても、生き延びなければならない。ここで死ぬわけにはいかない。

 執念が、彼を支えた。


 文字通り這ってでも城下に広がる商店街を抜けて、所定の場へ復命する。

 自分に言い聞かせて、男は雨足が弱まるのを待つと決めた。



 南西三国を襲った嵐は、三日間に渡って地上の全てを散々打ちのめし、蹴散らして、ようやく去って行った。


 残されたのは、かつてそこに家屋があったのであろう石造りの基礎、割れ崩れた壁、道という道に溢れた汚水、根が空を向いている大木、等々。無残な街の姿である。

 それでもここは王都であり、城周辺は水はけが良いよう整備されている。かろうじて水害は免れた。


「ひどいもんだよ」

「まぁ、今回は死人があんまり出なかったらしいじゃないか。

 いつぞやの大難に比べれば、まだましってものさ」


 人々は諦めきった様子で、後始末にかかっている。


「思ったより早く水が引いたなあ」

「これだけでも儲けもんだ。

 浸水くらい嫌なもんは無いからな」


 自宅の修復にかかっている男達は、心底から安堵している様子を見せていた。

 嵐に伴い街が汚水に浸かってしまう事態は、市民が最も厭うところだった。


 水害の後は、街中に長らく悪臭が漂い、井戸を始めとする生活設備が使えなくなり、そのうえ疫病が流行する。家も汚泥にまみれて、立ち入りさえ困難になる。


 今回は、路面にはまだ名残があるものの、本格的な浸水被害は今のところ聞こえていない。

 市民達がほっと息をついた時。


「おーい、人が死んでいるぞう」


 街の一角が騒がしくなった。


「何だ、また死人が見つかったのか」

「これで十人めだな。気の毒に」

「商店街の裏で、誰か死んでいるらしい」


 ざわつく人々の目前を、やがてその不運な死者を乗せた台車が通過していった。

 粗末な作りの荷台に、有り合わせらしい敷布をかけられた姿がある。


 ちらちら見える手は既に生気を失っており、その人物が命を失ってからそれなりの時間が経過している事が判る。


 目隠しの敷布からはみ出している髪の色は黒い。


「この辺りのお人かねえ」

「さあてなあ。顔が見えないんじゃ判らんよ。

 黒髪の男ならたぶん、トライア人だろう」

「じゃあ、出稼ぎかねえ。

 街に出てきてこんな有様じゃあ、村で待っている家族も救われないじゃないか」


 運ばれてゆくその痛ましい姿を見送る市民達は、口々に同情し、祈りを捧げた。

 しかし、真相は違っていた。



「とにかく探せ。

 あの嵐の中、遠くまで行ける道理は無い。

 必ず、街のどこかに潜んでいる」


 街の再建に尽力する市民を尻目に、城の一部では兵士に向けて厳しい達しが出されていた。

 さる筋の意向を配下に伝える役目についているのは、先日の追跡者達を率いた隊長である。

 一隊を探索に向かわせた後、茶色い髪の副長が


「隊長どの。

 あの男、生きていましょうか」


 疑問を呈した。半ばは願望だったかもしれない。

 訊かれた方は疲労の色合いが濃厚な表情で


「判らん。

 手傷を負わせた旨の報告は聞いておらんが、あれだけの悪天候だ、一晩以上も街中をさ迷っておれば、命を落としていても不思議ではないな。

 商店街では、十名程も死者が出ているという」


「率直に言わせて頂けるなら、死んでいて欲しいところですな」

「まあ、その方が話は早いだろうな。

 たとえ生きていたところで、どうせ国賊だ、永くはない。

 まったく、手を焼かせてくれおる」


 面倒げに首を振った。

 副長も同感の様子で深く頷いた。


「あのような不心得者に煩わされている時間が惜しいと感じます。

 早いところ、街の警備に戻りたいですな」

「ああ。

 一刻も早く解決して、市民達に手を貸してやらねばならん」


 彼らの会話が終わって程なく、一報が届いた。

 問題の商店街、路地裏において、男の死体が発見されたという。


 年のころは三十前後で、簡略鎧を着用し、頭部に兜は無かった。髪の色は黒、肌の色合いからして大陸の平民階級にあるトライア民族出身と思われる。

 追跡隊が把握していた逃亡者の身体特徴に、ほぼ合致する。


「どうやら、勝手に死んでくれたようですな」


 一件落着だと、関係者一同は緊張を緩めた。

 その認識が覆るのに、時間はかからなかった。


「違う、やつではない」

 検分の結果が届けられた時、城の一部は再び殺気立った。

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