運命は糾える縄6
「して。
根回しは、済んでいるのであろうな」
内務卿への問いかけが、密談の始まりを告げていた。
王后邸において開催されている秘密の夜会は、反王太子派が厳選した十余名にのみ招待がなされたものである。
北方建築の様式は、本丸を中心として幾つかの行政や軍事に関する施設が立ち並び、東西南北に王家の家族が住む屋敷が建てられる。
王の正室といえども、夫とは同居しない。その伝統があるからこそ、会合が開かれる余地があり、典礼庁が神経を尖らせる。
行政組織として格が高い内務庁責任者の手回しという事もあり、それなりの酒肴を調え、屋敷の大広間で密やかに語り合う場を設える事に成功していた。
「御意にございます、陛下。全て」
内務庁の長官が頷いた。屋敷の女主人は満足した。
「宜しい。
一同、よいか。わらわは既に決しておるのじゃ。
あの横紙破りに、我がエルンチェアの未来を任せてはならぬ。
聞けば、わらわの生国ブレステリスを、あれは露骨に軽んじたという。これは看過しえぬ」
「御意。
我がエルンチェアと友邦ブレステリスとの、長年に渡るよしみを破棄するが如き王太子殿下の御行為は、はばかりながら、賛同致しかねる御暴挙と思われます」
外商卿が、商談責任者としての意見を交えつつ王后に賛意を示すと、外務卿も大いに首肯した。
「国交を預かる者と致しましても、陛下の御生国こそ、我が国に最も大切なる友邦と心得ます」
「左様にございます。
外商卿の臣も、タンバー峠を失うが如き大失策を蒙っては、今後の貿易事業に難を来すは必定につき、引き続いてブレステリスとの良き関係を望み申し上げる次第」
両人は競うように言った。この間、アローマ内務卿は無言であった。
彼は、言葉で表現する必要を認めていなかった。何しろ娘を親王へ献上したのである。これ以上の意思表示は、他に無いと言っていい。
即ち彼ら三文官は、ジークシルト即位を不承知する、と暗に宣言したのだ。
エルンチェア王国第七代国王、パトリアルス・レオナイト。
これこそが彼らの望むところであり、クレスティルテの悲願でもある。主従は心を一つにした。
「一同の言は佳し。
なれば、わらわも安んじて我が腹案を披瀝しようぞ」
彼女は声を低めて言った。
王后の声は荒れる風の音と冬の雷鳴に、ともすればかき消されがちであった。
三名の文官は、息を潜めつつ聞き耳を立てている。
「ブレステリス宮廷では、パトリアルスの即位を望んでいる。
信頼し得る筋から聞いたのじゃ、この件、間違いはない」
クレスティルテは、外務卿をそっと見やりながら言った。その仕草は、彼女とブレステリス宮廷との間を、外交の最高責任者が取り持っている、と暗に示すものだった。
「彼らはかよう申しておる。
親王擁立について、支援を惜しまぬであろう、と」
「それは」
吉報、と膝を叩いて良いものかどうか。
他国の力を借りたとして、懸念すべきは、先方に内政干渉の口実を与えてしまう可能性である。
外務卿は既に案を聞かされているのか、比較的落ち着きを保っていたが、他の二人は慎重に顔を見合わせた。
彼らとしては、その危険を考慮せずにはいられない。
が、反面で、王后の言に理がある事を、認めないわけにもいかないであろう。
王太子擁立には、バロート王からして積極的である。以下、武官達にもジークシルトを支持する者が多い。
武官の統括者ツァリース大剣将などは、国王以上に筋金入りの王太子擁立派である。つまり、王太子陣営は武断派を掌握しているのだ。
彼らが危険を察知した時どうなるか。
想像するまでもない。屈強な武人たちが起てば、文治派がいかに結束しようと問題にせず、一日も要さずして武力鎮圧を成功させるであろう。
そうなれば、親王陣営に与した者達は、一まとめにされて処断されるのは明白だった。
成算も無く決起する事は出来ないし、成算をより高めるには、武力の背景が無い陣営としては、他者の支援を請うしかない。
斬首の憂き目を見るよりは、他国に内政干渉を受ける懸念の方が、多少はましというものだろう。
「お間違い、ございますまいな」
外商卿が念を押した。クレスティルテは彼を睨め据えた。
「信じられぬかえ。
申したはずじゃ、わらわは決したと。
非情の決意をもって、この件に臨んでおるのじゃ。ぬかりなどないわ」
その言は、三文官をして顔色を失わしめるのに不足は無かった。
事の成就のためには手段を選ばぬ、我が子を害する事態をも辞さぬ、と宣言したも同然である。
この決心をするに至るまで、彼女は彼女なりに苦悩し抜いたに相違なく、また一度心を決めたからには、失敗は許されぬ企てである。万全を期して手配しているに違いなかった。
「左様に思し召しであられるなら、陛下の御考えに、臣は賛同し奉ります」
アローマ卿が、まず決断した。
どのみち娘を差し出した彼には、進行方向を選ぶ権利は残されていないのである。
一人が腹を決め、残りの二人も盟友に和した。
クレスティルテは目を閉じていた。
輿入れから、早くも二十五年が経過している。男子二人を得たが、女性の幸福とは必ずしも合致しない結婚及び出産だったものだ。
思い出が蘇ってくる。
大陸随一の美麗な容姿と称され、夫も婚前に肖像画を一目見て
「この美姫を、ぜひ我が妻に」
熱望した。そう聞かされていた。
ところが。
いざ結婚してみると、夫は全く持って良人とは言い難かった。
正確に言えば、バロートは良き家庭人となる事に一片の興味も示さず、ひたすら国王であろうとし、彼女にも同じ事を強く要求したのだった。
最たるものは嫡男ジークシルトの取り扱いであろう。
現在の不仲、その遠因となったとある事件を切っ掛けに、彼女の心は一定の方向にのみ傾いた。
今、その傾きが激しい動きとなって現れ始めている。
瞼が開かれた時
「なれば、事の一切をその方達に任せる。
我が祖国と、このエルンチェアの未来を救うためぞ」
緑の瞳は決意の光に満たされていた。
他の席に挨拶回りをするとして、王后は席を立った。
起立して女主人を見送った三人も、席に座り直した際には厳しい面差しを作っていた。
「これでもう、後戻りはかなわぬ」
アローマが言った。
「我らは陛下の御承引を賜った。
先へ進むのみだ」
「承知している」
「むろんだ。
後は、手順をどのように整えるかだな」
「豊穣祭を用いる」
内務卿はかねてから思案し抜いていたのであろう。即座に応じ、説明を始めた。
聞き耳をたてている盟友二名が、次第に表情から血の気を引かせていった。
「ふむ……良い手だと思う。
しかし、危険でもある」
「危険はもとより了解済みであろう」
「いや、我らの身の上ではない」
外務卿が眉をひそめた。
「我らが御方の御身を、恐れ多くも危険にさらし奉る事になるのではないか」
「その懸念はもっともだが、心配無用と言っておこう。
我らが御方にあらせられては、必ずや例年通りにおわす。わたしには判るのだ」
「確かに、貴君であればその確信を持つに違いないな」
外商卿は静かに頷いた。
「手配は終わっている」
「それは重畳。さすがだ」
「わたしの方は良いとして、外務卿どの。
例の件、間違いは無いのだろうな」
「もちろん。
何度も確かめた。間違いはない」
「そういうわけだ、内務卿どの。
後の手はずはお任せするゆえ、必要な事があれば都度の指示を願う」
やや腰が引け気味な外務卿よりも、外商卿の方がより積極的だった。彼としては、貿易事業の今後を左右する重大事でもあり、責任者の立場から、心情的に内務卿と同調する気分が強いと見える。
外務卿の方は、外国出身の王后と接触する事それ自体が、他の行政組織の長と比べて格段に身の安全を脅かす要素に成り得るためか、保身について気を回している様子が見受けられた。
とはいえ、もはや引き返せないところまで来ている。
アローマ内務卿は改めて表情をひきしめ
「では、ご両人。
事の成功を期して、杯を交わそう」
強酒が注がれた陶器製の杯を手に取るよう、盟友達を促した。
この時、パトリアルスは自身の意向とは関係なく、反王太子派の象徴に祭り上げられたのだった。
もつれ合い、絡まり合う運命の縄が、確実に王子兄弟を縛り付けてゆく。




