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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第五章
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運命は糾える縄5

「いや。公式には無用だ」

「では、善処致します。」


 ラミュネスは静かに答え、ジークシルトは軽く頷いた。

 両者の意図は一致している。


 この場合の「善処」とは、典礼庁が公式に動くのではなく、役人が個人として密かに探るという事を示している。


 王族の動向に注目するのは、典礼庁の、実は重要な任務なのである。

 城内の日常を取り仕切るのも、行事予定を計画するのも、国外から王室に密通の手が伸びないよう防衛する意味を含んでいる。


 それでも、出し抜かれる時がある――今回のように。

 夜会が本当にただの単純な宴会であればまだしも、そうでない意味を持つのであれば、親王擁立派の活発な活動が目立ち始めている現状からして、看過はし得ない。

 場合によっては、対抗策を講じねばならないだろう。


「同時に、外務庁の様子も探っておかねばなりますまい」


 ラミュネスは落ち着いた様子で続けた。


「外務庁筋の情報によりますれば、ブレステリス側は、先頃彼らが申し出た塩の輸出量増量の件が却下された件を極めて重要視している模様。

 最新情報では、近々、重ねて本件の再考慮を要請するべく、使節団が我が国を訪問する由」

「ほう。諦めが悪いな」

「その際に、彼らが弟君擁立の支援を、王后陛下へ申し出る可能性も考えられます」


 ごく静かな口調で言ってのける。

 その意味の奥に潜む危険な響きを察したか、ダオカルヤンが顔色を変えた。彼は緊張の面持ちで、ジークシルトを見やった。

 だが、当人は冷ややかに口元を歪めただけで、動揺した様子は見せなかった。


「それに先立って、本日の夜会とやらで予備談合を行うか。

 ブレステリスめ、相当におれが目障りと見える。

 何しろ過日の会議では、おれが先頭を切って案件却下を唱えたからな。当然というものだ」


 ジークシルトは皮肉げな笑声を立てた。


「なるほど。

 確かにやつらの動向を探査しておくべきだな。

 外務卿は、おれを熱烈に敬愛しているとは到底言えぬ男だ」


 ラミュネスが頷いて、若い主君の見解に賛意を示した。


「外務庁長官並びに側近数名については、わたくしども典礼庁が要観察指定を取り付けております。


 近頃、彼らと王后陛下との関わりぶりには、主従関係に収まりきらぬ気配が見えておりますゆえ」


「親和論者ども、見かけによらず度胸があるな。

 他国出身の王后へ、殊に外務卿が接近すれば、典礼庁からどのように見なされるか。


 むろん覚悟の上だろう。命賭けで、父上やおれに逆らおうというのか。

 だとしたら、その勇気だけは褒めて遣わしてもよい」


「ブレステリスの、我が国に対する地理的優位を、さぞ高く評価しておいでなのでしょう。

 彼らを後ろ盾にしておれば、バロート陛下に対し奉り、多少の御譲歩を御期待申し上げられるはずだ、と」

「本気でそう思っているなら、正真正銘のばかどもだな。

 特に母上は、もはや救いようがない。


 二十五年も連れ添っていて、未だ我が武断王陛下の御人となりを、ご理解なさっておられぬか。

 そんな甘い認識が通用するものか、あの父上に。


 ブレステリス首脳陣も、負けず劣らずだ。こちらの内情をろくに承知もしておらぬくせに、余計な関わりを持ちたがるとは。


 きゃつらの目論見など知れている。

 大方、血迷った母上の後押しをして、与し易いパトリアルスを王座に据え、エルンチェアを己れに都合良く動く国に仕立て上げようとの腹であろう。

 図に乗りおって、属国づれが。小賢しいわ」


 ジークシルトは冷笑もろとも吐きすてた。

 それまで沈黙を守っていたダオカルヤンが口を開いた。


「ブレステリスがそこまで腹を括ったのは、何ゆえあっての事でございましょうか」

「ふむ」

「桁外れな大量の塩を欲した件といい、執拗に再考を求める点といい、殿下が仰せの通り、諦めが悪すぎます。

 何か裏が無ければ、こうも拘泥致しますまい」

「そうだな」


 若い武人の指摘には聞くべき点がある。ジークシルトは顎をつまんで思案顔を作った。


「峠を管轄する南と、峠の利権を欲する東か。

 何も無い、とは言いかねるな」

「まさか」


 ダオカルヤンは何事かを閃いた見えた。ジークシルトも同感だったらしい。


「おそらく、そのまさかであろうよ。

 断定するのは早計だが、考慮に入れておくに如くはない。


 使節団とやらがはるばるやって来るのであれば、尻尾を掴めるやもしれぬ。

 ラミュネス、その連中は厳重に監視せよ」


「仰せのままに」

「足労ついでに役立って貰うか」


 彼は幼馴染に目をやった。


「例の件だ。

 使節団をうまく使えば、あの節介焼きを出し抜ける」

「では、武断派の決起より先に」

「先手必勝だ。

 あいつをくだらぬ派閥抗争に担ぎ出そうと画策する連中、たとえ母と称するあの婦人であろうが、容赦は要らん。


 何をもって愚かな考えを起こしておるか知らんが、破滅したいならさせてやる。

 ただし、破滅は自分達だけでするがいい。

 弟を巻き込むのは、このおれが断じて許さん」


 冷笑の中に瞋恚が滲んでいる。

 ダオカルヤンとラミュネスは、顔を見合わせた。

 パトリアルスを権力闘争から守るとの、ジークシルトの決意は固い。彼らはそうと知った。



 パトリアルスはまだ知らなかった。

 兄が、彼を守ろうと決意し、誰を敵と見做したか。


 予定通り夜会は開かれ、予想通り兄は姿を見せなかった。

 失意の中、彼はとある若い女性に引き合わされ、王后邸にある美術庫で彼女と壁を飾る絵画を鑑賞していた。


 風景画が多い。

 そのほとんどが、ザーヌ大連峰を題材に取った画で、海の絵はせいぜい二点程しか無かった。


 緑涼しい山河の図は、母の故郷ブレステリス王国の景色であった。

 万年雪を戴く銀色の峻嶮、漆黒のざわめきを醸す広大な森影、濃緑な木立の中を迸る、雪解け水が形作る急流。


 これらは全て、山麓の風景群――海岸と平野で構成されるエルンチェアの国土には、求め得ぬ世界の姿である。

 彼女は一枚一枚を丁寧に鑑賞しつつ、遥か南西に広がる山と緑の異郷に思いを馳せていると見えた。


「見慣れない景色の絵に、戸惑われてはおられませんか。

 サラディーネ姫」


 上品に微笑しつつ、パトリアルスは声をかけた。淑やかな微笑みが戻って来た。


「いいえ。魅せられておりましたわ、殿下。

 これが、ブレステリスですのね」

「ええ。と言っても、わたしも実際に行った事は有りませんので、あまり偉そうに頷くのも気がおけますが。

  母上からよく伺ったものです。エルンチェアの山は、ブレステリス人には丘も同然と」

「まあ。左様にございますの」


 その美しい女性は、内務卿の一人娘で十七歳のサラディーネ・エリジアという。

 夜会が始まって早々に、母から共通する趣味があると聞かされ、さらに


「美術庫へ案内して遣わすがよい」


 二人きりになるよう計らわれた。父親である内務卿も同調し、暗がりだというのに嬉々として娘を預けて来たものだ。

 当惑しながら、彼は姫を案内している。


「確かに、あのザーヌ大連峰の麓に開ける国の人々から見れば、エルンチェアの標高の低い山など、山とは思いにくいかもしれません。


 森林らしい森林も、あまり有りませんし。

 母上が仰るに、我が国に比べれば、ブレステリスは緑の国なのだそうです」


「エルンチェアは青い国ですわ。海の青の」

「そうですね。古詩にもそう謳われています」


「存じておりますわ。

 青き衣、白銀の鈴。母なる水の女神はまとう大海原。

 我が北の地に大いなる恵みを賜いける。

 ラスライダルの詩ですわ。『塩の讃歌』の冒頭節」

「これは、感じ入りました」


 文芸研究に熱意を傾けるパトリアルスは、感動を隠さなかった。古詩を口ずさむ姫が居ようとは、彼は思っていなかったのだ。


 古詩とは、帝国時代に流行した文芸で、自然を難解な言い回しと比喩を、駆使して賛美する特徴をもつ詩歌である。

 恋愛や日常を物語形式で謳いあげるのは情感詩と称され、前者は男性、後者は女性の教養とされている。

 年若い姫が古詩を嗜むのは、通常はしたないという感覚で捉えられる。


「御無礼申し上げました、殿下」


 慌てて謝罪すると、サラディーネは頬を赤らめ、淡い紅色の唇を固く閉ざして俯いた。

 彼女は、自分の行為を酷く悔いているようだった。

 だが、パトリアルスは恐縮を当然とは見なさなかった。


「良いものを良いと感じ取る力に、男女の区別は有りませんよ、姫。

 わたしはラスライダルの詩がとても好きですから、好みを分かち合えるのは嬉しい事です」


 優しく慰める。


「古詩は男、情感詩は女性、などという区別は、わたしには無意味なものと思えます。

 姫がラスライダルを好まれたところで、少しも悪くはないのですよ。


 むしろ感動しました。古詩は難解なところが良いとされておりますから、区別が無くても女性から敬遠されがちだと思っておりましたので」

「殿下」


 サラディーネはまた頬を紅潮させた。今度は、感激のゆえであった。


「そのように仰って頂けて、嬉しうございますわ。

 わたくし、いつも母から叱られておりましたの。女性が古詩を嗜むものではありませんから、お止めなさいと」


「お止めになる事は無いですよ。姫が古詩をご研究なさりたいのなら、お心のままになさるが宜しいでしょう。

 姫は、ラスライダルをお好みでいらっしゃいますか。それとも『塩の讃歌』のみをお好みでしょうか」


「はい、殿下。ラスライダルの全編が好きですわ」


 パトリアルスの質問に、サラディーネは勇気づけられた。彼女は声を弾ませて答えた。


「『雷君を讃える詩』も」

「おお。それは嬉しい。

 わたしも好きです。彼の傑作だと思っています」


 同じものを好む意識が、絆となって一組の若い男女を結ぶ。

 しばらくの間、二人は互いの緑の瞳を見つめ合った。

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