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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第五章
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運命は糾える縄4

「パトリアルスだと。

 ばか、すぐ通せ」

「殿下。弟君おとぎみの御成りにございますか」


 ダオカルヤンはすかさず席を立ち、物腰も公的な場における武人のそれに改めた。

 まもなく、パトリアルスが現れた。


 常と変わらず、礼儀正しい。席を勧められるまで、空いている座席を見ようともしなかった。

 ダオカルヤンは、現れた第二王子に対し、踵を鳴らして肩に水平な位置まで腕を上げるという、端正な剣士の礼を捧げた。

 見事な変身振りである。非番で私服姿なのがいかにも惜しい。


「両殿下。それがしは、これにて失礼つかまつります」

「いや、退出には及ばぬ。わたしはすぐ帰る」


 温和な声で、パトリアルスは兄の若い側近が遠慮しかけたのを引き止めた。


「お休みのところを、突然に失礼致します。兄上」

「何、構わぬ。

 この嵐の最中にやって来るとは、余程の緊急事が生じたのであろう」


 ジークシルトは弟に席を勧めながら、親切に尋ねた。

 確かに、親王が用も無く来訪するには、本日は天候が悪すぎる。

 パトリアルスは、緊張した面持ちで頷いた。


「実は、兄上にお願いがございまして」

「何なりと言うがいい。

 おれに出来る事なら、尽力は惜しまぬ。どうしたのだ」


 ジークシルトは親身な表情で身を乗り出した。

 その様子を、ダオカルヤンは主君の椅子から一歩下がった位置に佇立して、静かに見守っている。


(殿下は、弟君にだけはお優しくあられる。

 それは、今はまだよいが、いずれは殿下ご自身をも苦しめられる結果を生むような気がするな)


 親ブレステリスを掲げる文治派貴族が、次の主君にと仰ぐ人物。

 それが、パトリアルスである。

 南の王室に連なる母から溺愛され、王位継承第二位にいる。彼を推す臣下達が権力闘争を仕掛けてくれば、この兄弟は対決を余儀なくされるのだ。


 当人同士が互いを憎悪し合っているのなら、いっそ事態は難しくない。ジークシルトは躊躇わずに、弟もろとも親王派を称する者たちを粉砕する事が出来る。


 しかし。当の王太子に、争う意志が無い。弟親王を倒して自らの権勢を固めようとは、夢にも思っていないのである。

 否応なく戦わねばならなくなった場合の、ジークシルトの心境を思うと


(おれなどが口を出せる筋合いではないが、何とかならんものか。

 せめて、パトリアルス殿下が御自身の現状を御理解あそばすように、兄君よりお言葉を賜るわけには)


 ダオカルヤンは居たたまれなかった。

 パトリアルスは想像もしていないであろう。彼は、兄が重用する若い臣下の存在そのものにも、注意を払っていなかった。


「今夜、母上が夜会を開かれるのです」

「夜会だと」


 ジークシルトは意外そうな声で問い返した。


「この嵐の日にか。間違いないのか」

「ええ。前々から決まっておりましたので」

「前々から」


 思案を巡らせているのか、彼は、やや返答の間を置いた。


「それは知らなんだな。

 しかし、母上も御酔狂な。このような日に夜会など、客が迷惑するであろうに。中止にはならんのか」

「はい。予定通りでございます」

「そうか。

 で、おれに願いとは何だ。母上に会の中止を進言せよとでも」

「いいえ。御臨席を賜りたいのです」


 パトリアルスは真摯な目を兄に向けた。ジークシルトは絶句した。

 ダオカルヤンも仰天した。何という事を仰せか。立場が許せば叫んだであろう。


(信じ難い事を仰せになられる)


 驚きながら、若主君の背中を注目した。

 ジークシルトは、彼にしては珍しく目を伏せて、考え込んでいた。継ぐべき言葉を探しているのかもしれない。

 沈思する兄へ、パトリアルスは


「兄上。

 ぜひ、兄上の御出ましをお願い申し上げます」


 非礼にあたるのを、それと承知しているらしく、おずおずした態度で要請を重ねた。

 ジークシルトは、ようやく態勢を立て直した。


「いや、それは出来ん」

「なぜでございます。今夜は御先約がお有りですか」


「そうではない。

 そのう――今夜の事を、おれは知らなんだ。


 恐らく、御予定ではおわすまい。

 呼ばれてもおらん者が出向くのは、御無礼であろう」


 慎重に言葉を選んでいるジークシルトの苦心ぶりが、ダオカルヤンには理解出来た。彼はひっそり首肯した。


(当然。お出ましなど論外だ。

 王后陛下に思し召しがお有りなら、とうに招待状なり使者なりが、王太子邸に差し向けられているはず。


 御誘いを賜った形跡が無いにも関わらず、御成りあそばせば、殿下はかかでよい恥をおかきになる。

 それだけではない)


 それだけでは済まないのだ。

 エルンチェア王国においては、王の権威は絶対である。

 もし、この大原則が否定されれば、専制主義で成り立つ王権国家は崩壊する。


 最高権威は厳重に守られなければならず、それは次の王たる王太子にも当てはまる。

 夜会を催すにあたり、親王を呼んで王太子を呼ばぬとは何事か、とジークシルトが言えば、母も立場を悪くする。


 露見すれば、その非を、太子は公式に問わねばならなくなり、政治問題に発展させずに処理する事は不可能となる。

 その時、隙を伺う国内外の「敵」が、どう動くか。

 政治判断として、ジークシルトは出席を見合わさなければならないのである。


(それが御判りにおわさぬのだな、パトリアルス殿下には。

 むろん、御当人さまは、ただ良かれと思われての事に違いないが……)


 善良な気質は、だが、その当人を必ずしも幸福にはしない。気の毒だが典型的な例だ、とダオカルヤンは心優しい親王のために胸を痛めた。


 パトリアルスは、どうしても出席を承知しない兄へ悲しみを込めた視線を送った。

 母と兄が仲良くなってくれれば。その橋渡し役になれたら。さんざん悩み抜いた末に、彼は兄を夜会に招待する事を思いつき、嵐をして王太子邸を訪れたのである。

 だが、うまくいかなかった。


「やはり、お嫌と思し召されますか」

「嫌とか良いとかではない。おまえの気持ちはよく判る。ありがたいとも思う。

 だが、この話は受けかねる。


 個人として、ではないぞ。王太子として、承知あたわぬ。

 それが、母上の御為でもある」


 ジークシルトは気まずそうに言った。


「……済まん。この嵐の中、わざわざ誘いに来てくれたものを」

「いえ。わたくしこそ、申し訳ございませぬ。

 兄上のお苦しい御立場を考慮致しませずに、至らぬ事を申し上げました。ご無礼、お許しを」


 パトリアルスは抑制の効いた声で静かに言うと、それ以上しつこく誘おうとはせず、立ち上がった。

 続いて退出の許可を請い、丁寧に一礼し、兄を寂しげに見やってから、居間を去って行った。

 見送ったジークシルトも、常に無く憂鬱そうな表情を作っていた。


「あいつは、おれが馬の件で母上と争った事を、自分の責任のように思っているらしい。

 気に病む必要は無いのにな」

「お優しい御方におわしますゆえ」


 ダオカルヤンは痛ましげに答えた。ジークシルトは少しの間無言でいたが、やがて表情を一変させた。

 先程までの楽しげな少年めいた顔とも、弟を思いやる兄の様相とも違う。

 敵を迎え撃つ戦士の表情だった。


「それはさておき、だ。

 母上の物好きにもあきれるが、事はそう単純な話でも無さそうだな」


 不快げに感想を述べた時、用人がまたもや来客を告げに現れた。

 今度こそ、待っていた人物であった。



 修学仕を務めて後、王太子付きの側近として取り立てられたのはダオカルヤンだけではない。

 彼と同年で二十二歳、異民族出身のラミュネス・ランドも気に入りの一人だった。


 緩く波打つ癖の有る黒髪と、同色の瞳を持つ童顔の若者で、小柄な体つきとも相まって、外見はまだ十代の少年のように見える。


 黒髪と童顔、小柄な体格は、ガニュメア人特有の特徴である。

 通例に従って、この若者も役所の事務官で、典礼庁という宮廷内部の庶務を担当する機構に身を置いている。


 幅広な襟の青い上着、黒い袖無しという地味な服装で、彼は王太子邸に姿を見せた。

 時刻は昼前、西刻の三課(午前十一時)である。


「夜会があるという。聞いておるか」


 ジークシルトは気忙しく、ラミュネスに挨拶の暇も与えないで本題を切り出した。

 居間の入り口で会釈しかけていた文官の青年は、急いで体を起こすと主君を見つめた。


「いいえ。

 どちらさまからも、届け出はございません」


 男にしては高い声が、冷静な声音で問いに答えた。表情も落ち着いている。


「殿下にあらせれては、お心当たりがおわしましょうか」

「母上だ」


 ジークシルトは気に入りの身分低い若者を差し招き、幼馴染の武人と並んで席につくよう手で指示しながら答えた。美貌がしぶく歪んでいる。

 ラミュネスも細い眉をしかめ、王太子と相対して椅子に腰を下ろした。


「王后陛下が、御夜会を御開きあそばされる。御届けなさらずに」


 彼は考え深い表情で沈黙したが、短い時間だった。すぐ顔つきに真剣みを帯びさせた。


「典礼庁としては、好ましからざる事態と考えます。

 重大なる違反と断じる他はございません。

 対処致しますか」

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