運命は糾える縄2
ツァリースが睨んできた。
「他に誰がある。
この場に修学仕の出は、おぬし以外おらん」
昔の役目を持ち出され、ダオカルヤンはしまったという顔をして、首をすくめた。
これは平たく言えば王子の学友で、六、七歳から遅くとも九歳までの間に任じられる。
彼は特に気に入られ、今も若い側近としてジークシルトの傍らにある。
「おぬしは、ちと目を離した隙に殿下ともども手習いの最中を逃げ出して、木に登っておったり、池の魚を掴み取っておったり。
やりたい放題だったではないか」
学友のみならず、どうやら悪戯仲間でもあったらしい。初耳だったのだろう、父親が目を剥いた。
老傅役が更に言い募ろうとしかけたのを、ジークシルトは手で制し
「許してやれ、過ぎた事だ。
あまり興奮すると、頭の血が泡立つと聞く。倒れても知らぬぞ」
自分の悪童ぶりはしっかり棚に上げ、他人顔で意見した。
ダオカルヤンが噴き出した時、今度は父親が怒りの表情を露わにした。
「笑っておる場合か、この不心得者が。
殿下を御諫めまいらせるのが、おぬしの役目であろうが。
父の面目を丸潰れにしてくれおって、こやつは。
おぬしを殿下の修学仕に差し出したは、我が過ちであったわ」
かなり機嫌を損ねて、息子を叱りつける。その彼へ、ジークシルトはつと真顔を向けた。
「待て剣将。
おれは、ダオカルヤンを直属に抱える事が出来たのは、大いに幸運と思っているぞ。
これからは、今以上に恃みとするだろう。
おぬしらもだ。一人の例外も無いぞ」
一段と真摯さを増した眼差しが、左右を見渡す。
集まっている二十余名の若い武官達は一様に身を固くし、水を打ったように静まって若主君を注目した。
この機会を、ジークシルトは待っていたのである。
「よいか、一同。
おれはおぬしらの上に立ち、我がエルンチェアを指導する。
だが、おれの号令のみで全てが動くはずもない。おぬしらの精忠によってこそ、国は立ち行くのだと心得よ。
この場の全員、エルンチェアの未来に無くてはならぬ逸材ばかりだ。
一同、おれに従え。
何があろうと、次の王は、このジークシルト・レオダインである」
二十三歳の若者とは思い難い威厳をもって、彼は明言した。
その言葉が終わり切らないうちに、忠誠心を快く刺激された武官達はこぞって万歳を唱え、特に若年層は勢いよく拳を突き上げた。
「ジェイル・ジークシルト」
「我ら、王太子の御身と共にあり(アース・ウィデルツ・ディム・タスライツ)」
臣下らの熱狂するさまを、ジークシルトは睨みつけるようにして見やっていたが、おもむろに片手を挙げて制すると、満足げに頷いた。
「一同の熱誠、ここに嘉納する」
しばしの休憩を告げて、彼は踵を返した。すかさず、ダオカルヤンが後に続いた。
王太子の為に設えられた休憩所で、椅子に腰かけた彼の左横に若い側近が立つ。
「ツァリースの様子に留意せよ」
小声で命令が下された。ダオカルヤンは頷いた。
彼は、若い主君が先日来、傅役の動向に注意を払っているのを知っている。
直立不動で左肩に自分の右拳を当てる、武人独特の礼を捧げると、やおら笑顔になり
「しからば、殿下。
それがしの腹いせ、もとい駒取り勝負を謹んで願い上げ奉る」
「剣術の意趣返しは得意の駒取りで、か。
よかろう、返り討ちにして遣わす」
「何の。駒取りなれば、それがしに分が有り申す」
大声で言ってから、剣士仲間達が集まっている場所へ戻った。
数人が笑ってこちらを見ている。
「ダオカルヤン。
負けを腹に据えかねての、駒取り勝負志願か」
「おぬし、駒取りはなぜか強いからな。その半分でも、剣術が強ければよいのに」
「うるさいな。
人には得手不得手がある。おれは剣術より駒取り向きよ」
「威張って言う事か、剣士の端くれが」
親しい友人と軽口をたたいて、主君から受けた命を隠す事に成功した。
彼は駒取り上手で、ジークシルトにも勝てると評判だった。その分、
「今日は、剣術の模擬仕合で仇討ちされたのだろう」
「何度も御指名を承っているのが、良い証拠よ」
などと、先程から友人連中に笑われている。
ダオカルヤンにすれば、むしろ好都合だった。
何気ない様子でツァリースを見やる。こちらに背を向けている父と、何事か打ち合わせていた。
注意深く、だがさりげなく。近寄って行った。
やがて大剣将が集合をかけた。
「聞け、皆の者。
我らはより一層の忠勤に励むべし。
祖国とシングヴェール御家に対し奉り、忠誠を尽くしまいらせる事こそエルンチェア武人の本懐と心得よ。
バロート陛下の御跡を、ジークシルト殿下が襲いあそばしてこそ、エルンチェア王国はこのガロアに君臨し得るのだ。
余の者が第七代の王冠を戴くなど、断じて許してはならぬ」
演説の最後を過激な見解で締めくくった老剣将へ返された反応は、負けず劣らず急進的なものだった。
上げられた声は、軒並み同意を表していたのである。
武官の年齢が下がる程、高揚は顕著に見られた。若者で冷静なのは、ダオカルヤンただ一人と言ってよい。
(ご老人も随分と先鋭論を叫ばれるものだ。
以前から、王太子擁立派の最強硬論者でおられたのは確かだが、弟君をこうも明快に否定なさるとは)
直前の様子と重ねて考えた時、嫌な予感をかきたてる言葉が、耳に飛び込んだ。
ぎょっとして、大剣将を見つめた。
(なるべく早く。
出来れば今夜にでも、殿下にご報告申し上げねばならんな)
「ツァリースは、確かにそう言ったのかッ」
王太子邸の居間に現れたダオカルヤンが、挨拶もそこそこに昼間の件を語った時、ジークシルトはみなまで言わせず怒声を張り上げた。
「あの老人、おれの企図するところに便乗した挙句、無断でッ。
御黙認を賜る、だと。
あいつを武力で排除する所存かっ」
「具体的に排除と仰せではごさらぬ。
なれど、そのようなお考えでおられるのは、まず確かでござりましょう」
冷静を心掛けているらしく、腹心の方は、表情こそ厳しくひきしまっているものの、口調は穏やかだった。
若主君は激高している。
昼間、ダオカルヤンは確かに聞いている。父を相手に、老大剣将は
「火急の際として、陛下には御黙認を賜る」
そう言った。
どのように解釈しても、他の意味にはならない。王太子の弟を、武力で排除する。それが大人達の意向であろう。
「こうまで仰るとなれば……事態は、予想以上に差し迫っているものと思われますぞ、殿下」
「要らぬ世話だ、ばかめがッ」
怒りのままに、ジークシルトは平手で円卓上を叩いた。小姓を呼ぶ陶器製の鈴が跳ね上がった。
描いたように細い眉が厳しく寄せられている。彼は、猛烈に不快感を表していた。
「おれがいつ、弟の排除を命じた。
あの老体、なぜおれに計らぬ」
「計ったところで殿下が御認めあそばす道理無しと、ご存知でいらっしゃるがゆえかと」
「判っているなら、おとなしく引っ込んでいるがいい、節介な老人め。
そんな事、絶対に認めぬ。
いかに筆頭傅役であれ、不用意に手を出せばどうなるか。
ただではおかんぞッ」
負の感情を隠しもしないで、獰猛に唸る。
ダオカルヤンは慌てて大きな体を乗り出し、若主君を鎮めにかかった。
「なりませぬ、殿下。
忠義の行為を罰しては、士気に関わります」
「うるさい。
おまえに教わるまでもない。そんな事は判り切っているっ」
ジークシルトは更に怒鳴り、それをきっかけとして、自分の危険な興奮をかろうじて自制した。
まもなく冷静さを回復させ、途端に心底腹立たしげな舌打ちの音を立てた。
「剣術の合同稽古にかこつけて、若い武人どもを団結させる積もりが、とんだ失敗だ。
あの老人め、呼んでもおらんのに出向いて来おって。
そのうえ、あいつを武力で排除する方向へ、武人どもの誘導を図るとは」
「殿下。
御言葉ではございますが、我ら武人は殿下の御許、一致団結を新たに誓い合い、士気も高くなっております。
決してお見込み違いではございませぬ」
「その高まった士気を、おれの望まない用途に向けようと画策する腹積もりが気に入らん」
宥めようとして言ったはずの言葉尻を捉えられ、ダオカルヤンは再反論しそびれた。
ジークシルトは、自分の左手に拳を何度も叩きつけ、派手な音を立てながら、率直に腹立ちを表わしている。
「ツァリースのばかめが。今少し、おれに時を貸しておけばよいものを。
ええい、腹案が台無しだ」
「御思案をまとめておわしたか」