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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第四十章
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姫、進撃す6

 ミルティーネが放った、いわば真実の的を射抜く矢は、確実に中央を貫いていた。

 宗教にまつわる強い信心が恐怖を引き起こすとき、人は合理性を失うものであるらしい。

 確証を提示できない、しかし疑義も払しょくできない。

 レイゼネアの不調が「教会を嫌う」という小さな指摘から、悪霊憑きの風聞を生み出すまで要した時間は、一日にも満たなかった。


「ええい、何たる厄介」


 シルマイトは舌打ちを禁じえない。 

 かん口令は敷いた。が、その効力はあくまで彼の権力が及ぶ範囲に限定される。

 ごく近い将来の妻と、随行団については、強引に口封じするわけにはいかなかった。

 ミルティーネは、存外に手ごわい女性だったようだ。


「あの女。

 子だくさんを見込めるがゆえ、若さを評価してやったものが、とんだ食わせ者だった。

 姉はおとなしい気性だと聞いていた、やはり姉を選ぶべきだったか」


 とはいえ、今更やっぱり姉姫をと申し出るわけにはいかない。

 さらに言うなら、公式には病気療養のため、縁談を辞退すると発表されてもいる。


「とにかく、随行の役人どもを納得させねばならん。

 きゃつらがつまらぬ事を言い騒ごうものなら、たとえ今から姉をを申し受けたいとの希望を述べたところで、まず通る見込みは立たない」


 相変わらず、うっそりと黙って立っている執事シャウドルトへ、返事を期待する風でもなく言い捨てると、シルマイトはサナーギュアの随行者たちを集めるよう命令した。



 事実上の王太子に謁見を賜る。

 サナーギュア随行団の団長を筆頭に、数名の身分が高い役人たちが第二謁見室へ呼ばれた。

 シルマイトとしては、記録を残される謁見室を使いたくはなかっただろう。

 しかし、太子の内勅が下されている以上は、まだ立太子礼を挙げておらずとも、彼の身はそれに準じるものとして扱われる。

 私室に呼んで、秘密裏に処理したいと言えば、父王が


「太子として扱うに及ばずとの意か。

 しからば、そなたが握る当宮廷の実権を予に返上せよ。

 太子の扱いは拒むが、権利は手放さぬなど、宮廷倫理に外れるゆえな」


 すかさず要求してくるに違いなかった。

 腹立たしくはあれ、シルマイトは歯を食いしばるより外はない。

 第二謁見室にて、謁見と称する、ある種の説明会が行われる運びとなった。


「昨今、我が宮廷には、実情と乖離した風聞が流れていると聞く。

 サナーギュアのお歴々におかれては、さぞご懸念を抱かれておられよう。

 不肖の身の不覚、ここに陳謝する次第」

 

 表情を消して、シルマイトは口火を切った。

 集まった随行の役人たちが、一斉に頭を下げる。みな無言ながら、心の中では


「懸念も懸念。

 レイゼネア姫のご不例につき、なぜ事情をつまびらかになされなんだか」


 不満の声をめいめいあげている事だろう。

 シルマイトには察しがついている。


「さて。

 問題の風聞だが、実に奇怪なり。

 我が妹レイゼネア・エミューネが、驚くことに悪霊憑きであるとか。

 そのような事実は一切ない。

 レイゼネアは敬虔なるユピテア教信徒であり、悪霊ごときがつけ入る隙など、髪の毛一本ほどもありはせぬ」


 彼の言葉を聞き、また役人たちが静かに頭を下げた。

 もっとも誰一人として、了解したといった表情は見せていない。

 シルマイトは咳払いをした。


「何のことはない。

 王家の恥を晒す事になるのだが、相手は他ならぬ南西三国の同胞諸君。あえて語ろう。

 一同も承知しているであろう、元親王ロベルティート・ダリアレオンが起こした騒動への嫌悪感が、妹に教会嫌いを引き起こしている元凶なのだ」


 この場にいないロベルティートへ罪を背負わせると、シルマイトは決意したと見える。


「ロベルティートが血迷い、レイゼネアに対して執着を致した。

 神をも恐れぬ大罪と言えよう。

 妹は苦悩の末、神を敬う意識から、肉親の情愛よりも教会が厳しく定める倫理に従う旨に重きをおいた。


 教会に赴き、重大なる決意をもって兄を告発し、かの者は当宮廷および我がエテュイエンヌ追放と決まったのである。

 年若い姫の身で、苦痛を覚悟しての告発だ。

 教会の定めを破った者に対して非を鳴らすには、教会こそがふさわしいとの判断だった。


 しかしながら、当時の苦しみは未だ妹の心を去らない。

 教会とは、今の妹にすれば、恐怖と不名誉、怒りの念を連想させる場であろう事は、容易に想像できよう。


 よって、妹ははなはだ不本意ながら、教会に対して不快を禁じ得ぬ。

 悪霊憑きであるがゆえなどでは、決して無いのだ。

 どうか、これ以上は騒がないでもらいたい。

 何よりも、妹の健康と名誉のために。

 以上である」


 ところどころに真実を織り交ぜ、彼は懸河の弁をふるった。

 始めよりは、空気が和らいだ様子になった。

 シルマイトはこっそり胸を撫でおろした。



 いったんは鎮まったサナーギュア側だったが。

 シルマイトの熱弁を


「嘘の皮よ」


 鼻で笑い飛ばした者がいた。

 ミルティーネである。

 老女官を通じて、シルマイトが招集した謁見の内容を聞いた彼女は、何度も首を振った。


「シルマイト殿下は言い訳がお上手ね。

 責任転嫁の名人と言うべきかしら」

「ミルティーネ殿下、そのような。

 一応の筋は通っていると思われます」

「言い訳そのものは良くできているわね。

 ただ、前提がいただけません」


「前提ですか」

「おかしいでしょう。

 レイゼネア姫に、どのような方策で兄君が不埒を働いたの。

 わたくし、最初にお話を伺ったときから、何だかおかしいと思っていたわ。

 わたくしも、レイゼネア姫と同じ立場ですもの。

 いかように考えても、兄君お一人では、姫の寝所や部屋に忍んで行けるはずはないのよ。

 ねえ、仮にわたくしの在所へ、弟が忍び込もうとした……あり得るかしら」


 ミルティーネの言葉に、老女官も考え込むそぶりになった。

 宮廷では、厳格に男女が区別されている。

 未婚の内親王に与えられている生活の場へは、たとえ父王であっても訪ねてはいけないのだ。

 大陸全土どの宮廷でも、ユピテア教が国教である限り事情は同じだった。

 従って、少なくとも、手引きした協力者が一名なり二名なり、またはもっと多数。確保しなければ実行は困難であるはずだった。


「かつてお姉さまは、ロベルティートさまであれば、きっとよい夫婦の縁が結べるものと思し召しだったわ。

 急に話が変わってしまい、シルマイト殿下との縁組という事で、たいそうお嘆きあそばされた。

 わたくしは、悲嘆にくれるお姉さまを見ていられず、身代わりを申し出たの。

 それが、この結婚の経緯よ」

「はい、承知しております」


「だったら、分かるでしょう。

 ロベルティートさまは、血迷ってはおられなかったのよ。

 そのようなお人柄にあらせられるわけはない。

 翻ってシルマイト殿下。

 恐ろしいお方だと、御国でも評判でしょう。

 むしろ、実際は逆だったとしても、わたくしは驚かないわ」


 とんでもない事を言い出した、と女官は驚愕した。


「で、殿下ッ。

 お口が過ぎまする」

「驚かないと言っただけ、本気でそう思っているわけではないわ。

 ただ、どうしてもシルマイト殿下のご説明とやらは、わたくしには俄かに首肯しがたいのよ。

 大事に守られていて然るべき姫の在所に、兄君が忍び込むという点が、どうしても受け容れられないの。

 無理なのよ、宮廷の造りとして。

 その方策が明らかにならない限りは、シルマイト殿下が仰せになられたところの、ロベルティートさま惑乱も怪しいわ」


 困った姫だ。老女官が胸中でだけ頭を抱えたとしても、不思議はないだろう。

 しかし、筋が通らないという指摘には、頷けない事は無かった。

 やむなく、こういった見方もあるとの意を、随行団に伝えて欲しいという姫の言い分をうべなう彼女だった。



 ミルティーネ付きで、しかも年齢が高い事から、随行団に会うのはそう難しくない女官である。

 だが、見張り役を外せる権限まではない。

 団長に話を通じさせるには、口頭ではなく文書で。彼女は数枚の紙に聞き取った内容をしたためると


「ミルティーネ殿下のご体調を報告します」


 面談の名目をあげて、彼女にとっての上役と会う時間をつくった。

 またもや、ぞろぞろとエテュイエンヌ宮廷に勤める侍女たちがついてきた。

 団長の方も同じことで、武人らしい男と城の日常を取り仕切る典礼庁役人が二名、背後に居並んだ。


「姫はお健やかにあらせられるか」

「はい。

 ユピテア大神のご加護により、すこぶるお健やかにおわす」

「それは重畳」

「姫より、お手紙をお預かり致しております。

 御国にてご養生の姉君へ、ご機嫌伺いとの由」


 問題の文書を差し出す。

 厳重に封がされ、いかにも貴い身分の姫がしるした便りに見える。


「承知。

 さっそく伝令をたてよう」


 その時だった。


「恐れながら、申し上げます。

 そのお手紙の中を拝見願わしく」


 進み出てきたのは、典礼庁役人だった。

 検閲するというのである。

 女官の顔に緊張がはしった。

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