表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第四章
24/257

諸南、不穏なり5

 急変した妹の様子に、少しならず当惑して


「そんな怖い顔をしないでくれないか」


 宥めにかかった。彼女の長い後ろ髪を撫でる。

 上半身を反らされてしまった。どうも不興を買ったらしいが、心当たりが無い。

 ロベルティートは、軽く顎をつまんで思案顔を作った。


「困ったな。

 おれが、何か気に障る事でもしたのかい」

「ほんとうに、ご結婚なさるのね」


 レイゼネアは腰に両手を当て、目にも力を入れて、おそらくは精一杯の強気な姿勢をとった。


「間違いないのね、兄上」

「どうして、そんなに念を押すんだ。

 おれは二十一で、独身な方がおかしい年だよ」


「わたし、聞いたの」

「聞いたとは、何をだい」

「兄上が、寺院入りなされるって。

 もうお城にはお戻りになられないって」


 そこまで言ったとき、彼女の腰から手が離れた。またしても表情が入れ替わり、泣き出しそうになっている。

 兄の方は、大げさなくらい目を瞠った。


「えっ、僧侶になるのか。おれが。

 寺院入りするだって。おれがねえ」

「わたし嫌です。

 兄上が寺院入りなんて、絶対に嫌。

 お城に一人で取り残される……耐えられません」


 レイゼネアは目に涙を溜めていた。

 自分の言葉に興奮を誘われたとみえ、白い頬を上気させている。声ばかりか、細い体も震えていた。

 今にも座り込んでしまいそうな妹を見て、ロベルティートは真顔になった。


「無いよ。

 おれは城を出て行ったりしない。

 レイゼネアを一人きりにするなんて、考えた事も無い。

 寺院入りなんか絶対にしない。しないとも」

「本当ね、信じていいのね」

「もちろん」


 妹の頬を両掌に収めると、彼は大きく頷いた。


「当人も知らなかったよ、そんな話。

 なあ、レイゼネア。よく考えてごらん。

 おまえの兄は、諸事慎み深く真面目に神へ奉仕するような、僧職にふさわしい勤勉な人柄だと思うのかい」


 そこまで言うと、彼は急に態度を崩し、表情もおどけたように和らげた。


「いつだったかな。寝坊して、礼賛の儀に大遅参してのけた事もあるんだぞ。

 寺院の方でも願い下げだと思うよ。こんな不真面目者」


 涙を拭われて、レイゼネアはやっと安心したらしく、白い歯を見せた。


「良かった。

 兄上、きっとよ。きっと、結婚までは見守っていて」

「ああ。

 きっと、おまえ達を見送ってあげるよ」


 言葉でこそ力強く請け合ったが、彼の表情は自信に満ちているようには、どうにも見えなかった。



「とは言ったものの」


 宮殿へ帰ったロベルティートは、与えられている自室に落ち着くと、傅役に向けて苦笑した。

 彼が心を開いて屈託なく接せる相手は、清純な二人の妹以外には、襁褓(むつき)の頃から仕えている老臣くらいであった。

 腹心に茶の相手をさせながら、いっそ潔く弱音を吐いていた。


「正直に言うと困ったよ。


 今になって、おれが寺院入りを取り止めたなどという噂が広まるのは痛手だな。

 相当に憤慨するやつの心当たりが、一名ばかりある身としてはね」


「はい」


 理解の余地ががあると見えて、傅役は頷いた。ロベルティートは心底うんざりしたという顔になった。


「あいつがどれ程騒ぐ事か。想像しただけで、気が遠くなりそうだ。


 荒々しいのは気性だけにしておけばよいのに、思考も行動も荒っぽいからな、弟ときたら」


「どなたに似られた事でしょうな。

 陛下も、格別に武張った御人柄にはおわしませぬが」

「まったくさ。

 あれはきっと、南の太陽にやられて血が沸騰しているんだろう。

 いつからあんな風になったんだろうな」


 何かを思い出しているのか、表情に追憶の色がのぼった。

 しばらく手に持った茶杯を見つめていたが、やがて頭を強く何度も振り、顔つきを改めた。


 確かに、昔を思い出している場合ではない。身の振り方を再考慮するという、なかなかの急務が目の前に腰を据えているのだ。


 寺院入りと通称される制度がある。

 大陸の主な宗教であるユピテア教では、原則として信徒を広く受け容れる。


 信心を極めたいという、少なくとも正式な表明があれば、犯罪者等の例外を除いて断られる事は無い。

 彼が寺院に入るとの噂は、実のところ決して出所の怪しい流言ではなかった。


 怪しいどころか、火元は他ならぬ彼自身の可能性が高かった。

 妹にはとぼけて見せたが、僧籍に身を置く事は以前から検討しており、既に父王にも相談済みなのである。


 その場で結論が出せる内容ではなく、時間の猶予を求められた。この一件が、あるいは巡り巡って妹の耳に届いたのかもしれない。


「どうしたものかな。

 おれとしては、なるべく早く寺院入りしたいところだったんだが」

「すると、ご本心におわしましたので」

「冗談だと思っていたのか、爺は。

 心外だな。

 父上にも申し上げているというのに」


 茶杯を改めて持ち上げ、一口飲む。コール茶と呼ばれる、大陸では一部地方でしか流通していない独特の苦い茶だった。


「おれは王座に興味はないよ。

 だいたいが、第四権利者だ。上に三人も兄上がおわす。どう考えても、おれの出る幕なんか無い。


 王族の常識として、王太子殿下が恙なく玉座に就き給わば、残りは連枝の身分に封ぜられる。そうなるはずなんだ。


 それが、どうだい。

 誰かさんが張り切っているお陰で、おれまで巻き込まれている」


「確かに。

 弟君は、第五王位継承権者におわします。

 もし、殿下が御登極をお望みあそばすなら」


「そう。誰よりもまず、おれが邪魔だ。

 他の兄上方も、ロベルティートは何を考えているのか判らないとか、たいそう気味悪がっておられるらしいけど。

 とにかく、あいつが一番危険なんだよ、おれにとっては」


 だからこそ、寺院入りを本気で考えていたのである。

 僧侶として残りの人生を過ごすとは、即ち俗世と縁を切る。王座争いから穏当に身を引くとの、暗黙の意思表示と見なされる。


 風聞が広まれば、彼を「王座争いにおける当事者の一人」と考える人々を、少しは冷静にさせるだろうと考えて、敢えて噂を否定せず、囁かれるに任せてきた。


 ところが、想定外の事態が起きた。

 レイゼネアが、翻意を直訴してきたのだ。


「しかしながら、ロベルティートさま。


 寺院入りはなさらない旨、お約束あそばされたという事は、お取り止めに」


「……うん。やっぱり、そうするしかないだろうな。

 ま、仕方が無いさ。父上に申し上げて、あの話は無かった事にして頂くよ。

 レイゼネアが可哀想だ」

「ははあ」


 老傅役も、微苦笑して頷いた。

 彼もよく知っていた。彼の妹は、微妙な立場に置かれて孤独に苦しんでいる、と。


 唯一の救いが、最も親しい兄のロベルティートなのである。

 当人も、十分に自覚している。


「どうも、ね。

 妹の懇願を振り切って、おれだけ安全を求める気には、ちょっとなれないな。

 男の兄弟なんかどうでもいいけれど、妹達は悲しませたくない」


「これは、お口のお悪い」

「爺が相手だからだよ。他には言わない。

 そのくらいは、いくら呑気なおれでも注意している。


 まあ、何か別の方法を考えるよ。

 あいつの出方が気懸りだけど、その百倍くらいレイゼネアが気の毒だ」


 ゆったりとコール茶をすする彼を、老傅役は白くなった眉を心配げに寄せつつ見やった。

 長年慈しんで来た、この至って人格円満な第四王子を、役目を超えて愛していたから気を揉まずにはいられないのである。

 視線に気づいたらしく、ロベルティートはくすりと笑った。


「まあ、あいつもばかじゃないだろう。

 おれが寺院入りを取りやめと言い出した途端に、刺客を放つような単純すぎる真似は、いくら何でもしないと思うよ。

 本気で計画はするだろうけどね」

「ロ、ロベルティートさま」


「そう簡単にやられやしない。

 そうだな、どこか実力のあるところから姫でも頂いて、後ろ盾を得るか。

 たとえば、ダリアスライスとか」


 言葉の持つ重みとは裏腹に、彼は軽やかな口調で言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ