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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第三十六章
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立太子礼4

 荘厳な鐘の声が響く。

 王冠都市内における全てのユピテア教会が、時を同じくして鳴り渡らせた、特別な鐘だった。

 ダリアスライス王国第七代王太子ランスフリート・エルデレオン。

 本日は、第一王位継承権者が正式に誕生し、諸外国へ知らしめられるその当日である。

 時刻は南刻の一課、立太子礼が挙行される合図が告げられ、王太子はまず教会内の神殿へ赴く。

「王太子ランスフリート・エルデレオン殿下、ご入来」

 触れ係が叫ぶ。

 出席を許されている貴族らは、普段と違い起立して彼らの若い主を出迎える。

 大神ユピテアの祝福を受けるべく進み出る当人と、付き添いの高位司祭が左右に二名、背後には新たに編成された侍従団五名が続く。

 特筆すべきは、先導役を仰せつかっている人物だろう。

 祭司パウル・パウラスだったのだ。

 太子として立つ当人を、神殿に設えられた祭壇まで導くのは、通常は祭司の肩書を持つ中堅の僧侶が担う役割であって、それ自体は驚くには及ばない。

 人選にのみ、驚嘆の声があがって然るべきだった。

 もっとも、集まった一同は誰一人として何も言わない。

 喝采を贈る事に専念している。

 先導役も、たいそう行儀よく決められた手順を守っている。

 やがて神像群を背後に控える祭壇、祝福を与える最高位僧侶たる大司教の元に着いた。

 パウラス卿は、ランスフリートに向き直り、深く一礼してからしずしずと左側へ退いていった。

 ここから先は新王太子が単独で歩を進め、用意された三段の階段を登って祭壇前に立たなければならない。

「殿下。

 恐れながら、神々へご拝礼を」

 付き添いの一人に小声で促され、ランスフリートは大神の前で頭を垂れた。

 右手は胸に当てる。

 空間は、沈黙に支配された。

「ランスフリート・エルデレオンに問う」

 大司教が重々しく口を開いた。

「汝、謹んで諸神に礼賛を捧げしのち、太子へ登らいしがため大神の祝福を賜る。

 もし志無き時は、ただちに踵を返して神聖なる神殿を立ち去れ」

 決まり文言だった。

 最後の意思決定の場でもある。

(今ここで、おれがまた逃げ出したら、どうなるかな)

 頭を下げた姿勢を維持したまま、彼は少し意地の悪い事を考えた。

 しばらくの間が空く。

 決意は固まっていると見たらしい大司教は、ゆっくり頷き

「宜しい。

 万能なる我らがユピテア大神は、汝の志を嘉納するであろう」

 右手をかざし、ゆるやかな円を描く手つきをした。

 鐘が連打されて、列席する僧侶らが声を揃え

「汝は神に清められた」

 短く宣言した。

 祝福は、これで終了である。

 再び喝采が沸く。

 万雷の拍手を聞き流しながら頭をあげたランスフリートは、ほんの一瞬だけユピテア像を見上げた。

(何が、万能なる、だ。

 おれからティプテを取り上げたくせに。

 あの子を、たった一人で死なせたくせに)

 彼の心中は、決して穏やかではなかった。



 神殿を退出すれば、一息入れる暇もなく、いよいよ第一謁見室へ向かう。

 じつは。

 立太子礼が始まる前に、一つだけ、通常とは異なる手順が支度されている。

 この日の朝に、彼は初めて許婚者と会う段取りなのだ。

 ラインテリアの姫マディアンネ・ラムアは、とっくに到着している。

 ダディストリガに関連する行事が一通り終わった直後、宮廷入りしたのだった。

 しかし、ランスフリートは顔合わせを拒否した。

 これには周囲も仰天した。

「なんでまた」

 老チュリウスは、驚きのあまり、つい祖父の立場に戻ってしまった程だ。

 ランスフリートは肩をすくめ

「久々に、大父さまとお呼び致しましょうか」

 少しの皮肉をきかせて、一門最長老をたしなめた。

 もっとも、現場は王太子の私室であって、例の侍従以外は誰も居合わせていなかったが。

 老公は慌てた様子で

「これはとんだご無礼を」

 謝って来たものである。

 身軽な時代に、たっぷりお叱りを被った孫としては、ごくささやかな意趣返しに成功して、こっそり溜飲を下げたいところだ。

 もちろん、表情には出さない。

「構いませんよ、大父さま。

 立太子礼の後は、本格的に主従関係となります。

 次は、いつ大父さまとお呼びできるのか、見当もつきませんので」

「……そうか。

 では、お言葉に甘えるとしよう。

 いくら何でも、姫君をお待たせ申し上げるのは如何なものか」

「ははは。

 お説教も、今となっては懐かしいものです」

「笑っておる場合か。

 臣下の手前もある事だ。

 納得がいく説明を聞かせよ、ランスフリート」

 かなり無遠慮に、祖父へ戻りっぱなしになったらしい。

 孫の方は、以前ならうろたえるか、ふてくされるか、どちらかだっただろう。

 だが現在は

「二つあります。

 一つは、わたしはまだ喪が明けて時間が経っておりません。

 麗妃に先立たれた王太子が、けろっとして婚約者を身辺に寄せるというのでは、少々聞こえが宜しくないと存じます。

 諸外国、とくにヴェールトからも外交卿を呼びつけているのでしょう」

「ふむ」

「もう一つは、ラフレシュアの戦後処理がどうなったのか。

 ダディストリガにも聞いてみましたが、まだ処理中との事です。

 立太子礼までには必ず詳細を報告すると、彼は明言していました。

 ならば、彼の顔を立ててやらねばなりますまい。

 ラインテリア側にも、相応の説明をする必要があるでしょう。

 先方は、王家の姫を嫁がせるのですから。

 安心させて差し上げる責務が、当方にあると考えます。

 報告を受け、説明責任を果たし、一定の体裁を整えたのちに、立太子礼を一つの区切りとして新たに妻を迎える。

 こういう段取りを汲みたいのです」

 明瞭に筋道を通した論を展開する、堂々たる態度を見せていた。

 チュリウスは目を見開き、ついで笑い出した。

「言われてみればその通りだ。

 そこに気が回らんとは、わしも老いたかな」

「そのような事は無いでしょう。

 自信をお持ち下さい。

 従来はこのような面倒くさい事をする必要がありませんでした。

 今まで外国の姫を妻に迎えた前例が無かったのですから。

 臣下諸氏は、当然にいつも通りの国内結婚と同じく考えていても不思議ないところです」

「よく分かった。

 確かに、ダディストリガの見立ては正しかったわ。

 良い跡取りに育ったな、ランスフリート」

「大父さまのご教導を賜ったからこそ、今日のわたしがあります。

 今まで、ありがとうございました。

 今後は臣下として扱わざるを得ませんが、心の中では変わらず大父さまとお呼びかけしております」

「言うようになった」

 チュリウスはまた笑い、笑いつつそっと目頭を抑えた。

 ランスフリートも唇をかみしめた。

 紆余曲折を重ね、一時は疎ましく思ったとしても、生後間もなく両親と引き離されたランスフリートには、やはりかけがえのない親代わりだった祖父なのだ。

 肉親同士の会話は終わり、彼らは若主君と股肱の臣に戻った。



 このようなやり取りの末に、マディアンネ姫との初顔合わせは本日となった次第である。

 ダディストリガは、言うまでもなく全力を挙げて戦後処理を終わらせ、昨日のうちに報告書を自ら届けに来た。

 野暮な所用を済ませて、ついに対面の時が来たのだった。

 控室には、マディアンネ姫が通されている。

 式典の際には、彼女を王太子妃に準じる存在として同伴させる。

 自分で言い出した事とはいえ、本来なら多少は相互理解の時間を取れたものを、あたらふいにしたランスフリートは、ごく短い時間で姫と、少なくとも円滑に式典出席に漕ぎつけなければならない。

(ティプテ、済まない。

 君を裏切るような事態に陥ったが……許してくれとは言えないな。

 言い訳は、いつか君の魂と巡り合える日が来たら、ゆっくり時間を取らせてもらうよ)

 扉の前で心を落ち着かせ、入室の踏ん切りをつけた。

 室内には、応接椅子から立ち上がって扉の方を向いている若い女性がいた。

 周囲を大勢の侍女らに取り囲まれ、硬い表情で、あたかも人形のような印象を与える彼女、マディアンネ・ラムア姫だった。

「お初にお目にかかります。

 ランスフリート・エルデレオンです」

 名乗りを上げてから、一歩を踏み出す。

 ところが、返礼が無い。

 思わず立ち止まり、棒立ちになっている少女を見やった。

 もしかして、入室を認める心境には未だ至っていなかったのか。

 のっけから無礼を働いたかもしれない。

 内心で焦った彼だったが、侍女のうちかなり年長と思われる者が

「姫、姫」

 当人は小声の積もりに違いないが、割と明瞭に聞き取れる大声で

「殿下におわします。

 さ、淑女の礼を」

 促した。

 青ざめた姫君は、たいへんぎこちなく、まるで小枝がぽきぽき折れているかのように見える動作を、ゆるゆる始めた。

(……まずい。

 時間を作っておけばよかった)

 本心では、ティプテを忘れかねているから、婚約者に会う気が起きない。

 などと、言ってはいられなかったようだ。

 途方もなく緊張しているらしい姫を、さあどうやって自然に随伴(ずいはん)し、式場まで導いたものか。

 立太子礼を直前に、早くも暗雲立ち込めるといった案配で、ランスフリートはこっそり吐息を漏らした。

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