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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第三十五章
210/248

吹きすさぶ風を背に5

 ゲルトマ峠の戦いは、ともかくも一応の終結を見た。

 南北とも防兵塁の守り手はほぼ全滅、一人として生還した者は居なかった。

 途中参戦のリコマンジェ軍も派遣部隊のおよそ五分の二を失い、下山の際も遭難、脱落などが相次いで、指揮官パリスデネボアがヴァルバラスの山麓に辿り着いた時には、本人を含めて四十三名がかろうじて存命しているという体たらくだった。

「なんという事だ」

 報告を聞いたヴェリスティルテ姫の父王爵は、座していた執務机の椅子から立ち上がり、ふらふらしながら伝令の前に足を運んだ。

 膝をついて顔を伏せている宮廷付きの少年勤め人に

「我がヴァルバラスの兵士は、生還者無しと。

 その、パリス何やらいう将軍は、確かにそう申したのだな」

 弱々しく問い直した。若い伝令は頭を垂れた状態から、さらに深く身を沈め

「は。間違いなく」

 首肯した。

 同時に仰天した。

「えっ、王爵閣下っ、閣下っ」

「おお……」

 上位者の貴族が、自分と同じ目の位置にいる。

 衝撃に耐えられなかったのだろうか、王爵は両膝を屈して、膝頭に握った拳を乗せていた。

 前代未聞である。

 今まで破られた事など、ただの一度も無かった塁が、よりにもよって山賊の手にかかり陥落したというのだ。

 生存者もない。

 ヴァルバラス王国建国以来、というよりもはっきりと、ガロア大陸有史以来、初めてレオス民族が先住民に屈した。

「かの剣聖帝にあらせられても、ご討伐をお手控えあそばされた、山の民か。

 引き分けを通り越して、全滅の憂き目に遭うとは何たる事だ」

 座り込んだまま、彼は拳で自分の膝を叩いた。

 レオス出身の上位貴族である以上は、大陸統一を果たした皇帝家の栄光について、無知ではなかった。

 さらに、愛娘が嫁いだエルンチェアの王室は、剣聖帝の末子大公が家祖だともよく知っている。

 先祖の偉業に殊の外の矜持を持つ彼らシングヴェール王族一同、この話を聞いてどれ程に激高するか。

 王爵は、自分自身の誇りに傷がついた怒気と心痛に加えて、姻戚となったエルンチェアがどう出てくるかについても、気を回さざるを得ない立場である。

 少しして、なかなか見苦しい姿をさらしていると自然に気づいた彼は、すっくと威勢よく立ちあがり、かるく咳払いした。

 むろん少年伝令は、何も見ていない振りに徹している。

 新たな指示を待つ若い勤め人へ

「今の話、国王陛下には」

 今更らしく威厳が込められた問いを下ろす。

 伝令は膝下の礼を続けつつ

「は。

 王爵閣下のご下命を賜りましてのち、ご報告に参上仕る手はずとなっております」

 まだ他に話は行っていないと保証した。

 さしあたり、王爵は安心した。

 どこの宮廷にも強硬派、武闘派と称されるか、又は自称する跳ね返りはいるものだ。

 当国の王は荒々しい気性ではないが、実弟たる彼の見るところ、跳ね返り連中をしっかり押さえつけられる程の手腕には恵まれていない人物だった。

 もっとも、彼当人も自分の力量を過大評価してはいない。

 出来る事なら

(ヴェリスティルテ。

 おまえがここに居てくれたなら、きっと良い助言をくれるだろうに)

 娘へ問い合わせの使者を立ててから、話を公表したいくらいなのだ。

 まさか、そんな事は何があっても口走るわけにはいかない。

 ぐっと堪えて胸を張り、やや思考した末に

「宜しい。

 陛下へのご奏上については、このわたしが直々に執り行おう。

 まだ伏せておいてよい。

 それと、パリス……ええと、リコマンジェ軍の指揮官に会いたい。

 どこか適切な会議の場を設えよ。至急だ)

 命令を発した。



 知らないところでひどい扱いを受けたパリスデネボア剣将は、ヴァルバラス山麓の獄舎に併設された守備隊詰所に身を寄せていた。

 怪我や凍傷、精神的に打ちのめされて、等々。

 体が自由にならない者も多い。

 動けそうな者だけを選抜したところ、たった八人しか随行者が集まらなかった。

 それでも、まずはヴァルバラス宮廷へ行かねばならない。

 勝手気ままに国へ帰るのは、筋目が違う。

 リコマンジェ人らしく、パリスデネボアは儀礼には相当の執着を見せたものだった。

 馬車の仕立ても

「罪人用は勘弁して頂きたい。

 が、可及的速やかに貴国宮廷へ昇り奉り、実情のすべてを申し上げねばならない。

 使者向けとは申さぬ、将校の乗用に適した四頭立て早馬車をお借り致したい」

 言いたい事を大いに言って、そのうえ

「朋輩の最後をぜひ」

「どうか、お聞かせ願いたい」

 当方の要求には一切応じなかった。

「それは筋が違うと心得る。

 まずは貴国宮廷において国王陛下へ奏上し奉り、次いで軍部なり守備隊管轄の役所なりで事情聴取、しかる後に内容公開となるのが順序」

 きっぱり断った。

 いっそあっぱれと言いたい態度である。

 おかげで山麓の詰所では

「ええい、またしてもやつらの悪い癖か」

「これだからリコマンジェ人は」

「何かといえば筋だ、決まりだ、順序だ、そればかり」

「自分のわがままは通すくせに」

 散々な評判だったものだ。

 もっとも、パリスデネボアは少しも痛痒を感じていないと見えて、準備が調うまで、あてがわれた客用の部屋に一人、終日考え込みつつ寝暮らしている。

 食事もあまり喉を通らず、酒も欲しがらない。

 椅子に陣取り、腕を組んで、唇を引き締めて沈黙しているのである。

 その鬼気迫る様子を見た下級兵士らは

「あれは、リコマンジェの気風を装っているが、真のところはあまりに凄惨な現場を目撃して、口が重くなっているのでは」

「全滅とだけ聞いているが、様子は分からん。

 生き残りはみな、似たり寄ったりだ。

 寝所で一日うなっていたり、たまに悲鳴をあげて寝台から飛び起きるやつもいる。

 よほどの光景だったのだろうか」

「往路も悲惨な塩梅だったそうだしな。

 リコマンジェ軍からの報告で、遺体引き取りに行った連中が、みんな寝込んだという」

 上位者連中よりは理解があった。

 食事や茶の支度をして、部屋を出入りするたびに、当番兵の目には悲壮きわまる士官の後ろ姿が映るのだ。

 事実、パリスデネボアは最後に見た峠の遠景

(急に歌が聞こえたと思ったら、すぐに地鳴りがした。

 それに揺れも激しかった……あの揺れ。

 間違いない、また雪崩が起きたのだ)

 白い幕が、北東尾根から吹き付ける通称「臥牛降ろし」に乗って、空へ舞い上がるのを確かに見た。

 薄い灰色の塊も、幾つか弾けていた。

 吹雪に視界を奪われてはいても、時折は開ける事がある。

 その隙間から見たもの。

 あれはどう考えても、最初に経験した雪崩と同様、あるいはそれ以上の規模の災害が発生した瞬間に違いなかった。

(ヴァルバラス・ヴェールト、両守備隊は……巻き込まれただろう。

 もしカプルス盗賊団をも一掃できていれば、せめてもの(はなむけ)となるだろうが、どうなったものか)

 詳細は、すでに峠を越えて下山していた剣将には知りようがない。

 出発時には想像もしていなかった結末を迎えた。

 ついでながら、カプルス人とも小さな交流を経験した。

 短期間に、随分といろいろな事が身に起きたものだ。

 とりあえず、カプルス人の事は後回しにして、一時は戦線を共にした僚友とも称せる彼らの最期を、どのように語ればよいか。

 宮廷からも問い合わせはあるに相違ないが、自ら志願してこの国の王、任務完遂と引き換えに命を散らしたであろう戦士の主君へ、知る限りの情報を全て伝える。

 それが、生き残った自分の使命だ。

 パリスデネボアは、固く信じていた。

 実を言えば、彼も無事な体ではなかった。

 左右の肋骨に嫌な痛みを感じ続け、膝も鈍く病む。

 馬車の用意が調えば、王宮ではなく

「医者へ行ってくれ」

 と注文してしまいそうな不快感が、ずっと彼をむしばんでいるのだ。

 強い使命感と、軍人の自尊心に支えられ、待つこと二日半。

 馬車が準備され、いざ乗車というとき、ちょうど王宮からの使者も到着した。

文務総裁((首相))閣下が貴君とのご面談をお求めであらせられます」

「了解した。

 ただちに貴国宮廷へ仕る。

 暫時お待ちあれ」

 リコマンジェ剣将は、体の不調を感じさせない身ごなしの良さで周囲にあいさつし、車中の人となった。

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