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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第三十四章
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三つの戦い3

 西峠の凄惨な戦況は、しかし、局地的な現象では決して無い。


 時を同じくして、南限の港と称される南方圏の一地方においてもまた、流血の死闘は繰り広げられていた。

 エテュイエンヌ、ツェノラの両軍は、既に全面衝突を起こしている。


「進め、全軍進めっ」


 南西三国の一翼、三連旗と呼ばれる深紅の軍旗を掲げた一軍の将が檄を飛ばせば、南東部の小国を守る部隊も応じて


「怯むな、押し返せっ。

 敵は我が門を通れはせぬ。

 弓を放て、敵兵の足を止めよ」


 指揮官が怒号を放つ。

 南限の港は門扉を固く閉ざし、住人らは街の外で勃発している両軍の激突を、目ではなく耳で感じ取っている。


 人々は震え、親子が肩を寄せ合って抱き合い、更には見知らぬ者同士ですらも手を取り合って、外から響いてくる剣のひしぐ音、風を切る弓矢の天駆ける声を、ひたすら聞いているのだった。

 幾度となく門が軋んだ。


 どどどっと不快な重音が門板を貫き、街の中へ消えてゆく。

 弓が、当たっているのだろう。


「いま、どんな塩梅なんだ」


 誰かが小声でつぶやく。

 門を開くわけにはゆかず、物見の台も無い。

 誰にも、戦場の様子を目で確認する事は出来なかった。


「どっちが勝ってる」

「分からんよ。

 この物音から察するに、ツェノラさまは押されておいでかもしらん」


「おお。

 門が揺れているぞっ」


 確かにその通りで、門扉は圧迫を受けているらしく、内側にたゆみ、閂木も吹き飛びかねない程に上下と跳ね、留め具ががりがり擦れる音を立てている。

 兵士らが、体当たりしているのだろうか。


「もし門が破られたら、おれたちぁどうなるんだ」

「こ、殺される……殺されるぞぉっ」


 悲鳴があがり、一瞬でざわめき、そしてどよめきが、集まった民衆の頭上を飛び去ってゆく。

 逃げろ、という叫び。


 どこへと問い直す厳しい叱責。

 それらが、恐慌状態に陥りかけている街の人々を一層浮足立たせた。 

 しかし。


「逃げるくらいなら、門を抑えろっ。

 みんな、門へ飛びつけっ。

 男衆は寄り集まって、内側から門を押し返すんだっ」


 一人の理性を含んだ指示が、数人を動かした。


「お、おおっ」

「そうだ。

 門を破らせるな、おれたちで抑えろっ」

「おうっ」


 誰かが行動を起こせば、皆が倣う。

 五人十人と、門へ走り寄り、肩を当てて


「せぇのっ」


 気合を揃え、力を入れる。

 ギギッと木の擦れる音が漏れ、内側に反り返り始めていた門扉が一挙に押し戻された。


「ツェノラさまーっ。

 どうか、踏ん張ってくだされーっ」

「門はおれたちが抑えますっ。

 エテュイエンヌ人を街へ入れないでくださいましーっ」


 街の人々が盛んにツェノラ軍へ応援を飛ばし始めた。

 まるで、その思いを受け取ったとでも言わんばかりに。


「押せぇっ。

 エテュイエンヌ軍を押し返せっ」


 門の外から、勇ましい指揮官の指示が聞こえてきた。



「街の連中が、ツェノラについただと」


 エテュイエンヌ軍は、衝撃を受けていた。

 そんなはずはないではないか。


 赤毛の乱暴に辟易していた港町の人々を救いに、はるばる足を運んだのが、どういうわけか感謝されるどころか、あからさまに邪魔者扱いされている。


 全く信じられない、あってはならない。

 エテュイエンヌの軍人、兵士らは、自分たちの思いもよらない不人気ぶりを目の当たりにして、進軍の足を鈍らせた。


 港町の現状を知らず、正しい報告もなされていない彼らには、街の人々から浴びせられた冷や水は到底耐え難かったのだ。


 僅かな時間とはいえ脱力し、不満顔で周囲を見渡した南西三国の東翼軍、その隙を、ツェノラ軍は見逃さなかった。


「いまだ。

 総員かかれっ」


 指揮官が色めき立つ。

 さらに、門の内側から、ツェノラを支持し、頼る声があがった。


 一時は懐に入られ、敵の勢いに押されかけていた彼らだが、南限の港は東の救助を喜び、南西三国に同調しない姿勢を見せた。

 その心意気に応えねばならない。誰もが思い返した。


「押せぇっ。

 エテュイエンヌ軍を押し返せっ」


 折しも、敵は進軍を緩めた。

 ツェノラ兵は、各自が剣を振るい、どっとばかりに弓を射かける。


 前衛の敵が、あっというまに矢を何本も身に受けて崩れ落ち、あるいは首を飛ばされて、胴体と別方向に転がった。

 怒号が弾ける。


「行けっ、押せっ」

「おおおおっ」


 槍兵部隊が突進してゆく。

 かなり前方に出ていたエテュイエンヌ軍の剣士部隊を、ほとんど無視した状態で、槍持ちの兵士は敵軍中心へと飛び込んでいった。


「うわっ」

「兵ども、槍を繰れっ」


 指揮役の指示に従って、五、六人ほどが一斉に、敵へと槍先を繰り出す。

 胸を深々と刺し貫かれた者や、喉に一撃を受けた者が、それぞれ後方、左右へとなだれ落ちて、僚友を巻き込み倒れてゆく。


「そ、そんな。

 そんな事が……ばかなっ」


 エテュイエンヌ軍の指揮官は青ざめていた。


 戦いが始まる直前まで、露骨にツェノラを見下していた彼だったが、思わぬ抵抗に襲われ、しかも相手は想定以上に強かったのである。


 血の気を失うのも無理はない。

 ヴェールト程にありありと、とまでは言わないにせよ、彼らも東の貧国としてツェノラを歯牙にもかけてこなかった。


 どうせ王も民も等しく貧しい、口に糊して生き永らえている国、軍隊もさまで強くはあるまいと。

 しかし、そうではなかったのだ。


「ツ、ツェノラ軍は思いのほか精強だった」


 慌てふためいたが、もう遅い。

 勢いを盛り返した東の軍に、隊列の中央部まで入り込まれ、分断されつつある。

 それがエテュイエンヌ軍の現実だった。


「た、隊列を乱すなっ。

 兵ども落ち着け、敵は――」


 指揮官の一人は士気を鼓舞しようと怒鳴り、そして最後まで言い終えること無く、踊り込んできた短槍の使い手に顎を襲われた。


 骨の砕ける鈍い音がし、悲鳴になり損ねたうめきが、血しぶきもろとも周囲に飛び散った。

 下から突き上げられた鋭い穂先が、彼の顎を貫き、一挙に脳までも刺した。

 白目をむいた若いレオス人指揮官の首を、太い剛剣が薙ぎ払う。


「ギャッ」


 側に付き従っていた下級兵士らが、上官の無残な最期を見て武器を取り落とし、腰も抜かした。

 へたり込んだ兵士らが、次の標的にされた。

 この時、勝敗は決していた。



 意気消沈を超越し、敵軍畏怖の域に達したエテュイエンヌ軍は、ずるずる後退し、まもなく我先にと敗走を始めた。


「ツェノラ軍勝利っ。

 エテュイエンヌ軍は壊滅っ」


 宣言がなされ、勝ち残った兵士らはすかさず勝ち鬨をあげた。

 港の空気をどよもす歓声に、港の人々も


「勝ったぞぉっ」

「ツェノラさま万歳っ。

 思い知ったか、エテュイエンヌ軍めがっ」


 老若男女の区別なく、全員が沸いた。


「門を開けろーっ」

「ツェノラさま、我らが英雄を迎えろ、急げ」


 恐らくは、東の貧国と蔑まれ続けたツェノラ王国、開国以来の快挙であろう。

 初めて、人々から軽蔑ではない声をかけられ、喝采を受け、歓迎された軍人たちは、皆がいっそ気が抜けたような顔をつくった。


「夢か」

「違う。

 我が軍は勝利した。

 ようやく、汚名返上を仕った。

 我が国王陛下のお慶び、いかほどか」


「おお。

 今すぐにでも、陛下をお迎えし奉り、この歓声をお聞かせ申し上げたいものだ」


 港町から飛び出してきた住人らの、熱烈な歓呼にぎこちなく応えながら、ツェノラ派遣兵全軍は途方もない感動を味わった。


 むろん、彼らの名誉はすなわちエテュイエンヌ、ひいては梟雄シルマイトの不名誉と等分である。

 必ず向けられるであろう、南西三国きっての苛烈な王子における報復の念には、まだ一人として気づいていなかった。

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