東風吹かば6
「邪魔だね」
アースフルトは、報告書を机に放りだしながら、腹心へ肩をすくめて見せた。
「キルーツ剣爵と、ロギーマ師団長か。
この二人が、親エルンチェア派の筆頭と考えていいのだろうね。
国論を割ってくれる分にはいいのだけども、あまり派手に動かれるのは好ましくない。
そう思わないかね」
「はい、殿下。
特にキルーツ剣爵は厄介です。
王族の連枝であり、クレスティルテどのの従兄でもある。
エルンチェアに働きかける力は、十分にあるでしょう」
「そして、軍をまとめるのはロギーマ師団長か。
軍事力は、こちらが掌握しておきたいところだね。
彼は、我が方についてくれそうかね」
「まだ何とも。
わたしも、モエライルの寺院から速報が届いたのを、確認したばかりでございます。
寺院筋によると、クレスティルテどののご遺体をご確認においでだったのは、キルーツ剣爵。
この人物が、王都に帰ったらすぐ面談したいと名を挙げていたのが、ロギーマ師団長との事ですが、現時点ではこれ以上は」
「ふむ。
軍人は親エルンチェアが多く、文治系の貴族は親グライアス派が多いという。
この軍人派閥というのは、どの程度なのか。
少し探りを入れてくれ給え」
「かしこまりました」
アースフルトは腹心を下がらせ、思案に沈んだ。
ブレステリスの神務庁を通じて抱き込んだモエライルの寺院では、進んでクレスティルテの身柄を預かり、グライアスへ身柄を運んだ。
その後は沈黙を貫いている。
そこまでは良い。
問題は、全くの計算外だった、殺害事件が起きた事である。
遺体は分離され、頭部はエルンチェアへ、他はブレステリスへ、それぞれ送付された一件だった。
(パトリアルスどのか。
一度、何とか会えるように、手をまわすかな。
こんな大胆な策を取ったのだ、エルンチェアと戦う気は満々だと考えられる。
体をブレステリスへ送りつけたのは、当人の言によれば、彼らへの脅し。
これはまあ、分かる。
ただ、軍人がどう動くかについて、考えていないのか。
それとも、計算に入っているのかな。
さすがのわたしも、そこまでは洞察しきれない)
勝手に動かれても困ると思うアースフルトなのである。
パトリアルスと面談し、出来れば胸の内にある作戦を聞き出したい。
更には、グライアス王を消してもらいたい。
物騒至極な内容を、いっそ微笑んで、考え込んでいる。
しばらく一人で考えていると、廊下から入室を請う声がかかった。
卓上の呼び鈴を振って、許可の合図をする。
伝令が現れた。
「殿下、申し上げます」
彼の報告内容を聞いたリューングレス第三王子は、きゅっと眉をひそめ、鋭い目つきになった。
「その一報、間違いないかね。
いま一度の確認を要す。
間違いなければ、新たに指示する。
向こうには、暫時待機せよと伝えるように」
早口で、そう命じた。
白い壁がある。
渦巻く風が大地から雪の欠片をさらい取り、吹き上げ、周辺へと払い散らす。
止む事無くごうごう鳴る音は、空を覆う分厚い黒雲から降りてくるようであり、時折、どこからか底知れない重苦しい響きを連れてくる。
北と、東と。
風は雪を飲んで、二方向から吹きつけてくる。
浜辺は凍り、ただ延々と伸びる雪壁が、荒れる波のすぐ近くに押し迫っている。
北の東端、リューングレス王国の港街は、氷に閉じ込められたかのような風景だった。
「こんなとんでもないところに、おれ達のご先祖は生きてらしたってのかい」
生まれて初めて雪を見たどころか、膝まで埋もれて、一歩前進するにも全力を使い果たしそうになる。
精一杯の冬ごしらえをして来たのだが、南方圏とは格が違う厳寒と、何よりも伸ばした自分の指の先すら遮って視界から隠す豪雪に、南限の港から来た漁業組合長の三名は、あ然とするばかりだった。
港の端にいる守り人が、出迎えてくれている。
波が激しく浜を襲い、吹きつけてくる強風は、白いしぶきの牙を立たせる。
接岸からして、困難だった。
港から大型の船が出て来、何度となく転覆しかけながらも、勇敢な船頭が縄を投げてくれた。
その船も、港の巨大な杭に繋がれている。
帆は畳まれ、船底から伸びた漕ぎ棒が、推進力の全てなのだろう。
風向きはちょうど、真北に変わり、船頭の合図で
「せぇいッ」
「とぉーいッ」
縄が、陸にいる屈強な男たちによって曳かれ、漕ぎ手も全力で波風に逆らい、ようやく港にたどり着いたのだった。
「あんた方、無茶しなさるねえ」
港の頭だった男が、漁民らしい浅黒い顔を苦笑で崩している。
「おれ達だって、こんな時化の日にゃ港に近寄らねえよ。
家で大人しくしてら。
それとも南じゃあ、嵐の日でも船を出す習わしがあるのかい」
「あるものか」
港町に向かって歩きながら、南の漁師が不機嫌そうに言った。
「おれ達も、大変な事態になってなきゃ、冬の最中に船を出したりするもんか」
「まったく、よくここまで来れたもんだよ」
「途中、これは沈むと覚悟したのが、何回あったか。
こないだは、こんなにひどく無かったんだが。
ユピテア大神のご加護だな」
「こっちも驚いた。
こないだって、ああ。あの日か。
あの日はたまたま凪だった。
本当に、たまたまだったのさね。
こんな日に、南から船が来るなんてなぁ。
こないだの事があったから、一応は見張りを立てといたんだ。
野郎が『旗がたってる』と言い出した時ぁ、てっきり、寒さしのぎの酒を飲みすぎたのかと」
「まあ、とにかく体を暖めな。
話はそれからだ」
街に着き、漁師の寄合所らしい小さな建物へ通された。
港町であれば、どこにでもある。
椅子に座らせて毛布を与え、温かい強酒を出し、命からがらといった体の南方人三名の回復を、漁業組合の顔役たちは見守った。
リューングレスは、かつて南のツェノラと細々ながらも交易していた。
最近は「上のお達し」とやらで、一切断交となっていたのだが、例外として南限の港からやってくる船だけは、密かに受け容れていた。
「南限の港はツェノラ領ではない。
むしろ、リューングレスの民が開拓の為に渡って行って興した。
したがって同族であり、用があるなら港を開くのもやぶさかではない」
寄合でそう決まっている。
何とか生きるための、彼らなりの模索結果であり、大陸東部の悲しさで土地が貧相という問題点を抱えるリューングレスは、漁業に頼らざるを得ないところがあった。
他国から
「似たような土地柄だ、さぞ気が合うに違いない」
などと揶揄されていた程に、ツェノラが作物の実りを手に入れられない姿と、よく似ている。
ただ、とにかくも森林地帯があり、山菜や鳥獣などが採れるだけ、南よりは若干ましといったあたりだろう。
それでも、南限の港には同族出身の気安さから、見下した意識はなく、どちらかといえば
「大変だな。
用があったら、いつでも頼ってくれ」
という親切な態度をとっていた。
現に、少し前にも船が来て、受け容れた。
とはいえ、冬場の渡航には正直に驚かされている。
「それにしても、よく来たもんだよ」
「どうしても来なきゃならん用事が出来たもんでな」
「こないだも聞いたぞ、その話。
で、今回はどちらさまをお連れになった」
「見りゃ分かるだろう。
誰も居やしない。
そんなお偉いさまを、何度も連れてくるかよ」
冗談まじりの会話が続く。
「じゃあ、タンバー峠を通ろうとは思わなかったのかい」
「無理だ無理だ。
峠はヴェールト王国の領地で、おれ達みたいなどこの国の者でもない輩は、通しちゃ貰えんよ。
船で来るしか無いさ」
「そりゃそうか。
ま、通れたとしても、この雪だからな。
通行止めを食らっている可能性もあった」
「しょうがない、命がけになっても、リューングレスのアースフルト王子さまに、陳情しなきゃならん。
港で、大事件が起きてるのさ」
南限の港の最大手である漁業組合、エルオ座の座長は、事の次第を最初から語りだした。
まもなく、港町からアースフルトに一報が入った。
いわく
「ダリアスライスの落ち人と称する貴族さまを、リューングレスへお連れした。
その後にアーリュス人が押し入ってきて暴れまわり、ツェノラに助けを求めたが、来る気配がない。
やむなく、リューングレスへ陳情に来た」
と。
第三王子は
「ダリアスライスの落ち人と称する貴族さま」
に対して、特に強い反応を見せた。
そのような人物の、心当たりが無かったのである。
「その一報、間違いないかね」
問い返しつつ
(どういう事だろう。
ダリアスライスの落ち人だって。
いつ、我がリューングレスに来たのか。
いやそれよりも、件の人物は、今どこに居るのかね)
またしても出現した飛び入りの要素に、当惑せざるを得なかった。