東風吹かば5
「何という……何という姿だッ。
クレスティルテよッ」
東から送られてきた棺、その中を検めた時、従兄剣爵は驚愕し、喉元をかきむしる仕草をして両膝をついた。
モエライルのユピテア寺院で、預けた従妹が失踪したという事実を知り、自ら滞在して事情を調査していたその最中である。
誰もが「知らぬ存ぜぬ」を貫き、口を固く閉ざして、剣爵の手を焼かせている折も折、グライアスから使者が現れた。
棺を納めて欲しい、ついてはパトリアルスの書状も熟読して頂きたい。
それだけ言うと、剣爵に会おうともせず寺院を退去したという。
訳が分からないまま、とにかく寺院の拝礼所へ案内され、神像群の足元に安置されているそれを見せられた。
先に確認されたのだろう、蓋は既に開いていた。
強烈な香草の臭気、ほのかに混じる死臭が、棺の周辺に漂っていた。
恐る恐るといった体で中を見たキルーツ剣爵は、変わり果てた従妹が横たわっているのを視界におさめたのだった。
「何が起きたのだ。
クレスティルテの身に、いったい何があったっ」
膝を落としたまま、顔を両手で覆い、髪を振り乱して、剣爵は叫んだ。
周りを取り囲む従者たち、付き合いの長い老執事も、皆おろおろと落ち着きなく互いの顔を見合わせ、または説明を求めるように壁際に整列している僧侶らを見る。
だが、一人として事情を語ろうとする者はいなかった。
剣爵の手元にある書状を読め、と言わんばかりに、僧侶や尼僧は沈黙して膝をついている彼を凝視している。
「旦那さま」
老執事が、遠路がちな声で剣爵に話しかけた。
「パトリアルスさまからの書状に、お目をお通しくださいませ。
伝え聞くところでは、そこに真実のすべてが記されているとの由」
「パトリアルスどの……」
剣爵は、まだ軽い自失状態ではあったが、その名を聞いて何とか気を取り直したらしく、よろけながら立ち上がった。
「棺の蓋を閉じよ」
力なく命じてから、拝礼所の隅まで歩いていく。
明り取りのろうそくと、休憩用の椅子が用意されてある。
腰かけ、蝋で固く封された書状を、いったん老執事に渡す。
小刀で封を切る音がした。
続いて、がさがさと音がし、やがて計六枚に渡る書類が恭しく差し出されたのだった。
「なっ、何とッ。
パ、パトリアルスどの。
何と早まった事を」
記されている文章を読み下すうち、剣爵はどんどん青ざめていった。
故従妹が溺愛してやまなかった、あの気立ての優しい青年が語る、クレスティルテ殺害にまつわる経緯と、遡った諸般の事情。
さらには
「エルンチェアには、決して披瀝しないように」
と厳しく前置きされた後の、決意の文面。
読み終わる頃には、キルーツ剣爵は、涙を流していた。
「パトリアルスどの。
そうか。
そういうお考えか」
書状を封に戻し、懐にしまうと、彼は立ち上がった。
棺を振り返り、死者を悼む礼を捧げる。
「……分かった。
全ては、わたしの胸の中にしまっておこう。
パトリアルスどのが仰る、その然るべき日まで」
小さくつぶやくと、控えている老執事を見やる。
「王都に帰る。
それと、ロギーマ卿に会えるよう、手配してくれ」
「ロギーマどのですか。
確か、エルンチェアにご出向なさったばかりかと」
「違う。
彼の父君の方だ。
ロギーマ師団長どのと面談する」
「かしこまりました。
ところで、あのう。
ご葬儀の方は」
「寺院で執り行うよう、手配するように。
我が一族からは誰も参列せぬ。
必ず、手厚く葬るよう、申し遣わすよう」
キルーツ剣爵は、沈黙したまま壁に沿って並ぶ僧侶らを見ないで、拝礼所を出て行った。
僧侶の一人が、背中を見ていた。
まるで、睨むように。
豪雪を物ともせず、猛烈と言いたい速度で王都に立ち返った剣爵は、エルンチェア宮廷へ行かせた若い盟友ゼーヴィス・グランレオンの父、ロギーマ師団長とすぐに会った。
自宅へも帰らず、ロギーマ邸に馬車そりを直接乗りつけたものである。
ロギーマ師団長は仰天し
「これは、キルーツ剣爵閣下。
お呼びたてくだされば、御屋敷まで出向きましたものを」
玄関であたふたしている。
先ぶれの従者が飛び込んできた際に、半信半疑だった彼は
「閣下がお成りあそばすだと、拙宅にか。
わたしが、閣下の御屋敷に参上するの間違いではなくか」
しつこいまでに問い直した。
そうこうしているうちに、当人を載せた馬車が到着したというのだ。
爵位上は同格ながら、王家に連なるキルーツは、ロギーマ家より格上であり、主人が直々に出迎えなくてはならない。
慌てている師団長に対して、キルーツは
「体裁など、この際は措かれよ。
つい今しがた、モエライルから戻ったばかりだ。
わたしが貴公の屋敷に立ち寄る方が早い。
今すぐ、話し合わねばならない事がある」
居間に通せと強く主張した。
何かあった。
ロギーマ師団長も察して、ただちに落ち着きを取り戻し、自ら先導してキルーツを部屋に連れてゆく。
剣爵は、寒さのせいではなさそうな顔色の悪さで、引き結んだ唇も震わせている。
その理由は、居間について席に陣取ったか否かというあたりで、早速に告げられた。
むろん、師団長も絶句した。
「ま……まさか、そんな」
「事実だ。
わたしはこの目で見た。
首を失った、世にも哀れな従妹の亡骸をな」
「そんな。
モエライルからご失踪あそばされたとは、確かに伺っておりました。
グライアスに行っていたとは。
しかも、斬首されて……」
「必ずしも、斬首刑とは限らぬ」
キルーツは首を振った。
ロギーマ師団長は眉を寄せた。
「斬首刑とは限らぬ、とは如何なる御意にございますか」
「従妹の胸元に、刺し傷があったのだ。
見たところ、致命傷と思われる。
斬首刑ならば、わざわざ胸にとどめを刺すわけはない。
あれは、暗殺の可能性がある」
「あ、暗殺っ。
パトリアルスさまが、ですか。
ただいまの閣下のお話によれば、パトリアルスさまが御手を下されたと」
「左様。
パトリアルスどのが、ご自分のご意思によって、実母たるクレスティルテを暗殺した。
その後に、首を刎ねて斬首刑に処したように繕ったのだろう」
「なぜ、そのような……」
「深いわけがある。
だが、今はまだ語れぬ」
書状によって、パトリアルスの意図を理解した剣爵は、決して漏らすなとの前置きに従う事にしていた。
「誰にも語ってはならんのだ。
了解されたい」
「……は。
それがしは武人にて、ご命令を賜るならば、仰せの通りに致します」
「有難い。
時が来れば、必ず貴公にもパトリアルスどのの真意を明かす事を約束しよう。
従妹の死に対してはな。
覚悟はしていた」
キルーツは、ロギーマ卿から目をそらしつつ、静かに言った。
エルンチェアから、我がブレステリスの、対グライアスにおける外交及び軍事に関する全ての行為を赦免する。
不問に付す代わりに、クレスティルテをして王太子毒殺未遂事件の首謀者たるべく、処罰する。
丁寧な言い回しではあったが、提案という形をした、要は命令が届いた。
王太子ジークシルトの署名が入ったもので、事の次第をゼーヴィスから明かされた際は
「何と苛烈な思し召しか。
これをわたしにやれというのか。
仮にも従兄だぞ」
さすがに抵抗したが、結局は同意したのだ。
パトリアルスと会える日が来るはずはないと考え、長らくの苦悩で、当人も周囲も疲れ果てるくらいであれば、いっそ楽に。
最後の別れもかねて、モエライルに出向いたところ、何とその当人が居ないという。
慌てて探させたが一向に事態は進捗せず、寺院の者らは口裏を合わせたかのように、誰も事情を知らないと言い張るばかりだった。
安楽死させる積もりが、行方不明と聞かされた時の驚きは、未だに剣爵の脳裏に焼きついている。
まさか、こんな形で従妹の死を目の当たりにするとは、思ってもいなかった剣爵だった。
「それが、とんだ事になった。
ともかくも、事後対処しなければならん。
対エルンチェアもさる事ながら、グライアスについてもだ。
これは、下手をすると、ブレステリスの亀裂はますます深まる。
ロギーマ卿には、これから話す事について、徹底してもらいたいのだ」
視線を正面に戻し、彼は師団長へ、腹案を語り始めた。