東風吹かば4
「長かったな」
執務室で長男と対面したバロート王は、言葉によらない王太子の決意表明を受け止めた。
「落ち着く時間を与えて遣わした甲斐があったと申すもの。
もし、そなたがこの猶予を浪費したのだったら」
一拍置く。
「予は、新たな王太子を探さねばならぬところであったわ」
「恐れ入ります、陛下。
そのような御手を煩わせるには及びませぬ」
ジークシルトは堂々としている。
父王が希望していた、後継者にふさわしい態度に改まって、彼が執務室を訪れた時
(やっと、パトリアルスを見限る心境になったか。
思えば、皮肉なものよ)
バロートは内心で苦笑を漏らした。
パトリアルスを厄介者として見ていた父だったのだが、今にして、初めて役に立ったと思っている。
敵対した途端に価値が出るとは。
(運命は糾える縄、とは古来の言い習わしだが、よくぞ言った。
後は、ジークシルトが、パトリアルスもろともグライアスを倒す。
この手順を正しく踏んだ時、予は王座をそなたに与えよう)
身を引く準備について、頭の片隅で計算を始めつつ、バロートは長男に頷きかける。
「祝着だ。
手間を省いたからには。相応の働きを見せて貰うとしよう。
さて、問おう。
クレスティルテの首を刎ねたのは、誰だと思う」
「パトリアルスと考えます」
ジークシルトはきっぱり言った。
「胴体は、恐らくブレステリスに送られたと考えて差し支えないかと」
「予もそう思う。
パトリアルス以外に、あの女の首を落とせる者はおらぬ。
少なくとも、グライアス王には困難であろうな。
まだ、ブレステリスと繋がりがある以上、そこまでは思い切れまいて。
生かしておいて、人質とする他に無い。
ならば、パトリアルスがやったとしか考えられぬ。
当宮廷にて、その処置を断行していたのなら、褒めて遣わしたところだがな」
「残念です」
言う程には、残念がっていない様子のジークシルトだった。
バロートは笑い声をあげた。
「そなたにすれば、そうであろう。
何とか、パトリアルスを助命せんとして、あれこれ手を打っていたようではないか。
全て無駄になってしまったな」
「無駄になったのは、止むを得ませぬ。
パトリアルスに頼まれたのではなく、単にわたしの節介焼き。当人に拒否されたらそれまでの事。
助けられるのが嫌だというなら、望みを叶えて遣わそうと、考え直した次第です」
「良い心がけだ。
自ら思案の末に、そう思い切ったのなら重畳。
では、事のついでにもう一つ問おう。
そなたであれば、またもや裏切ったブレステリスを、如何に処遇するか」
「是々非々にて事に当たりたいと考えます」
「ほう。
国ごと処罰するのではなく、敵に与したもののみを処罰して済ませる所存か。
それが成れば理想ではあるが、出来るものかな」
「ゼーヴィス・グランレオンを呼び寄せ、仕官させました。
あの者の背後にいるのは、クレスティルテどのの従兄、キルーツ剣爵です。
親グライアス派の要人名簿も入手致しております。
わたしの考えでは、ゼーヴィスにラミュネス・ランドを補佐官としてつけてやり、親エルンチェア派に呼びかけつつ、敵側の要人を一掃すべきかと。
幸い、親エルンチェア派には軍人が多いとの由。
我が宮廷にも同じ事が言えますが、勢力争いでは軍を握った方が勝ちます」
「確かに。
そうであったか。
急にブレステリスの武人を我が宮廷に招きたいと言い出したのは、あの者を足がかりに、先方宮廷へ手を伸ばす考えがあっての事だったのか」
「はい、陛下。
先の国境戦において、グライアス塁を内部から急襲、少人数で制圧したとの武勇伝を持つ男です。
手元におけば、相応の働きを期待できると考えておりました。
一度は、我が宮廷への仕官を勧めてみましたが、祖国を見放せないと断られました。
忠誠心に富む男であるとも、わたしは評価しております」
「承知した。
武功を挙げたそなたの希望ゆえ、差し許して遣わしたが、やはり何の考えも無しに呼び寄せたいと言っていたわけではなかったな。
この一件は、そなたに一任しよう。
予は口出しせぬゆえ、思う通りに指揮してみるがよい」
父王は機嫌よく、ジークシルトの立案を受け容れた。
「以上が、陛下よりご裁断を賜った作戦内容である。
ゼーヴィス。
おぬしの国を救い、かつ我がエルンチェアの利益にもなる。
ラミュネスにも、ゼーヴィスの補佐を命ずる。
両人、協力してこの案を必ず遂行せよ」
王太子の執務室に呼ばれたゼーヴィスとラミュネスは、並んで若い主君から下命された。
二人とも頭を下げ、了承して部屋を出る。
ゼーヴィスの後ろを歩くラミュネスに
「これから、宜しく頼む」
声がかかった。
肩越しに、ブレステリス出身の武官が振り向いている。
ラミュネスも目礼した。
「わたくしこそ、閣下にご指示を賜ります。
何卒、よしなに」
「ジークシルト殿下は、貴君を随分とご評価あそばされていたな。
何でも、幼少期から修学仕としてお側に上がっていたとか」
「ええ。
わたしは御覧の通り、ガニュメア人です。
殿下にあらせられては、民族の違いを超えてお側に寄せて頂き、重用を賜って、光栄に存じております」
「殿下がご評価あそばされるなら、わたしも頼りがいがあるというものだ。
そういえば、修学仕の側近はいま一人」
そこまで言ったときだ。
「貴君ッ」
真正面から、驚きの声を浴びせられた。
ちょうど、話題にのせようとしていたその当人、ダオカルヤン・レオダルト・ヴェルゼワースが、廊下の向こう側に立っていたのだ。
彼は、ゼーヴィスをじっと見つめていた。
「おお、ヴェルゼワースどの。
塁からお帰りか」
「つい先ほど。
いや、貴君こそ、いったい何が」
言いながら、小走りに駆け寄ってくる。
そこで、ラミュネスにも気が付いたようだ。
ますます驚きの色を深くしている。
「な、何。
ラミュネスか。
なんで、おぬしがロギーマどのと」
「話せば長くなるのですが、後でご説明申し上げます。
それより、ダオカルヤン。
貴方は殿下にご挨拶なされるおつもりではないのですか」
黒髪の青年が、久しぶりに会った幼馴染に笑いながら言うと、あっという声があがった。
「そうだった。
帰着のご挨拶に伺うところだった。
わかった、では後で。
ロギーマどのにも、いろいろ聞きたい」
ほとんど言い捨てるようにして、ダオカルヤンは王太子の執務室へ早足に向かっていく。
その忙しない姿を、残った二人は見送って
「ヴェルゼワースどのは、お元気な御様子だな。
あの着衣といい、肩に雪がついているところといい、帰着したばかりだろうに。
塁でお会いした時と、変わっておられぬ」
「ダオカルヤンは、昔からああですよ。
それこそ、ジークシルト殿下の修学仕時代からずっと。
そこを、殿下はお気に召されたもようです」
見守っていると、なるほど、肩に雪をのせたままで執務室に入っていく。
相当に心安い間柄なのだろうと、ゼーヴィスは小さく笑った。
「おお、入って行かれたな。
身づくろいしようとは、思わなかったのか。
何とも豪気な、愉快な御仁だ。
さぞ、殿下もお楽しみにあらせられるだろう。
あの御仁を相手にしていたら、暇を持て余しようがない」
「――ええ」
ラミュネスは、表情の陰りをゼーヴィスに見せないよう、注意しながら、声だけは明るくした。
「昔馴染みですので。ほぼ彼の特権ですね」
答えながら、居間で相対した時の若い主君を思い出す。
(その愉快な御仁をもってしても、殿下の御心に開いていた穴を塞ぐ事は出来ませんでした。
もちろん、ぼくも。
ダオカルヤン。
これから、相当に驚かれる事でしょうね。
貴方が留守の間、宮廷は、いや殿下は……変わられましたから)