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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第三十三章・第三部
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東風吹かば2

 この日、エルンチェア宮廷には、過去にない衝撃が走っていた。

 第二謁見室には、緊急で関係閣僚、高位軍人が招集され、もちろんジークシルトもその中にいる。

 廊下を渡る時、腹心ラミュネスから


「クレスティルテさまの斬首執行、および証拠が送付されたとの由」


 耳打ちされている。

 ジークシルトともあろう者が、目をしばたたかせて


「グライアスから、あの不愉快な婦人の首が届いただと。

 冗談なら、今少し気の利いた事を言え」


「いえ、事実です。殿下」

「そんなばかな話があるか」


 簡単には納得しなかった。


 妻ヴェリスティルテの助言により、パトリアルスが謹慎させられていた北湖岸の屋敷を捜査させ、彼女の嫌な予感が的中したと知ってから、まだ日が浅い。


 弟が屋敷から姿を消したと聞かされた際も、なかなか信じなかった兄である。

 屋敷の状況や、勤め人らが暮らす湖岸の村での聞き取り調査から


「いつの間にか入り込んでいたブレステリス人が、パトリアルスを何らかの手段によって拉致したもの」


 との結論は、既に出ている。

 自分の意思による出奔ではないと確信が持ててから、ようやく


「ブレステリス。

 一度は許して遣わしたものを、まだ懲りんのか。

 次は無い、と承知しての造反であろうな」


 ゼーヴィスを詰問する形で、弟の屋敷がもぬけの殻だったという報告を受け容れた。

 鋭く問われた方も、心外極まる事態だったのだろう。


「恐れ入り奉ります。

 このような事態が起きていたとは、不覚にも掴めませなんだ。

 衷心よりお詫び申し上げます」


 顔を青ざめさせていたものだ。

 ジークシルトは、彼を責めるつもりは無かったようで、謝罪に対しては大きく首を振り


「相済まぬ。

 今のはおれの八つ当たりだった。


 貴君に罪を鳴らそうは思っていない。

 言うまでもないが、貴君の忠誠心についても、疑ってはおらん。


 つまり、ブレステリスは妻の指摘通り、国論が真っ二つで、思いのほか親グライアス派が深く根を張っているという事だ。


 ただ、パトリアルス拉致について、問責無しというわけにはいかんぞ」


 釘をさすべきところは刺しつつ、彼当人の詫びには寛容な態度を見せた。

 ゼーヴィスは、内心で、エルンチェアへの反発を収めようとしない一部の宮廷人に怒りを向けながら


「はい。心得ております」


 殊勝に、あるいは冷徹に、祖国を弁護しなかったものだ。

 それから日をおかず、本日の事態発生である。


 いったい、何があったのか。

 ジークシルトは考え込み、なかなか「これぞ」と思われる理由を探し当てる事が出来ないまま、第二謁見室に足を踏み入れた。


 生臭い、そして強い酒精の臭い、薬草の香り、三種類の異なる臭気が室内を満たしている。

 王の席の前には、形式上は献上品のため、格式を調えた台座が据えられている。


 恭しく載せられているのは、高級な陶器製の壺と思わしい、実際のところは首桶に他ならない代物だった。


 招集された全員が揃ったと見て取ったバロート王が、背後に控える小姓を指で呼び寄せ


「王太子、前へ。

 これより、首実検(くびじっけん)を執り行う」


 厳かに告げた。



 蓋が開けられ、小姓が中のものを取り出す。

 終始手が震えており、まだ年若い彼は、まともに見る事が出来なかったのだろう。

 はっきりと、それから目を背けている。


「おおッ」


 どよめきが起こった。

 高々と持ち上げられた「それ」は、無残に変わり果てた、しかし確かに見覚えがある女性の首だった。


 バロート王は凝視している。

 その表情は、硬く厳しい。


 父王に指名されて進み出たジークシルトも、同じく目をそらさなかった。

 小姓が首を周囲に見せる仕草をするよりも早く


「陛下、ご無礼仕る」


 断りを入れて、自ら台座の前に回り込んだ。


「どう思うか」


 父に問われる。

 ジークシルトは向き直り、軽く一礼して


「クレスティルテ・フローレンどのに相違ございません」


 静かに言った。

 周囲は、親子の事務調が少しも乱れない会話に、誰もが密かに驚いている。


 仮にも元妻であり、また実母であった女性の首を見ても、彼らは何ら思うところはないのだろうか。


 場を見守る一同が等しく驚愕している中、王と王太子の会話は、いっそ恬淡としていると言いたい調子で進んでゆく。


「うむ。

 予も同感だ。間違いあるまい。


 グライアスに拉致され、挙句に斬首の結末か。

 誰の決断であろう」


「むろん、グライアス王と思われます」


「ではその意は何か。

 クレスティルテは、何か重大な粗相を犯したのか」


「それは分かりかねます。

 陛下。


 首だけが届くという事は、通常ございますまい。

 何か、罪状なり理由なりをしたためた書類の同封はございませんでしたか」


 その問いに、王はふっと笑った。

 凄みのある微笑、武断王と異称される独特の笑いである。


「ある。

 予もまだ目は通しておらぬ。


 よって、ただいま王太子ならびに陪席の一同へ披露するとしよう。

 書状をこれへ。

 封を切り、読み上げよ」


 命じられたのは、典礼卿だった。

 事前に預けられていたのであろう封書を取り出し、重々しく開いて、中から書状らしい高級紙を取り出した。


 おもむろに読み上げる。

 その場のほぼ全員が、新たな衝撃に襲われた。


 ジークシルトも免れなかった、いや。

 王太子こそが、もっとも衝撃を受けた一人だった。



「なぜだッ」


 居間に引き取ったジークシルトは、荒れに荒れた。

 クレスティルテの首実検にはまるで動じなかったものが、書状の中身を聞いた瞬間、あっけなく動揺した。


 かろうじて取り乱すのは堪えたが、何だと、との叫びを抑える事は出来なかった。


「今一度だ。

 今一度、読み返せっ」


 王の手前も忘れて命じた。

 再び同じ内容が繰り返された時、彼の美貌に朱がさした。

 その瞬間、王が口を開いた。


「二度にわたる確認、大儀であった。

 これ以上は不要である。

 典礼卿、下がってよい」


 父の声を聞いて、何とか理性を取り戻し、両の拳を固く握り締め、口も閉ざした王太子だった。

 即座に解散が申し渡され、王には


「少し休め。

 後ほど、我が執務室に出頭するように」


 言いつけられた。

 冷静さを回復してから、改めて話をするとの意に、ジークシルトは服さざるを得ず、王太子の私室に戻ってから感情を爆発させたのだった。


 控えていたラミュネスに事の次第を話す、というよりもぶちまけるといった様子で語り、なぜだを繰り返している。


「なぜだ。

 分からん。

 パトリアルスが何を考えているのか、おれには分からんっ」


 金髪をかきむしり、椅子を軋ませる程の荒っぽさで腰かけ、ジークシルトはうめく。

 文書には、特にパトリアルスが母を殺害したとは書かれていなかった。


「成敗」


 という表現だった。

 そのうえで、亡命を希望するとも申し出たという。


 グライアス宮廷は歓迎の意向を示し、わざわざクレスティルテの処刑を見せつけるような恰好で首とともに書状を送って来たのだ。


 苦悩する若主君を、ラミュネスは傷まし気に見ていた。

 この怜悧な青年には、すでにある程度の意味が理解できているのだろう。


 幼馴染にして腹心の前では遠慮なく取り乱したジークシルトは、やがて時間の経過とともに落ち着き始め、ぼう然とした体で天井を見上げた。


「これは、裏切りか。

 おれに、含むところがあるのか、パトリアルス」


 先ほどとは打って変わった力ない調子で、天井を見たままつぶやく。

 ラミュネスは、その横に寄り添い、片膝をついた。


「断じて、裏切りではございません」


「なぜ、そう言い切れる。

 あいつは亡命を希望したという。

 我がエルンチェアと敵対するグライアスに、亡命だぞ」


「他に策が無い。

 その一言に尽きましょう。


 パトリアルスさまは、敵に拉致されたとの報が入っております。

 であれば、御自らの御力のみでグライアス脱出は不可能と考えるべきです。


 亡命を装って、脱出の機会を待つ御所存かと思われます。

 もしくは、パトリアルスさまご自身の御意向ではなく、あくまでもグライアスの意向とも考えられます」


 答えを聞いたジークシルトは、しばらく思案顔をしていた。

 天井の一点を鋭く見つめ、やがて。

 大きく息を吐いてから


「……ラミュネス。

 おれを慰めるつもりなら、やめろ」


 ジークシルトは、やおら姿勢をただした。


「おぬし、そんな生易しい事態だと考えているのか、本気で。

 おれは、おぬしの知恵を買っていると自負していたがな。

 もしそう考えているなら、おれはおぬしを買い被っていたと見なすぞ」

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