夫レ、時代ハ動乱4
ランスフリートの決断は迅速だった。
「ラフレシュアに宣戦布告すべきだ」
宮廷を騒然とさせる一言を、彼はきっぱり言ってのけた。
「戦をお望みあそばしますか、殿下」
「特に望んではいない。
剣将、わたしは以前も言ったはずだ。
避けられない戦であれば、やるしかないし、やるからには負け戦はご免被ると。
放っておけば、先方から宣戦布告が来るぞ」
「その点につきましては、それがしもご同感申し上げます。
ですが、時期尚早と考えます」
「いいや。
既に事は起きている。
ラフレシュア国境間の遊休地で発生した武力衝突は、先方から見ても、我がダリアスライスに宣戦布告する理由になるだろう。
彼らは戦いたがっている。
内戦を終わらせる為に、敵役を欲している。
それを、あのエテュイエンヌの主が見逃すと思うのか。
先手を取らせてはいけない。
剣将。貴公なら分かるはずだ」
誰に諫められても、翻意しない。
ランスフリートの決心は小揺るぎもしそうになかった。
そこまで言われれば、ダディストリガも説得を断念せざるを得なかった。
ただ
「一つ、お尋ね申し上げ奉る」
「何か」
「あくまでも、我がダリアスライスの国益を重んじておられるがゆえの思し召し。
左様に心得てよろしゅうございますか」
難しい問いかけだけはした。
ランスフリートは、少し考える顔つきになった。
従兄の心配を、彼は理解している。
先日、文字通り命からがらの体で渡ってきたエティエンヌ王国の、本来の主たる若者、ロベルティート・ダリアレオン。
無残な姿になった元王太子に対して、余計な情けをかけようとしているのではないか。
ダディストリガは、それを懸念しているのだろう。
無理もない、とランスフリートは内心で思う。
到着後、しばしば客室へ足を運び、体調が良さそうな時には会話もしている。
従兄の目には
「深入りしすぎではないか」
そう見えているに違いないのだった。
全く身に覚えが無いか、と問われれば、実のところは潔白とは称し難い。
同情の念は深く、可能であるなら
「わたしに全てお任せあれ。
エティエンヌ王国に攻め入って、王太子の座を奪い返して御覧に入れる」
そう宣言したい気持ちはあるのだ。
ただ、実現は不可能だとも、分かっている。
「心外だな」
考えた結果、ランスフリートはため息を漏らした。
「我がダリアスライスの国益を重んじずして、何を重んじればよい。
あまり言いたくはないが、わたしは王太子の座と引き換えに、麗妃を喪っている。
ティプテの魂に誓って、祖国が外国に踏み荒らされるが如き事態を引き起こす行為は、全て排除する」
「ご無礼仕りました」
ダディストリガは、やっと納得したようだ。
次の手順は、閣議にかけて採決し、父王から許可を得る。
一切を従兄に任せ、居間から下がらせると、ランスフリートはしばらく無言で宙を見つめ、やがて
「誰か。
フェレーラ・シトネーに伝えたい事がある」
人を呼んだ。
ロベルティートの病室には、絶えず花が飾られ、一日一杯の制限はあるが、好みのコール茶も運ばれている。
ランスフリートがエテュイエンヌ王国を訪ねた帰りに
「我が国の名物です。
土産としてお持ち帰りください。
ついでに、感想も頂けると嬉しい」
持たされたものの余りだ。
宮廷で、側近数名に分け与えたが、寄せられた感想は
「実に珍味」
「南西三国の異国情緒あふれる逸品」
等々。
要するに、世辞だった。
ランスフリート自身もそこまで積極的に手を付ける気にはなれず、手持ちを提供するに至ったのだ。
ロベルティーとにとっては、大変ありがたい心遣いだった。
何しろ、茶と言えば草原随一の「タペ」ばかり飲まされていた。
久々のコール茶が手元に来た時、香りに気づいて自ら身を起こした程である。
「ロベルティート殿下。
ご無理あそばしますな」
付き添いのオタールスが慌てて止めたが
「そんな殺生な事を言わないでくれ。
オタールスだって、懐かしいだろう」
「それはそうですが、お申し付けくだされば、いくらでも御介添え致しますものを。
何も御自ら」
「もう少し力が戻ってきていれば、飛び起きたね」
痛々しい様子は相変わらずながら、ロベルティートは笑顔を見せたものだ。
本日も、時刻的にはそろそろ用意されるだろう。
もっとも、侍女アンクは、あの匂いが得意ではなさそうで、必ず鼻をつまむ。
「旦那。
今日もあの苦そうな飲み物、飲むの。
タペ淹れて来ようか。
タペの方がいいよ、美味しいよ」
お勧めを盛んに口にする。
ロベルティートは笑いながら、内心は無邪気な少女を傷つけまいとそれなりに苦心して、辞退している。
扉の向こうから、声がかけられた。
オタールスが応じて、近づく。
「えっ」
急に、大声が上がった。
上半身を起こしていたロベルティートが、何事かと目を見開き、少し身を乗り出した時、オタールスが慌てたように走り戻って来た。
「申し上げます。
ランスフリート殿下が、お見舞いにおいであそばされました。
それに、あの」
「それに、何だ」
「フェレーラ・シトネー姫もご同伴におわします」
「ええっ」
ロベルティートも、臣下以上の大声を上げた。
ランスフリートが入ってきた。
背後を振り返り、手招きしている。
「ラ、ランスフリートどの」
「もうそろそろ、お顔合わせなされても良い頃合いかと思いまして。
ご紹介致します。
異母妹フェレーラ・シトネーです」
実に美しい姫御前が、淑やかに姿を現した。
ロベルティートは息をのんだ。
「や。
これは、その」
異母妹とはいえ、顔立ちはよく似ている。
線の細い輪郭、白金の髪を後ろに長くたなびかせ、触れたらたやすく折れてしまいそうな細身の美女だった。
静やかに一礼し、異母兄から半歩ばかり下がった位置で、顔を俯けている。
挨拶を促され
「お初にお目にかかります、ロベルティート殿下。
フェレーラ・シトネーと申します」
服の裾をつまんで軽く持ち上げ、左手は胸に添える。淑女の礼が、これ以上ない程に似合う。
絵画から抜け出てきたと聞かされても、信じてしまいそうだ。
ロベルティートは深く感心した。
「姫。ご丁寧に、いたみいいります。
ロベルティート・ダリアレオンです」
「御横難に遭われまいらせたと伺い、心配致しておりました。
今は、拝見するところ、お顔の色合いもよろしくて、真に祝着に存じます」
声も柔らかで、小声ながらよく通る。
躾が行き届いているようだ。
ランスフリートに指示されて、妹はコール茶を手ずから病床まで運んだ。
「お、恐れ入ります」
さすがにロベルティートも、あがってしまったのか、いつもなら軽口が出るところなのに、ひどく大人しい。
臣下オタールスは、しどもどしている主君を、一応は行儀よく、しかし口元だけは緩ませて、見守った。
しばしの歓談を楽しんだ後、ランスフリートは妹を部屋から下がらせた。
「またいずれ、折を見て見舞いに来させます」
「お人がお悪いですよ、ランスフリートどの。
あらかじめ知らされていれば、多少は身なりに気を使いましたのに」
ロベルティートは汗をかいている。
荒っぽく切りさばかれた髪は、手入れのお陰で、とりあえず見苦しくない程度には整えられてある。
が、いかにも重傷の患者らしい様子は少しも隠れていない。
「急に思いついたもので。
フェレーラも、乗り気でしたから」
「そうですか……結婚できるとは限らないのですが」
「いえ。
フェレーラの夫は、ロベルティートどのをおいて他にはない。
少なくとも、わたしはそう思っています」
真面目なランスフリートに、ロベルティートの方は苦笑するだけだった。
「ぜひとも、エテュイエンヌに戻られて、フェレーラを伴侶にお迎えください」
「そうしたいのは、やまやまなんですが」
策がない。
そう言いたいらしい彼に、ランスフリートは表情を崩さず
「我々は、南西三国に宣戦布告します」
エテュイエンヌの主従へ、そう告げた。