北東の逆襲5
東に風が吹いてきている。
逆襲の機を狙うにあたって、機が熟し始めている。
アースフルトは、腹心シュライジルからの連絡一切を知り、たいへん素直に感嘆の意を表した。
「御母堂を弑し奉るとはね。
これはとんだ見損ないをしていたようだよ、このわたしとしたことが」
パトリアルスの、あまりにも予想の範囲を飛びぬけていた行動を知った時、普段は飄々として滅多に素顔をさらさないアースフルトも、野心家の顔つきになったものだ。
「グライアス宮廷を乗っ取るくらいの気概が欲しい、とは思っていたがね。
なかなか。
それ以上だった」
「あれ程に、母君お大事とのご意思を歴然となされておられたものが、どういうご心境の変化なのでしょうか」
シュライジルの縁者である、忠実な手駒の若者は、まったく理解できないという表情だった。
アースフルトは野心家の顔を隠そうとせず、冷ややかな微笑を作った。
「彼なりの慈悲ではないかね」
「えっ。
慈悲でございますか」
「報告によれば、エルンチェア宮廷ではジークシルト殿下暗殺未遂事件、それもグライアスが関与していない毒殺未遂事件が起きていたという。
さすがに、これは深いところまでは知らなかった。
そして、首謀者はクレスティルテどの。
なら、我々が考えていた策をグライアスが受け容れたと知った場合、どうする。
クレスティルテどのを、どうやって助命する」
「……困難かと思われます」
「そうだろうとも。
もし、エルンチェアが、我々の献策である『パトリアルス、クレスティルテ御両人の身柄引き渡しの条件として、現在占拠されている東塁の解放を求める』に応じたら、クレスティルテどのの命はないものと見るべきだ。
かといって、拒絶されても、あとはパトリアルスどのへ屈服を迫るための人質くらいにしか用途は無い。
となれば、用済みとなった時点で消されるだろう。
どの道、あの貴婦人は助からないのだよ。
パトリアルスどのは、そこに気づいたのだろう」
「それならば、実子たるご自身の手で、と」
「それだけではないだろうね。
亡命を申し出たという件。
あえて御母堂の御命を奪い、しかる後に亡命を願い出たというのは、ある種の意思表明だったのではないかね」
「表明、ですか」
「そうとも。
パトリアルスどのにとっては、平たくいえば、クレスティルテどのは邪魔者ではないかね。
屈服を迫られる立場を逃れ、みすみすグライアスの手駒になって踊らされるのを拒む。
その、もっとも効果的な意思表明とは、すなわち実母殺害だ。
邪魔者を自らの手で排除するのも厭わないと、誰の目にも明らかで、かつ衝撃的な手段だからね。
どうせ助からないのなら、我が手でお楽にして差し上げる。
同時に、自らの立場を強めるための役に立って頂く。
パトリアルスどのの狙いは、こんなところだろうと思うよ」
「なるほど。
確かに、我らが考えていたよりも遥かに、かの御仁は食えない人物だったと」
「その通りさ。
しかし、それならそれで、使い道の選択肢が増える。
我々にとっては、歓迎すべき剛毅さだと言える。
こちらから頼まなくとも、グライアス王暗殺くらいは、あるいはやってのけるかもしれないよ」
アースフルトは、薄暗い微笑をそのままに、言い放った。
現在、北東情勢は国境戦争前とは大きく変わっている。
リューングレスの積極的な、しかも水面下における介入は、グライアス王が半ば絶望視していた
「南方圏との薪貿易における優越」
を、復活させつつある。
南西三国の東翼エテュイエンヌが、握手を求めてきたのだ。
使者が二名、まずリューングレスに現れた。
「我が王太子シルマイト殿下の使者です」
彼らはそう名乗り、船と峠を使ってここまで来たと語った。
シルマイトは興味を示し、二人との会談に臨んだ。
「すると、南方圏では、まだ我が宗主国グライアスを見限ってはいないというのかね」
「むろんです。
北方における大事な資源、すなわち薪の売り先が、エルンチェア王国に長らく独占されているのを、少なくとも弊国は良しとしておりません。
これには、塩の利権がまつわっております。
我が南方では、どの国も例外なく塩を重要物資と心得ており、ましてや暑気が殊の外厳しい我ら南西三国においては、北方の薪と同じ位に大事な資源と考えているのです。
我々は、出来る限り安価かつ高品質な塩を求めます。
更に加えるなら、ダリアスライスが集中支配する塩の相場を広く開放させ、かの国の一国独占状態を改善したいと願っております。
その為にも、グライアスに塩事業へ乗り出して頂き、エルンチェアと覇を競う状況を望む次第」
「ふむ。
一理ある。
して、具体的にはどのような希望を持っておられるのかな。
ヴェールトが、東と西の峠を管轄する現状で、どのように我らへ塩市場への参入を促す御所存か」
「船を用います」
「船。
それはまた、斬新な提案と言わねばならないな」
「我々は『南限の港』の存在を存じております」
使者がそう言うと、アースフルトも笑顔を作った。
「ほう、南限の港か。
久々に耳にした。
確かに、南限の港の存在は、我がリューングレスにとっては良い足がかりになるな。
貴君らの御主君は、歴史にそこそこ精通しておられると見える」
「はい。
殿下は仰せになられました。
南限の港を制圧し、元の所有者へご返還して差し上げるのが筋である、と」
そう聞いた時、アースフルトは笑い声をあげていた。
南限の港。
どの国にも属さない、独立自治体のような存在として南方に位置する港町は、南から見て北限に有りながら、なぜか「南限の港」と称されている。
その名の由来を辿れば、実はリューングレスに端を発するのだった。
「そうだね。
南限の港は、そもそも我がリューングレスが開拓したのだ。
いつの間にか、勝手に自ら治めるようになったようだが、元をただせば我らが手を入れた。
現に、リューングレス出身の子孫が、今も港でそれなりの勢力を握っていると聞いている」
「仰せの通りにございます。
エルオ座、ライガ座、ビセル座、等々。
このような漁業組合の大手は、組合長がみな、貴国リューングレスから渡って来た者らが務めております。
いざとなれば、南方圏に義理を立てたりは致しますまい。
子孫がこの貴国に住んでいるからには」
「利用価値は大いにある。
船を使っての貿易は、我らリューングレスも実のところは、真剣に考えていた。
ツェノラと手を組んで、海路振興策を起こそう、とね。
残念ながら、我が宗主国の御意向により、頓挫してしまったが。
今なら、逆に宗主国の窮地を救う策として、宮廷も考えてくれるかもしれないな」
「ヴェールトについては、我ら南西三国が手を打ちます。
彼らは度重なる国際間での失態に加え、西峠の紛争を何とか春までに始末しなければ、と焦っております。
元々、エルンチェアにもダリアスライスにも、あまり良い印象を持っておらぬ国でございますれば、挽回の機会を得られれば、グライアスとの絆を再び固める方向へ考えを進める事でございましょう」
「良い話を聞いた。
貴君らを、我が宗主国グライアスへ遣わそう。
わたしからも、口添えする」
かくして、使者らはグライアス王と対面に及び
「奇なり。
予が否定した海に救われるとはな」
王をして、そのように言わしめる状況が出来上がったのだった。
「――という次第だ。
王爵どのには、ご承知おかれたい」
グライアス王の話は終わり、パトリアルスは頷いた。
南方圏が、具体的にはエテュイエンヌ王国が、この極めて劣勢な東側に進んで手を差し伸べたという。
(まだ、戦争は終わらない)
南の思惑が関わっている。
もはや、祖国エルンチェアが国境戦争を戦って勝ち抜いた、以上。では済まなくなっているのだ。
出来るなら、ジークシルトに伝えたいと思う。
だが、無理な相談だった。
(あとは、兄上のご賢察に全てを賭けるしかない。
申し訳ありません、兄上。
わたしは、決して兄上を裏切りたいとは思っておりませんでした。
ですが、そうもいかないようです。
兄上なら、きっとわたしを救いたいとお考えにおわしましょう。
その有難い思い、残念ながらお受けする事は叶いません。
わたしは、わたしの今の立場で出来る事を全てやり遂げるつもりです。
結果として、兄上の御成敗を賜る事になったとしても。
悔いはございません)
心の中で兄に詫び、気持ちを切り替える。
「では、陛下。
わたくしの亡命については、なるべく早くエルンチェアに御通達の程を」
「わかっておる。
王爵どの。
期待している」
「はい、陛下。
必ずや、ご期待にお応え致すことでしょう」
パトリアルスは、臣下の礼をとった。