群雄起つ6
明けて、その日。
王城は、内婚の儀と称される、いわゆる結婚式当日を迎えた。
あいにくの空模様であり、華々しさとはまことにもって無縁な婚礼である。
それでも庶民は盛んに
「万歳」
「王太子殿下万歳」
「妃殿下万歳」
吹雪にもめげずに外へ出て、雪つぶてが全身を叩くのも構わず、歓喜の声を張り上げている。
城内でも慌ただしさが最高潮に達しようとしていた。
第一謁見室という、最高格式の室内では、早朝から暖気で満たすべく貴重な薪が惜しげもない勢いで暖炉へ放り込まれ、僧侶たちも飾りつけに余念がない。
典礼庁も、本来の役割を全うする場とあって、役人が押し合いへし合い、立ち働いている。
花婿たるジークシルトも、控室で第一礼装に着替えさせられ、むっつりと式典服に袖を通していた。
傍にはラミュネス・ランドが控えている。
王太子は小姓らのされるがままになりながら
「それで、あの不愉快な婦人についての続報はどうなった」
腹心へ問いかけた。
はかばかしくない様子の表情が、視界に入る。
「訳が分からんな。
おそらくは、グライアスの手がユピテア寺院に回っていたのだろうとは思うが、何の為にあんな厄介者をかどわかしたものか。
おれの望みが漏れていたとでもいうのか」
「それはございますまい。
ブレステリスには、非公式に問い合わせの使者を立てておりますが、まだ帰参しておりませぬ。
むしろ、ロギーマどのに御下問あそばされた方が宜しいかと」
ラミュネスの返答を聞いたジークシルトは、目を瞠った。
「何。
あの男、もはや我が宮廷入りするのか」
「正確には、まもなく致します。
ちょうど本日の夕刻には到着するとの連絡が、つい先ほど参りました」
「そうか」
ジークシルトは、ようやく表情を明るくした。
ゼーヴィス・グランレオン・ロギーマと称するブレステリス人は、東国境の戦いにおける殊勲者の一人であり、ジークシルトが当宮廷に出向するよう求めていた人材である。
単に気に入ったから、というわけではない。
ゼーヴィスの背後にキルーツ剣爵という、クレスティルテの従兄にあたる有力貴族がおり、彼が親エルンチェアの態度をとっているとの情報を得ている。
その人脈を利用する、いわば橋渡し役として、ゼーヴィス仕官を望んだのだった。
仕官にあたり、条件をつけた。
いわく
「ジークシルト毒殺未遂事件の真犯人であるクレスティルテ・フローレンに対して、相応の罰を下すべし」
言い回しこそ穏当にしてはあったが、要はそういう事だった。
はたして先方は承知し、当人の寺院入り後には、なるべく安楽に死ねるよう手を打つとの返答があった。
それが、一転して「行方不明」である。
何が起きたのか、エルンチェアには伝わっておらず、あるいはゼーヴィスも詳しくは知らない可能性は高い。
それでも、渦中のブレステリス宮廷から来るのだ。
手土産一つも無しに、のこのこ参上するような間抜けではないだろう。
ジークシルトはかすかに期待している。
やがて着付けが終わり、王太子を示す略式冠が額にあてがわれた。
銀で作られ、額の中央にはカスタリムと呼ばれる青い宝玉がはめられている。
周囲の縁取りは、エルンチェアの象徴である三つ首の神犬を模したものだ。
「殿下に申し上げます」
小姓の一人が恭しく膝をついた。
「お時間にございます。
第一謁見室まで、おみ足をお運びあそばされませ」
「承知した」
彼はラミュネスに背を向けた。
「後を頼む」
「かしこまりました」
ごく短いやりとりを経て、王太子は控えの間を後にした。
内婚の儀は、第一謁見室で執り行う。
王が臨席して、大司教の祝福を受ける。
参加を認められている者はごく僅かであり、しかも殆どが典礼庁の上級役人か、神務庁に籍を置く司教、司祭といったあたりで、時間も短い。
国民や外国向けの盛大な挙式は、春に行うのが通例である。
それにしても、人数がすばらしく少なかった。
「王太子殿下並びに妃殿下、御入来」
触れ係は、いつものように声を張り上げなくとも、十分に内容は伝わったようだ。
皆が居住まいを正し、黄金の椅子に腰を下ろすバロート王も厳粛な面持ちになっている。
右隣に立っているのは、神務庁の長官も兼ねるシア人の老大司教で、かつては当代王の内婚に陪席した経験も持つ。
開かれたびろうどをくぐって、若夫婦が登場した。
第一礼装の王位継承権者らしいジークシルト。
同じく貴婦人の装いを施され、誠実の花として乙女を象徴するダリアスラの花びらをあしらった略式冠を額にあてがうヴェリステルテ。
残念ながら、美男美女の取り合わせではない。
だが、ジークシルトは妻を優しく見やり、優雅に手を差し伸べて、自分と腕を組むよう促した。
対するヴェリスティルテは、元気よく夫の左腕に自らの右腕を絡めた。
まるで飛びつくかのような勢いがあり、力余って王太子もろとも横倒しになりそうな塩梅である。
場が場でなければ、笑い声が生じたかもしれない。
バロート王が、厳粛な面持ちをひっそりうつむけた。
何とはなしに、両肩が小刻みに震えているように見える。
ジークシルトは委細構わず、それでこそ我が生涯の伴侶と言わんばかりに微笑んで、彼女を伴い、父王の御前へ向かっていったのだった。
祝福を受けた後は、しばしの休憩を挟んで城内のユピテア神殿へ参拝し、祝宴となる。
バロート王は、控室に茶を持たせ
「うーむ」
率直に言って、たっぷり面食らっていた。
「ま、まあ良いのだがな。
少なくとも、ヴェリスティルテどのは、生国に未練を持ってはおらぬようで、それが何よりである」
茶の相手として指名された典礼庁と神務庁の両長官も、ようやく息をついたといった様子で、仲良く頷いた。
「仰せの通りと存じます」
「とはいえ、そのう……噂には聞いておりましたが。
何とも型破りな姫君におわしますな」
「国王の姪ともあろう姫の身が、どうして今まで嫁の貰い手がおらなんだか、よくよく分かった。
とは申せ、あのくらいが、ジークシルトには良いのかもしれん」
茶を含みながら、またしても肩を震わせる国王だった。
父は知らないのである。
ヴェリスティルテがなぜ、嫡男の目に留まったか。
男にひけをとらない、ジークシルトが語るところの
「話を聞かなくとも想像で事実を掴む力の持ち主」
は、東の女流剣士マクダレア・ジーンとはまた違う、知力において女傑と評されるにふさわしい人物だった事を。
内婚の儀にあたって、いくつかの恩赦が布令された。
中には、占拠されたグライアス塁の捕虜解き放ちが含まれている。
もっとも、親切に敵国王都まで送り届けるとまではゆかず、着の身着のままでの実質は「追放」に等しい処置だったが。
それでも多少の糧食と冬支度は認められている。
そして。
恩赦と称してよいものか、悩ましい話として、マクダレアと副官ラミナが王都ツィールデンヘ身柄を送られる事も決まっていた。
他の将校らは、相変わらず塁に捕縛されたまま、和議交渉の進捗を待たねばならないが、女性達は
「厳寒の地に長く留め置くのは不憫につき、王都へ移送する」
と発表された。
同時に、ダオカルヤン以下の旗本隊も、やっと帰参が許された。
これらの国王命令を携えて東国境へ出向いたのは、いったんジークシルトに付き添って戻ったツァリース大剣将である。
見たかったであろう王太子内婚の儀も諦め、老骨に鞭打って、たいへん渋々と塁へ逆戻りしてゆく筆頭傅役と入れ替わるようにして、ゼーヴィスが螺旋の王都へ姿を現した。
夕方の祝宴に、何とか間に合う形での登場だった。
「来たか、ゼーヴィス。
待っていた」
入城し、ほぼ直後に王太子が面談を求めていると聞かされた。
私室に足を運んだところ、ジークシルトに歓迎され、学者めいた顔立ちの青年武将は恐縮した。
「殿下、お久しく。
御健勝におわす御様子、まことにめでたく存じます」
「おれも、貴君に会えてめでたい。
ついでに結婚もした」
「は。
本日は内婚の儀と承り、重ねておめでとう存じます。
エルンチェア王国の末長いご繁栄を、我がユピテア大神に願い奉る次第」
「せっかくだが、神頼みは不要だ。
一つだけの例外を除いて、おれは基本的に不信心者である。
我がエルンチェアが繁栄するには、おぬしも含めて、臣下どもの精励がはるかに頼もしい」
「ありがたきお言葉、恐悦至極に存じます。
それがしも、すでに心は決めております。
祖国の延命もさることながら、まずはエルンチェア王国の御為に。
それがしことゼーヴィス・グランレオン・ロギーマは、起つ事と致しました」
美しいまでに端正な武人の礼が、王太子に捧げられた。