群雄起つ5
「クレスティルテが、消息を絶ったのだ」
バロート王の表情には、驚きよりも怒りが色濃く乗っていた。
むろん、ジークシルトも形のよい眉を厳しく寄せている。
妻となる予定のヴェリスティルテ姫と歓談を始めて程なく、その凶報は父の執務室において明らかにされた。
「確かに、宗教都市へ送り込む手配になっていた。
元妻の従兄たるキルーツ剣爵が、宮廷から追放し、ユピテア寺院にて永久謹慎させるとして許しを願い出てきた。
予としても、今更あれこれ口出しする積もりはなく、随意にせよと応答してある。
それが、急に姿を消したというのだ」
「誰からの通報ですか」
「キルーツ剣爵よ。
様子を見に、わざわざ出向いたらしい。
聞くところによれば、クレスティルテはひどく錯乱し、従兄邸で持て余され、教会に身柄を預けようと試みても四方より断られ、苦心惨憺だったという。
ようやくモエライルのユピテア寺院が手を挙げてくれたゆえ、大急ぎで送り込んだと。
そこまでは、予も確認がとれておった」
「すると、キルーツどのの知らないところで、クレスティルテどのを寺院から連れ出す算段が整えられていた。
左様に見るべきと考えます」
ジークシルトも慎重に答えた。
心の中では
(おのれ、余計な真似を)
ひどく苛立っている。
彼女の自裁が、パトリアルス救出にはどうしても必要なのだ。
今、どこかに姿をくらまされては堪らない。
「至急、探さねばなりますまい」
「そうかな」
バロートは、怒りを見せながらも、積極的に手を打とうとは思っていないらしい。
「あれがどうなろうと、予には関わりない。
我がエルンチェアが手出しをするべき正当な理由もない。
あくまで、ブレステリスの宮廷問題である。
これが、パトリアルス出奔とでもいうならば、話は別だがな」
「ま、まさか。
この厳冬の最中、パトリアルスが北湖岸の屋敷を離れるなど」
「当たり前だ。
あのな、ジークシルト。
そなたは、まだ懲りておらんのか」
やはり弟の名を聞けば度を失う長男に目をやり、バロートは軽くため息をついた。
「何度も申し遣わすほど、予は寛大ではない。
今一度のみ言う。
そなたに、弟はおらん。
初めからおらなんだ。
左様心しておけ」
「……は」
ジークシルトは軽く頭を下げた。
これ以上はまずいと、彼も重々承知している。
一旦は忘れなければならない。
父王の、おそらくは試し行為だったのだろう「冗談」を、反射的に真に受けてしまった失敗に舌打ちしつつ、息を整え、次の話題へ臨む。
リコマンジェ王国が、異例というか異常というか。
何とゲルトマ峠へいきなり出兵し、山岳民と峠守備隊との乱戦へ割って入った。
そのような情報が入ってきているという。
「それこそ、まさかと言わねばならん。
あのリコマンジェが、よくもまあ、そんな大胆な行動をとったものだ。
詳しい話はまだ伝わっておらん、まもなく明らかになろう。
もしかすると、そなたが愛してやまぬヴェリスティルテ姫には、一報が入っているやもしれんな」
最後はからかわれ、少なからず閉口して、ジークシルトは王の執務室を退室した。
「まあ」
その彼女は、婚約者からリコマンジェの西峠介入事件については、何も知らない様子だった。
待たせていた部屋に戻り、後半部分のかいつまんだ話を聞かせると、ヴェリスティルテは目を瞠り
「初耳でございます。
わたくしが実家を発つ日には、特に騒ぎらしい騒ぎはもたらされておりませんでしたもの」
「父上は、姫であれば話を聞いているやもしれぬ、と真顔で仰せだった。
いくら何でもと思ったが、姫のことだ、おれもあるいはと思い直してな」
「身に余りますわ、殿下。
わたくしの父は、男子を得られなかったために、女子に生まれたわたくしを男の子同然にご教導くださいました。
お陰様で、いろいろと面白いお話を耳にする機会を得られましたが、これ程に距離が出来てしまっては、直にお話を承るのは」
「さすがに無理だったな」
「せいぜいが、状況を推測するくらい」
けろっとして、香茶を嗜む姫だった。
ジークシルトはまばたきし、それから笑った。
「そうだった。
姫には、話をわざわざ聞かずとも、想像でもって事実を掴む特殊な力があるのだったな」
「あらまあ。
いつのまにか、凄い力の持ち主になっておりましたわ。
自分でも知りませんでした。
ただ知っているのは、リコマンジェ王国は、自己流の保守主義を定義しているお国柄という事くらいです」
「自己流の保守主義とはどういう事だ」
「かの国は、それはそれは有職故実を厳守し、古くから定められた物事を一切変更しません。
わたくしもヴァルバラス王室連枝の出です、リコマンジェの細かさについては多少なりとも存じております。
そして、その『古き良き伝統』を守る為ならば、武力行使も辞さない過激さも持ち合わせている事」
「ほう」
「わたくし思いますに、西の峠は、リコマンジェにとっては南に繋がる唯一の道であって、それを失う事は『古き良き伝統』を失うに等しい。
彼らであれば、そのように考えてもおかしくはないのですわ。
かの国は、エルンチェアさまと同じく海国ですが、船に関してはまるきり関心を持っておりません」
「どうしてそう言い切れる、姫」
「まず材料がございませんもの。
船を作るのに、木材は不可欠なものでしょう。
ですが、燃料用途としての薪を決められた量だけ輸入する姿勢を、これまでに変えたというお話は聞いた事がございません。
馬車の往来も、例年変わらずです。
つまり、木材すなわち薪は燃料という『古き良き伝統』を守っているのです」
ヴェリスティルテは、持ち前の明るい大声ではきはき話す。
しかも、ジークシルトの問いが終わったと同時に、返答するのである。
話の途中で内容を素早く把握し、必要とされる答えをあらかじめ用意してから会話に応じる。
反応の良さに、思わず心地よさを覚えるジークシルトだった。
「なるほど。
おれは、リコマンジェをあまりよく知らん。
ついつい、何事も前例に照らして行動するのが良いと考える国だと思ってしまうのだが、言われてみれば腑に落ちる。
一見すると矛盾するようだが、彼らは彼らなりの判断基準で動いている、それを姫は『自己流の保守主義』と称しているわけか」
「たった今思いついた言葉ですけど」
「本質をついた言葉だ。分かりやすい。
姫は、聞きしにまさる利発者だな。
義父上は、さぞかし手放されるのを惜しがっておられただろうよ」
「寂しげにされておられたのを、思い出しますわ」
ヴェリスティルテは、笑顔ではあったが、実家を出立する日の両親を脳裏に描いたのか、少しだけ目を細めた。
決して美女とは言えない。
ふくよかで、仕草は大らかそのもの、レオスの淑女にはまず見られない明るい大声。
どれをとっても、美貌で鳴らすジークシルトと比肩する美姫とは称し難い。
外見だけでいうのなら、むしろグライアスの女流剣士マクダレア・ジーンの方が、遥かにつり合いはとれる。
だが。
「案ずるな、ヴェリスティルテ」
ジークシルトは、婚約者を呼び捨てにしていた。
さしもの胆力旺盛な彼女も、ぴたりと動きを止めた。
「おれと縁づいた事を、決して後悔させない。
義父上のご英断を、決して無駄にはしない。
実家を離れ、当分は寂しかろう。
その分を、このジークシルト・レオダインが埋め合わせてみせる。
安心してついて来い」
「ありがとう存じます」
返答は、やはり早かった。
「捧げ甲斐がございますわ、わたくしの生涯を。
ジークシルトさま」
二人は、初めて互いの名を呼び合った。