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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第三十章
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群雄起つ2

 久々の母子対面は、決して長い時間の事ではなかった。

 感極まったクレスティルテが、呼吸を乱し、程なく会話もままならない状態に陥った。


「また後ほど」


 シュライジルが慌てて割って入り、息子にすがりつく女性を可能な限り丁重に、寝室へ運ばせたのである。

 パトリアルスも面食らい、母が去った客室でぼう然となった。


「母上は……いったいどうあそばされた」


 一騒ぎが収まった頃、グライアスの官僚を身近に寄せて、椅子に見向きもせず問う。

 訊かれた方も、当惑を隠さなかった。


「ご心労が重なったものと思われます。

 わたしも又聞きになるのですが、クレスティルテさまはブレステリスへお帰りあそばされた後、まあ何と申しますか。


 御心に深いお悲しみを抱えておわし、周囲の理解を得難い御事情もあって、そのう。

 平たく申し上げれば、恐れながら御乱心の御病を」


「御乱心」


 パトリアルスは、母が連れて行かれた寝室と思しい隣接の扉を振り向いた。

 途切れ途切れ、何かを叫ぶ女性の声が聞こえてくる。


「母上。

 おいたわしくおわす」


「甚だ申し上げにくいのですが、ブレステリスにも御座所をお求めあそばすこと叶わず、そればかりか。

 御命に重大な危機が迫るという実情でございました。

 恐らくは、御当人さまも御賢察あそさばれておいでだったかと」


「それはつまり、母上の御命を縮め参らせる謀り事があったということか。

 詳しく聞かせて欲しい」


「かしこまりました、殿下。

 こちらでは詳細を語るに恐れ多くございます。

 殿下の御居間にて、我らが掴んだ知る限りの内情を、ご説明致しましょう」


 場所の移動に同意した元第二王子を伴い、シュライジルは、未だうめき声が隣室からかすかに漏れてくる、女主人が居なくなった部屋を出た。


 胸中では、クレスティルテ乱心を奇貨と捉えている。

 噂では耳にしていたものの、実際の姿を見るまで、具体的な姿を想像するのは難しかった。

 だが、目の当たりにした現在、当初の驚きが消えて冷酷な計算が働き始めている。


(あの御様子なら、なるほど。

 身元引き受け人となったキルーツ家でも、さぞかし持て余されていただろう。


 あれでは、気の毒がる心境に嘘は無くとも、扱いかねて途方に暮れるのも無理からぬところだ。

 使える。


 母親思いでは定評があるパトリアルスどのだ。

 決して、見殺しには出来まい)


 考えつつ、そっと背後に視線を流した。


 シュライジルの先導に大人しく従う青年は、相当な衝撃を受けたと見えて、顔を青ざめさせ、唇を噛みしめていた。

「説得」は難しくない。


 グライアスの官僚という上辺の衣を着込んだ、その実は故郷リューングレスに心を寄せる彼の頭には


「パトリアルスを打倒エルンチェアの旗印に押し立てる。

 ただし、それはリューングレスのために」


 図式が急速に出来上がっていった。



「我らがブレステリスの内部事情を掴んだのは、先方の内応者が、まだエルンチェアに屈服していない。独立を諦めていないがゆえです」


 悪びれもせずに、シュライジルは王子の居間で語った。

 堂々と応接用の座椅子に腰を下ろして、論陣を張る構えである。


 諸般の事情から、ブレステリスは一端はエルンチェアと手を切ってグライアス側についた。

 だが、先方宮廷ではエルンチェア派とグライアス派に国論が二分され、今のところは西側陣営復帰の意見が優勢ではある。


 西につきたいと考える一派が、国境戦争で独断の軍事行動を起こし、東の敗戦を招く事態を招来した。

 エルンチェアも、その強攻策を是として、ブレステリスには戦争にまつわる責任を問わないと明言、グライアスの情勢は甚だ悪い。


「このような事情を背景として、宮廷でのグライアス派は、あくまで諦めないと決めたのです。

 今更エルンチェアにはつけるはずがない、事態の推移を黙って見ていれば、グライアス派の行き着く先は粛清以外に有り得ませんから」


「それは、わたしにも判る。

 で、母上の御安泰とはどういう関係があるのか。

 知りたいのはそこなのだが」


「はい、殿下。

 エルンチェアは、ブレステリスに対して、国境戦に参加した功績は認めました。

 しかし、足りないのです」


「足りない、とは」

「グライアスとの密約に端を発する国境戦争については、確かに責めを負わせない。

 しかし、ジークシルト殿下弑逆未遂事件の決着は、話が別であるとの意です」


 シュライジルの説明を聞いた途端、パトリアルスは低くうめいた。


「そうか……。

 そういうわけだったのか。

 いや、理解した。

 兄上は、母上に責任を問い給う御所存なのだろう」

「ご明察」


 かなり正直に、シュライジルは意外な表情を作った。

 パトリアルスは彼の顔を見ていない。

 自分の膝頭を見つめている。


「兄上の毒殺未遂事件が宮廷内で明らかとなった。

 残念ながら、主犯は母上だ。しかも、ご帰国あそばされておられる。


 いったん許すと決めたブレステリスへ、今になってから表立って母上の非を問うわけにはいかないだろう。

 ゆえに、父上はわたしを厳罰に処し、事件を落着させたいとお考えにおわす。


 わたしは愚か者だ、しかしこの程度は洞察が及ぶよ。

 わたしも、全くの同感なのだから」


「恐れ入り奉ります」

「問題が一つある。

 兄上だ。

 あの兄上が、わたしの処罰を御了承あそばすとは、どうしても思えない」


 何事かを思い出すような表情になり、パトリアルスは軽く天井を見上げた。


「何か、策を講じられたのではあるまいか。

 わたしではなく、母上に責任を問うよう、ブレステリス宮廷へ働きかけたのではないのか。


 ゆえに、母上の御命に関わる重大な危機が発生した。

 わたしには、そう思えてならないよ」


 シュライジルに視線を与えようとせず、淡々と話す第二王子を見て


「全て、ご明察におわします。

 さすがは武断王陛下の御血を引き給う御方」


 口では感嘆したが、心の奥底では


(この男。

 聞いている話と少し違うようだぞ。

 芸術や学問ばかりに精を出し、政治事には一切の興味を示さなかった。


 そういう発想自体が無い、人が好いだけが取り柄の学者肌だという話は、実は違う可能性もあり得る。

 ただ単に、兄を立てる一心で、あえて口出しを控えていただけなのかもしれない)


 やや人物評を修正した。

 過大評価とも言える、だが。


 ジークシルトを過小評価した結果、宗主国がどういう運命に見舞われたか。

 それを思った時


(見下してばかりいては、足元をすくわれかねない。

 この事もあわせて、アースフルト殿下へご報告せねばならん)


 パトリアルス与し易し。そう考えるのは早計だとの思いを、シュライジルは強くせざるを得なかった。



 そのアースフルトに連絡が入ったのは、旬日も経っていないある一日である。

 近頃の彼は側近らを引き連れて、都市視察に出ていた。


「アースフルトさま万歳」

 目抜き通りを通ると、市民らがこぞって歓声を上げ、頼もしそうな目を向けてくる。

 国境戦争に巻き込まれる寸前、彼の英断で軍は戦場から離れ、一人の戦死者も出さずに無事な帰還を遂げた。

 それだけでも、市民には


「下々にお慈悲を賜る」

「よい御方だ」


 拍手喝采するべき手柄だった。

 そのうえ、都市視察にも気軽にやってきては街の人々の働きぶりを盛んに褒め、困っている事は無いかと声をかけてくる。


「親が病気で、薬も無くて」


 そう訴える十歳程度の少年には、馬を下りた挙げ句にわざわざ膝をかがめて目線を合わせ、大真面目な体で耳を貸した。


「それは難儀だろう。

 判った、手を打とう」


 貧困している者が薬を求めるなら、市価の十分の一で売るように。商人や薬師は、後ほど差額を書面にして役所に届け出よ。


 あっというまに布告を周知させる。

 人気取りにかけては、北方圏でも指折りの達人と言っていい。


 視察の合間には演説も行い、特に森を保護するよう、何度も繰り返している。

 アースフルトが真剣に憂いているのは、何よりも崩壊しつつある森林地帯であり、彼の感覚のほぼ全てを占めているのだった。


 森を失えば、リューングレスのみならず、やがて北方圏全体が滅びの憂き目に遭う。

 それだけは避けねばならない。

 彼の真剣な訴えは、市民には深く浸透し始めている。


「難しい事はわかんねえが、森が無くなったら一大事だってのは、よく判った」

「アースフルトさまについていけば、おれ達ぁきっと安泰だ」


「軍隊を大事にして、戦わせなかった御方だ。

 市民をいつもお気にかけてくださる、こんないい方は滅多に居ない」

「もういっそ、アースフルトさまがリューングレスを治めてくださればいいのに」


 市井の噂も、好感度が急上昇しており、留まるところを知らない勢いだった。

 そんな折、パトリアルスの件が耳に入ったのである。

 街の有力者を集め、懇談会を兼ねた昼食会を開いている。


「ちょっと失礼するよ。

 諸君らは、ゆっくり食事を楽しんでくれるかね」


 笑顔で周囲に言い、席を立ってから書簡をすばやく読み下し


「ほほう。

 これはまた、面白い展開じゃないかね」


 唇の端を吊り上げた。

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