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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第三十章
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群雄起つ1

 長い冬の到来は、北方諸国の活動を一様に鈍らせる。


 さすがに戦争の続行は困難となっており、追い詰められていた東のグライアスには、僅かながらも時間を稼ぐ好機が訪れていた。

 更には、切り札も。


「朗報でございます、クレスティルテさま」


 尼僧姿の年配女性に声をかけられた時、その名を持つ貴婦人は生気の無い目を静かに動かしただけだった。

 豪華とは称しがたい、北方風の狭い室内で、何に対しても興味を示す素振りすら見せず、ただひたすら安楽椅子に腰掛けたままの姿勢でいる彼女は、視線を付き人へ与える動作すら億劫がっているとみえる。


 報告を促そうとも思っていないのか、入室してきた女性を、つまらなそうに黙って眺めている。

 尼僧は慣れているのか、女主人の無関心さにいちいち反応はせず、朗報を携えてきたと称する割には熱気と無縁な態度で、椅子の右横に立った。


 耳打ちするように腰を軽く折る。

 急激に、クレスティルテの表情が変わった。


 細い眉尻が跳ね上がり、瞳が大きく開く。

 同時に、貴婦人とは思えない勢いで、席を立った。

 尼僧と向かい合い


「まことかえ。

 その話、(いつわ)りではあるまいな」


 鋭く詰め寄る。

 報告した女性の胸ぐらを掴み上げても不思議ではない程の激しさだった。


 尼僧は驚きを隠し損なったと見えて、目を丸くしながら二歩三歩と後退した。

 まるで人形が突如として人間に生まれ変わったかのように、クレスティルテは別人だった。


「聞こえなんだかえ。

 まことか否かと尋ねておるのじゃ」

「し、しかと相違ございません。

 まもなくお渡りあそばします」

「パトリアルス」


 話の最後は耳に入っていなかったのだろう。

 クレスティルテは自分の両肩を抱きしめ、その姿勢で膝を床についた。


 体が震えている。

 しばらくはうずくまって歓喜を味わい続けたが、やがて顔を上げた。


「ひッ」


 尼僧が思わず上体を仰け反らせ、顔色を失う程に、元王后の眼差しには凄まじい光が宿っていた。


「もし(たばか)ろうものなら、おまえを殺す」

「め、滅相もない事でございます」

「ならば、パトリアルスをこれへ。

 ()う連れて参れ」



「以上のようなわけでございます。

 殿下におかれましては、恐れながら母君の御許までお御足をお運び頂きたく、伏して願い上げ奉る次第」


 シュライジルと名乗ったグライアス宮廷官僚は、たいそう慇懃に口上を述べ、一礼した。

 その伏せられた顔から表情を読み取る事は、パトリアルス・レオナイトには出来なかった。


 困惑の体で、腰を下ろしている椅子の肘掛けを意味もなく握ったり離したりしている。

 実際のところ、彼は現況どころか、自らの身に降りかかった一連の事態を把握しかねて、ひたすら戸惑っているのである。


「訳が判らない」


 父によく似た面差しを陰らせ、自分の前で跪いている他国の臣下をうさんくさそうに見やったまま、動こうとはしない。

 当然と言うべきだろう。


 生家たるシングヴェール王家を勘当され、北海に近い湖のほとりにひっそり佇む王族の隠棲地へ追放された身が、何をどう間違えたのか、見知らぬ小ぶりな城へ連れて来られ、説明らしい説明も無いまま、表面だけは丁重に扱われているものの、要するに軟禁されているのだ。


 未だに詳細が誰からも語られていないのに、今度はいきなり


「母君がお待ちあそばされておいでです」


 と、聞かされた。

 いかに人が好いパトリアルスであれ、そうかと気軽に部屋を出ようとは思わない。


「……まずは、わたしが置かれている状況の説明をして欲しい。

 足下がグライアス宮廷の者だという事は判った。


 だが、それだけだ。

 肝心な事は、何一つ判っていない。

 何が何やらさっぱり判らないままに、母上へお目もじをと言われても、応じかねる」


「殿下」

「それから、何度も言っているように、殿下の敬称も不要だ。

 せめて閣下ならまだしも、親王号をバロート陛下へ御返し申し上げている今、わたしはもはや殿下と呼ばれる身ではない」


「お言葉をお返し奉ります。

 殿下は、王家にお生まれあそばされた。

 尊い御血(おんち)を受け給う御方なれば、殿下と敬われるのが当然と心得ます」

「いいや。

 親王号を身に帯びて、初めて殿下と呼ばれるに値する。

 現在わたしは臣下の身だ」


「それはエルンチェア宮廷内部のお話です。

 現在、この場所はかの宮廷にあらず」

「ではどこだ。

 わたしは、どうしてここにいる。

 あの屋敷から離れる積もりは無かった、それを足下の手の者が力づくで」


「ええ、その節は大変な御無礼を仕りました。

 謹んでお詫び申し上げます。


 しかしながら、あの場は致し方無かったと報告を受けております。

 殿下のお命を左右する緊急局面でございましたゆえ」


「自裁やむなしと、覚悟は決めていた」


 パトリアルスは、彼には珍しく怒りを表情に顕わしていた。

 言葉に嘘は無かった。


 敬愛する兄は、刃傷沙汰に巻き込まれて危うく他国者に暗殺される寸前――弟はそう信じている――に陥った。

 その裏舞台でも、実は毒殺未遂事件が発生していたという。


 しかも、兄に毒を盛った酒を贈ったのは、事もあろうに自分だった。

 万死に値する。

 心から思っており、宮廷から自決を求められた折には潔く服すると決心していたのだ。


 ところが。

 猛吹雪の一日、普段は人が訪れる事も無い屋敷に、客が来た。

 その客が、実はグライアスの手の者だったのである。


 抵抗も空しく正体不明の薬を飲まされ、意識を失った。

 目が覚めた時には、全てが終わっていた。


 鈍痛に頭の奥を苛まれつつ、寝台から起き上がり、見覚えが無い調度品に囲まれていると気づいたあたりで、このシュライジルが現れた。


「お初に御意を得ます、パトリアルス殿下。

 グライアスへようこそ」


 出し抜けに信じられない言葉を浴びせられ、ぼう然となった。

 拉致されたのだと理解するまで、しばらく時間が必要だったものだ。


 シュライジルは救助するためにやむを得なかったと語り、飲ませた薬についても、南方圏の某所だけで手に入る極めて珍しい性質のもので


「麻酔、と呼ばれるものでございます。

 眠り薬とでも言いましょうか。


 服用すると、死人に等しい深い眠りにつき、傍目からは生きているように見えない程との事。

 恐れながら殿下をご説得申し上げ、御同意を賜る時間が足りなんだため、ご無礼を承知の上でお召し頂いたものでございます」


 手の内を一部だけ明かした。

 が、それ以上は何も言わずに、今日までどのような問いかけも受け流し続けてきた。

 パトリアルスも、ついに我慢の限界を超えたらしい。


「説明して欲しい。

 わたしが何も判らぬのを良い事に、一方的に言いなりになれとの言は納得しがたい。

 わたしを殿下と呼ぶのなら、そのくらいの礼儀は通すべきでは無いのか」


 彼としては、おそらく最大級の詰問だったに違いない。

 もっとも、シュライジルを恐れ入らせる迫力には、遺憾ながら甚だ欠けていた。

 グライアスの官僚だと自称する男は、薄く笑って


「ごもっともなる仰せ。

 確かに、無礼が過ぎました。

 されば殿下、まずは礼儀を通すためにも、母君とのご面会をお願い致します」

「それも意味不明だ。

 そもそも母上が、どうしてグライアスに」


「ご説明は、その後に必ず致しましょう。

 全てを詳らかにするためにも、どうか母君がお待ちのお部屋へお渡りを」

「……母上が、お待ちであらせられる」


 ずっと消息が知れなかった母、別れ際の哀れな姿を目にしたきりだったパトリアルスは、シュライジルの言葉を聞くうちに沈静していった。


 理性を取り戻してゆくにつれ、その存在が胸中で大きく膨らんでゆく。

 ここで強情を張って話をこじらせたら、自分ばかりか母の身の上も危うくなりかねないと、考え直したのである。


 始めこそ実感が伴わなかったせいか、あまり気に留めている様子を見せていなかったが、一度はっきりと意識したら、二度と生きて会う日は来ないと思っていただけに、もはや無視は不可能だった。


「ここは間違いなくグライアスで、母上も、手段はともかくブレステリスからお移りあそばされたのだな」


 尋ねる。

 頷きが戻ってきた。

 母子とも敵国に身柄を抑えられている、改めてそう感じ取った時、彼は腰を上げる事に同意した。


「判った。

 とにかく母上にお目通りを賜る。

 その後には、必ず詳しい説明を聞かせてくれるな」

「ユピテア大神に誓って、お約束申し上げます」


 シュライジルは跪いたまま左胸に右手をあて、生真面目な表情で確約した。

 パトリアルスは、ゆっくり扉へ向かった。

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