南央に乱は出づ3
血が溢ている。
倉庫街は、今や至るところで流血が見られていた。
倒れているのは、主に赤毛が特徴的なアーリュス人で、彼らを切り倒し、あるいは弓で射るのは、レオス人だった。
悲鳴を上げて逃げまどう赤毛を、金髪に指揮された黒毛、濃茶の頭髪が追う。
戦いというより、一方的な討伐の観がある。
「まさか、こんな事になるとは」
漁業組合の座長は、事務所がある建物の中から外を伺い、目の前で
「た、助けてくれぇっ。
悪気は無かったんだよ、言われた通りにしただけなんだ」
体格が良い頭格風の男が、地面へ身を投げ出し、無抵抗であると主張しながら許しを求める姿を見た。
その赤い髪の傭兵が盛んに寛恕を請う相手は、革鎧を着込み、剣を手にした壮年のレオス人だ。
剣呑に口元を歪め、目をすがめて、跪く赤毛を見下ろす様子から、座長は、助命の意思は無さそうに見てとった。
「言いたい事はそれだけか」
冷たい質問は、つまり会話の打ち切りを宣言するものだった。
アーリュス傭兵が、びくりとして顔を上げた時、座長は素早く室内へ身を隠し、耳を塞いだ。
「えらい事になった」
座長は眉を寄せ、いかにも困惑の体で呟いた。
短く、そして強烈な印象を残す悲鳴は、すでに途絶えている。
室内に集まる組合の顔役一同も、互いの似たり寄ったりな怯え顔を見合い、盛んに吐息をつき、または首を振っている。
「何でまた、こんな大騒ぎになったんだ」
「あちこちで、片っ端からアーリュス人が斬られていると聞いている。
今のところは、まだ町の衆に被害は出ていないが」
「そういう約束ではあるからな。
とはいえ、こんな荒事をやらかすとは聞いていなかった」
発端は二日前である。
まったく突然に軍隊が現れ、乱暴を働くアーリュス人を捕縛するとの宣言がなされた。
港の人々は、てっきりツェノラが軍を差し向けてくれたものとばかり思って喜んだのだが、しかし。
「あの赤い旗は、ツェノラの国旗じゃないぞ」
軍人らが掲げているそれが、俗に三連旗と呼ばれる、赤字に三羽の鳥を縫い取った「南西三国」の共通する旗であると知り、喜びが驚きに変わった。
図案の向かって右に描かれた鳥の頭上には、星がある。
東翼、すなわちエテュイエンヌ王国の旗だったのだ。
「何でツェノラじゃないんだ」
意味が判らず、ぼう然とする人々を尻目にかけて、軍隊はまたたくまに赤毛の傭兵を見つけ次第、斬り倒していった。
「お待ちください。
捕縛ではなかったので」
「むろん捕縛が目的である。
ただし、抵抗する場合はその限りにあらず」
エテュイエンヌ軍人は、当惑する港町の代表達に、しらじらしい表情で言ってのけ、町中で剣戟を展開した。
誰がどう見ても、抵抗どころか泣いて命乞いをするアーリュス人まで、問答無用に斬っている。
さすがに、後味が悪い。
組合の顔役一同も
「こんな事になるなら、ツェノラに対策を頼むのではなかった」
後悔しきりだが、もう手遅れだった。
さしあたり、エテュイエンヌ軍は
「アーリュス人ではない、港町の住人には手を出さない。
我らの邪魔をしないという条件がつくがな」
言葉の通り、斬る対象は赤毛の民に限っている。
港の民に人的な被害は出ていないが、商店の前で派手に斬り合ったり、酷い時は店の中に転がり込んでの乱戦になったりと、なかなか壮絶だった。
倉庫街などは特に激しく、大通りも路地もお構いなしに
「いたぞ」
「斬れっ」
怒鳴り声が上がり、助けてくれという悲痛な叫びも聞こえ、やがて静かになる。
その繰り返しだった。
しかも
「アーリュス人の死体をどうすりゃいいんだ」
港では、後始末にも頭を抱えるはめにもなった。
エテュイエンヌ軍は、文字通りの斬り捨てで、殺した相手を顧みもしない。
放置も出来ず、港の人々は、まったく渋々ながら死んだ赤毛達をかき集めて、船に乗せるのである。
港街には墓場が無く、弔い島と名付けている離れ小島まで運んで埋葬する。
もともとがさして大きな島ではなく、岩場が多くて、埋める場所も限られている。
六人ばかりを運んだところで、周囲から盛大に苦情が溢れた。
「どうして、赤毛どもに貴重な墓地を提供してやらにゃならんのだ」
「港の民を埋葬出来なくなったらどうしてくれるんだ。
おかしいだろう」
「まったくだ。
弔い島に行くのだって、無料じゃないんだぞ。
船が転覆でもしてみろよ、いくら住人に手を出さないって話でも、犠牲者が出たら同じ事じゃないか」
船を管轄する漁業組合でも、苦情は重大問題としてとらえられている。
水夫は組合員だったし、何よりも死体の後始末に船を使ったら、本業である漁に差し障るのである。
座長が顔をしかめるのも無理はない。
「とはいえ、後ろ盾が無いおれ達じゃあ、うっかり文句を言ったらどうなるやら」
「エテュイエンヌの野郎どもめ。
何を考えてこんな真似をしやがる。
最初に捕縛と言ったんだ、殺さないで連れて行くのが筋ってもんだろう」
自分らの国で煮るなり焼くなり、首を刎ねるなり、好きにすりゃあいいだろうに」
「せめて死体を持って帰りやがれ」
顔役らは小声で罵る。
それが精いっぱいだった。
が。
「座長、何か座長に会いたいってレオスさまがおいですよ」
雑用の若者が、組合事務所の玄関から飛んできた。
座長はたいへん機嫌を損ねた。
「どうせエテュイエンヌの偉そうな、いけ好かない野郎に決まっている。
誰が会うか、ばかばかしい」
「そりゃ無理だろうさ、断ったら強引に押し込んでくるかもしれんぞ」
「何をされるか、判ったもんじゃない」
「仕方ない、話を聞いて、出来るだけ速やかにお帰り願うしかなかろうよ」
左右が彼を宥めていると、雑用係はおろおろして
「あのう。
ツェノラのお人なんですが」
静かに言った。
組合事務所に通されたのは、座長も顔を知るツェノラの役人だった。
時折やって来ては、恥ずかしそうに
「魚を買い付けたい」
売れ残りや、商品にならないような小魚をまとめて買う。
率直に言って、あまり上得意とは言えないが、ともかくも温厚で、きちんと代金を払ってゆく。
その点で、漁業組合の人々からは、少なくとも嫌われてはいなかった。
座長もすぐに機嫌を直して、丁寧に役人を迎え入れた。
「これはこれは、お役目ご苦労さまでございます」
「取り込み中にすまんが、少し話を聞かせてくれ。
何やらエテュイエンヌ軍が、アーリュス人取り締まりと称して、騒ぎを起こしているというが。
確かに見たところ、港のあちらこちらで流血騒ぎが起きているようだ」
「そうなんです、旦那。
実は、その件で今も寄り合っているところでございますです」
「我々は、アーリュス人がこの港で狼藉を働いている旨の報告を聞き、直ちに我が陛下へ奏上仕った。
陛下の御意は、南限の港を守る事、必要に応じて軍の派遣も辞さないとの仰せである。
しかし、まずは先見し、住民の意向を聞くようにとも御下命あそばされた。
わたしは、下調べとして遣わされたのだが、エテュイエンヌ軍が先に来た挙句に勝手放題をしているとは聞いておらなんだ。
彼らはその方らの依頼で動いているのか」
「いいえ、断じて違います」
座長は必死に首を横に振った。
内心では、この騒ぎはツェノラの関知せざる事態だったと確信している。
「わたしどもは、ツェノラさまにお願い申し上げました。
日頃から何かとお気遣い頂いて、釣果にも、まああのう……お支払いは間違いなく頂戴しております。
ツェノラさまを差し置いて、よその国に助けを求めるような不義理は致しませんとも」
力説には、相応の説得力があったとみえる。
何しろ周囲が一斉に頷き、エテュイエンヌの国名を聞いただけで唇を曲げ、怒りを表した。
不本意な状況になっていると、この場の全員が言外に訴えているのである。
役人も、最初からそう思っていたのだろう。
「承知した。
わたしはすぐに国へ帰り、然るべき手を打つ。
幸いにも、我がツェノラはダリアスライスと深い情義を結んでいる事でもある。
近々に、事態解決のため動くであろう。
我がツェノラは貧国と蔑まれ、なるほどその方らから見ても、決して金払いの良い上客とは言えまい。
しかしながら、道理は知っている。
南限の港は、長らく我らの命綱だった。
今後も変わらない。
港のために力を尽くす、信じて今少しだけ辛抱して貰いたい」
彼も、座長に負けず劣らず熱弁を振るった。
長年の信頼が、そこにはあった。
「お信じ申し上げます。
どうか、この港を昔のように、静かで平和な漁港に戻してください」
「言いにくいが、我が国だけではなく、ダリアスライスの力も借りねばならん。
納得してくれるか」
たとえ戦争になったとしても。
役人は言葉では表現しなかったが、表情を鋭くしていた。
「やめてくれ、殺さないでくれ、いやください。
何でもしますから……嫌だあっ」
外から聞こえる新たな命乞いを背にして、座長は暗黙のうちに了解の意を視線に込めていた。