南央に乱は出づ2
「まだうろついてるのか、赤毛どもは」
漁業組合の事務所では、この頃の港を騒がせているレオス人とアーリュス人の話題で持ちきりだった。
問題の若い貴族が北へ向かってから、三日が経過しているのだが、以前よりましになったとはいえ、相変わらず
「この辺でレオス人を見なかったか」
「倉庫街に居たって話は聞いてるんだ、隠すと為にならねえぞ」
等々。
倉庫の管理人が絡まれるという。
南限の港は自治体の形態で、特定の国は介入しない。
だが、アーリュス人が執拗に倉庫街を徘徊するのなら、そろそろ対策が必要になるだろう。
座長は、木の椅子を軋ませながら果実酒を飲み、周囲に集う漁業組合の顔役らを見回した。
「どうしたもんかね」
「どうもこうも。
のらりくらりとかわすしかないんじゃないか。
幸い、エテュイエンヌからもレオスさま方が来られたんでね、うちはその話をさせている。
お探しのレオスさまなら、もう北へお立ちになったらしいと」
「ああ、それそれ」
顔役の一人が身を乗り出した。
彼らが囲んでいる木の円卓を、上体で覆わんばかりの姿勢になって
「うちの倉庫番がその話をしたら、赤毛どもめ。
エテュイエンヌじゃねえ、ダリアスライスだって、怒鳴ったそうだ」
「えっ、ダリアスライス」
座長を含む顔役五名が、一斉に声を揃え、一斉に困惑した。
だいたい、南限の港に出入りする南方国家といえば、まずツェノラであり、次にヴェールトである。
エテュイエンヌも、恐らく港町始まって以来だろうに、ここでダリアスライスの国名を聞くとは。
座長は目を瞬かせ、信じ難い発言をした顔役が座っている左へ、太い首を捻じ曲げた。
「本当か、その話は」
「どんな理由があったら、こんな嘘をつくっていうんだ」
「……それはそうだな。
あんまり驚いたもので、つい」
「まあ、おれも驚いたがね。
南限の港に寄り付くような国じゃないからな」
「それこそ、どんな理由があったら、ダリアスライスの貴族さまが、漁船に乗ってまで北へ行こうとしなさるもんだか」
「しかも、赤毛どもに追われてるときた。
どういうわけだ」
活発に意見が交わされ始めた。
座長は漁師らしく発達した、潮焼けが黒々しい腕を組み、議論を周囲に任せる体で、何事かを考えている。
「こりゃ、おれ達の手に負える話じゃないかもしれんなぁ」
「まったくだ。
いっそ、ツェノラのお役人衆に相談してみてはどうだろう」
「いや待て。
南限の港は、長らくどの国にも属さないのが決まりだった。
今更ツェノラにすがるのは、うっかりやれる話じゃない」
「そもそも、ツェノラに収められる話かね」
「ツェノラか」
座長はまるで気乗りしないといった表情をつくった。
顔役一同が、彼を覗き込んだ。
「何か、ツェノラに不都合でもありなさるかね、座長」
「不都合って程の事情は無いが、おれは南に所縁が無いもんでな」
「こりゃ初耳だ。
ここらの連中は、たいがいが元をただせばツェノラの食い詰め者だと思ってたんだが」
「おれは、先祖が北の出なんだ」
座長は鼻の横を掻きながら言った。
周囲は、へえと声を上げた。
誰もが驚いたというより、得心した様子だった。
「すると、リューングレスかい」
「ああ、百年くらいは昔の話なんだがな。
今でも、あっちに残っている縁者と多少の交流はあるのさ」
「なるほど。
だから、北の港に乗り入れ出来なくなっても、あんただけは船を出せるのかい」
「ま、そんなところだ。
大っぴらにはやれないが、小舟をリューングレスの港外れに繋ぐ程度には顔は効く。
その代わりと言っちゃなんだが、南には伝手が無いんだ」
「そりゃ仕方がない。
いいさ、座長。
南の方は、おれ達に任せてもらおう。
みんな、それなりにツェノラのお役人衆には話が出来る。
座長には北を任せる。
ツェノラは、こう言っちゃ悪いが、国力は大した事は無いからな。
南でも手に余るって時は、北に話をつけなきゃならなくなるかもしれん」
一人の提案に皆が賛同した。
座長も安心したように、口元を緩めた。
「そうだな。
リューングレスに話をつけなきゃならなくなったら、おれの出番だ。
世間じゃ南がどうとか北がどうとか、いろいろ騒がしいが、知っちゃ事っちゃない。
おれ達は、この南限の港を守れりゃいい」
漁業組合の決定は、しかし。
ツェノラだけで留まる内容ではなかった。
座員に耳打ちされた役人は、ダリアスライスと聞いて仰天し、主君に奏上した。
もちろん主君も仰天したものだ。
「ダリアスライスからの落人が、南限の港に現れたらしいだと」
「アーリュスどもが、追っているとか」
「何たることだ。
他国であればいざ知らず、ダリアスライスとなっては捨て置けぬ。
さっそくに軍を遣わさねば」
「お待ちくださいませ、陛下。
我らの一存で軍の派遣は如何なものかと。
今の状況は不明ですが、万が一にもその御仁が、我が方の軍とアーリュスどもの衝突に巻き込まれては一大事です。
せめて、当事者であるダリアスライスに相談してからの行動が望ましいかと思われます」
「……確かに」
王は納得して、臣下の案を容れた。
万事について行動的な王は、その日のうちに使者を立て、同時に物見を走らせた。
あくまで穏便に、それとなく事情と調べるのみだと言い含めて。
だが、この時にはもう「事」は起きていた。
言うまでもなく、一番仰天したのはダリアスライスだった。
さすがのダディストリガも、一報に接した際はしばらく絶句したものである。
「南限の港。
聞いた事が無い。
それはどこか」
副官のユグナジスに問い合わせると、旧友を兼ねる補佐役もすぐには返答しかねた。
調べるのに相応の時間がかかってしまい、ダディストリガに詳細が伝わって、使者に会う段取りとなったのは、夜もいい加減に更けたあたりだったのである。
城の中の、外国人を応接する一間には、異例の明かりが入った。
「以上の次第にございます、ティエトマール閣下」
ツェノラの使者が話を終えても、すぐは反応が戻らなかった。
「あの、閣下」
「……失礼した、使者どの。
我がダリアスライスから落ちた者だとの由、それは真実と見て宜しいか」
やっと我に返った彼は、軽く咳払いして、最大の疑問を口にした。
心当たりがあるかと問われれば
「ある」
そう答えざるを得ない。
秋の終わりに当宮廷内で発生した権力闘争、すなわちバースエルム事件である。
首謀者の二名は梟首刑に処され、一族は連座で流刑または寺院幽閉、よほどに軽くとも宮廷追放の憂き目に遭っている。
事件の関係者が、当国から脱走し、何らかの目的をもって北へ――リューングレスに渡ったとしか考えられない。
ならば、その者の狙い。
真の目的地はリューングレスではなく
(まさか、グライアスか)
北を背景にして、当国というよりはティエトマール一門に対して、復讐を遂げる目論見なのではあるまいか。
ダディストリガの立場であれば、当然に疑って然るべき事態だった。
使者は頷いた。
「アーリュスどもが探している際に、エテュイエンヌの者ではなく、ダリアスライス人だと怒鳴ったとの由」
「エテュイエンヌだと。
何でこの話にエテュイエンヌが出てくる」
「どうやら、その御仁より先に、エテュイエンヌからも北へ渡る貴族が二名ばかり、足を運んだ模様です。
その後は存じませぬ」
「……何事だ」
ダディストリガは、内心で舌打ちした。
王座を目前にして失脚を余儀なくされたロベルティートが姿を消した後のエテュイエンヌ王国は、率直に言って、当国の同盟とは言えない節が多々見受けられる。
この時節に、船の乗り入れを拒否されているはずのリューングレスに、いやはっきり指摘するなら宗主国のグライアスに、何の用事があるというのか。
ダリアスライスの落人も、軽視し得ない存在だが、エテュイエンヌの思惑も気にかかる。
(南西三国で何が起きている。
我がダリアスライスから落ちたという者と、エテュイエンヌの貴族二名とは、何らかの関りがあるのか。
それとも、偶然に時期が重なっただけか)
使者をそっちのけにして考え込んだが、情報が少なすぎて、洞察は及ばなかった。
ともかくも、ランスフリートの耳に入れなければならないのは、間違いない。
最近の従弟は、文字通り人変わりしたとみえて、今までの無気力が完全に払拭されている。
語る見識も、しばしばダディストリガを瞠目させる。
遠からぬ将来、北との軍事衝突が有り得る。
なりたて王太子は、以前にそう語った。
(殿下のお見通しは正しくおわす、か)
否応なく現実味を帯びてきたと思われる、北にまつわる将来を思いながら、ダディストリガは使者を下がらせ、自分は今夜は帰宅しないと決めた。
(明日の朝には、ただちに奏上せねばならんな。
ユグナジスにも出来る限りの下調べをさせねば)
右胸の嫌な疼痛を堪えつつ、考えをまとめにかかる剣将だった。
「事」が起き、拡大の一途をたどっているとは、まだ彼は知らない。