南央に乱は出づ1
厄介である。
南限の港を扱うにあたり、最も難しいのは、帰属先が明確ではないという点だった。
公有地に拓かれており、また南方圏の施設でありながら、通称からして南らしくない。
北方圏の影響が見受けられ、従って、港に近い港の国々は存分に手が出せないのだ。
ツェノラが不満に思う、ヴェールトの無理難題は
「我がヴェールトは、森林を擁する山裾の国。
海は貴国の領域であろう。
港の整備、治安の維持は、受益者たる貴国が負うのが筋」
面倒な手入れや、人手を使う警備などを、ほぼツェノラ一国に押し付けて憚らないのが一つにはある。
そのくせ、ツェノラがやっとの思いで近海の魚を水揚げすると
「祝い事がある」
「先日用立てたお手元、直ちに返済を迫るのは気の毒につき、差し控える。
ただし、物資を持って幾許かの誠意を示されたい」
上等な、あるいは珍しい品を要求するのだった。しかも尊大に。
腹立たしいのと、実際として人手を回せるゆとりが無いのと、大きくは二つの理由によって、ツェノラも南限の港は事実上の自治区扱いとしている。
元々が公有の遊休地に設けられている点とあいまって、今では、小規模ながら独立した都市国家に準じる機能を有しているのである。
まことに雑多な印象を受ける街並みだった。
港の周辺には石造りの倉庫が立ち並び、そうかと思えば人家が混じる。
魚を扱う商人らも、てんで思い思いに店を構え、道は砂利敷き、遺憾な事に清潔さも行き届いていない。
大人も子供も平気であちこちに用を足す、その頭上すれすれに干魚が吊るされている有様だった。
このような街だから、レオス人が倉庫を訪ねて来た、見ていないかと問われても
「そんなわけがない」
と、倉庫番一同が口を揃えるのも無理はないだろう。
だが。
噂は事実だった。
ひどい悪臭が漂う中、ある倉庫の端に、若いレオス人が潜んでいる。
「あんたさんも、酔狂な御仁だねえ」
酒が入った小瓶を渡しつつ、倉庫の番人は、憔悴した風の貴族らしい青年を物珍し気に眺めやった。
「レオスさまなら、こんな倉庫街に来なくたって、お泊りの場所なら見つかるだろうに」
「もちろん、そうしたい。
出来ない理由がある」
「あの物騒な赤毛どもですか」
「それもそうだが、まだ理由はある。
その方は知らずとも良い事だ」
彼は酒瓶を手に取ったものの封は切らず、うずくまった。
「知らん方が、身のためだぞ」
「まあ、そりゃあね。
あたしも、赤毛どもに追い回されたいとは思ってませんよ。
知り合いの同業が、だいぶしつこく締めあげられたって話を、つい昨日聞いたばかりでさ」
「だったら、素知らぬふりをしておけ。
わたしの頼みを素直に聞いてくれる限り、悪いようにはしない」
「へえ。
レオスさまは、アーリュス人と違って、お約束を違えるなんてこたぁなさりませんでしょう。
あたしも、あいつらの言い分なんか聞いたって、ちょっとも利益になりゃしない。聞きたかないですよ。
下手すりゃこき使われた挙句に、痛い目に遭わされて、約束を踏み倒されかねないんですからね。
旦那の御言いつけを伺っていた方が、まったく懐が温まるってものです」
「ああ、賢明だ。
とにかく、何とかして峠を使わずに北へ行きたい。
船はどうしても出ないのか」
「あのねえ、旦那。
先日も申し上げましたけどね。
南限の港から北へ、まぁ要するにリューングレスへ行く船は、だいぶ前から差し止めなんですよ。
あたしら下々にはよく判りませんが、行き来は一切罷りならぬの御達しが出てまして」
「そこを何とか、出してくれんか」
「出したところで、先方の港に入れませんやね」
あきれ顔で答えた倉庫番だったが、急に何かを思いついたように目を見開いた。
「ああ、そうだ。
どうしてもって仰るなら、それなりの先立つものをご用意のうえで、組合に掛け合ってみなさる事ですな。
漁師の組合で、一番大きいエルオ座ってところなら、ご用意次第で何とかしてくれるかもしれないでしょう」
「エルオ座だな。
その方、座長に話をしてくれるか」
「……積むものを積んでおくれなら、まあ考えない事もございません」
露骨に手数料を要求してくる。
青年は渋い顔をしたが、この際は仕方がないと腹を括り直したらしい。
左の手を右で包んで、ごそごそと何かを始めた。
倉庫番はにやついている。
やがて、商談が成立したのだろう。
「そんじゃあ、ちょいとお待ちくださいな。
座長に話をしてみます」
言葉を残して、立ち去って行った。
残された貴族の男は、とりあえず息をついた。
「はあ。
リューングレスへねえ」
座長は、連れてこられたレオス人をじろじろと無遠慮に見やり、机に頬杖をついた。
「峠をお使いになったらよいのでは」
「そういうわけにいかぬから、話をしているのだ」
「ちょいと前にもね、北へ行きたいってレオスがお二人、訪ねて来られたんですよ。
そちらさま方は、初めから峠越えをお考えでしたがね」
「その二人連れがどうであろうと、わたしには関係が無い。
その者らはその者ら、わたしはわたしだ」
見るからに少し苛立って、青年は声音を強くした。
彼が見るところ、座長は北へ船を出す意欲に甚だ欠けるらしい。
金を積めばどうにかなるのか、どうにもならないのか。
見極めなければ、懐に手を差し込むわけにはいかなった。
「……二人連れだと。
待て。
どこの国の者だ」
「さて、どこでしたっけね。
我々には、それこそ関わりが無いもので。
いちいち覚えてなぞいられませんや」
座長も返答しながら、先刻の倉庫番によく似た表情を作った。
つまりそういう事かと察しがついたレオス青年は、銀貨を一枚、組合の長が使っている机の上に置いた。
へへっという笑いが漏れた。
「あっ、思い出しました。
エテュイエンヌからおいでになられたレオスさま方ですよ。
北のどちらへ行かれるかまでは、本当に聞いていません」
「エテュイエンヌ」
南西三国の東翼ではないか。
彼にとっては、聞き捨てならない響きだった。
「エテュイエンヌが北方を訪ねただと。
どういう事だ」
「さあ、そんな事は我々の知った事っちゃございません。
こちらで判っているのは、レオスさま方がお二人、この港町に来られて、峠を目指したって事だけでさ。
で、あなたさまは如何なさいます。
積むものを積んで下さりゃ、リューングレスまではお連れして差し上げますよ」
ためらいなく銀貨を払ったあたりから、金払いは良い。
そして、どうしても北へ行かねばならない、何らかの事情を抱えている。
座長の目は、金儲けの機会を捉えた。
若い貴族の方でも、座長が商談においては相応に誠実、またはそのように振る舞う気質であると見当をつけた。
ただし、金を積まれれば、情報を売り渡す事に罪悪感を持たなくもある、と。
自分がどこから来て、何のために北へ渡ろうとするのか。
どうして五日間も倉庫街に潜伏せざるを得なかったのか。
(正直に言う事は無いな)
話の核心については、決して口にしないと心を定め
「ならば、相場に多少の上乗せをしても構わん。
リューングレスに船を出してくれ。
上乗せ分は、着いたら払う」
「へえ、毎度さまで」
「間違いなくリューングレスに送ってくれ。
働き次第では、今後の事もあるぞ」
「へえ」
座長も、さすがに組合の最大手だけの事はあり、刹那的な商売を忌むという商人の常識はわきまえていたらしい。
上得意を獲得し、繰り返しの利用を見込む。
それが商売の基本だと、承知しているに違いなかった。
「それじゃあ、支度が出来次第にお送りしますよ」
「いつ頃になる。
具体的に日限を切りたい。
明日の朝には発ちたいのだ」
「そりゃ、お急ぎですな」
「言ったはずだ、相場に多少の上乗せもやぶさかでないと。
まずは支度金を払う」
銀貨五枚が追加され、別に祝儀も机に乗った。
「これはこれは、ご贔屓に」
祝儀の支払いと受け取りは、扱う商品の如何を問わず、あらゆる商人にとって一種の誓約になる。
すなわち、商売相手の要求を、ある程度は服む。その意である。
明日には希望が叶うとの言質を、彼は得た。
不潔な倉庫に我慢して身を潜ませ、信用できる取引相手を探した甲斐があったとの満足がある。
次の問題は、彼を追うアーリュス人をどうやってかわすか。
大手の組合であれば、商売相手に死なれては信用からいっても困るに相違なく、見込んだ利益を手に入れるまでは少なくとも匿うくらいはするだろう。
彼はそう見極めをつけ、出港までの一日を何とか凌ぐ場所を提供するよう、新しい交渉に臨んだ。
一方で。
アーリュス人の傭兵らは、必死の形相を作っていた。
彼らも南限の港に出入りして、生計をたてる身である。
引き受けた依頼が不首尾に終わればどうなるか。
楽観している者は一人もいない。
「レオス人くらい目立つ野郎は居やしねえだろうが。
何で見つけられねえんだ」
「お頭。
いねえもんはいねえって話ですぜ。
誰に聞いたって、こんな倉庫街にレオス人がいるものかの一点張りです」
頭格も焦っているが、手下も落ち着きがない。
「お頭。
あの連中、何かと見間違えてるんじゃないですかね。
シア人あたりとか」
「……そうかもしれねえな。
ちくしょう。
だとすりゃあ、とんだ無駄足だったぜ。
前金だけで終わるのかよ」
体格が良い赤毛の傭兵は舌打ちした。
「レオス人の探し人なんざ、相手にするんじゃなかった。
落ち人がダリアスライス人だっていうから、話に乗ったんだがな。
くそったれ、ただ働きか」