南方炎上6
「かつて。
我らが大陸は混沌としていた」
ヴェールト国王の演説は、始まりから静かな調子だった。
定例の御前会議で、王は円卓を囲む一同に、感情が無いかのような顔つきを見せている。
「後に剣聖帝との異称を奉られる事になる、若き英雄が統一事業に乗り出し、二十余年の歳月を費やして、神聖大ガロア帝国を開いた。
我が王家は、その当時より現代に至るまで、一貫して帝室を支えまいらせる重臣で有り続けたのだ。
今でこそ、一国の主人たる身だが、心は揺ぎなく旧帝国随一の忠臣。
予は誇りを抱いておる」
一度、言葉を切って周囲を見渡す。
居並ぶ人々はしおらしく頷き、誰も声を上げないものの、大いに同意する姿勢だった。
ヴェールト王国では、大声を張り上げての熱弁や、激しい動作は厭われる。
軍を預かる大剣将ですら、興奮した様子とは無縁だった。
「我らは、旧帝国の中心たる帝都を領地としている。
北方との交通の要たる峠をも、二ヶ所賜った。
現状が如何様であれ、この厳然たる事実が我がヴェールト王国の拠り所であり、断じて奪われてはならぬ。
特に、北方で雄国を自称するエルンチェア、南方においては逆賊の末裔たるダリアスライス。
両国の足元に跪くなど、予には耐え難い」
「御意」
ひっそりとした唱和が起きた。
臣下達としても、誰一人として耐えられそうになかったのである。
正当な皇帝の血統を保持するとはいえ、帝室末席にかろうじて連なる程度のエルンチェア王国にも、最後まで剣聖帝の統一事業に抗い、南の中央に封じられて領土の周囲を旧帝国譜代衆に包囲されたままでありながら、経済大国へのし上がったダリアスライス王国にも、家来扱いされる。
そのような事態は、絶対に回避したかった。
「やはり、陛下はお怒りにおわす」
会議が終わり、執務室に下がった大剣将は、副官や古くからの付き合いがある部下へ、苦い顔を向けた。
「北方と組んだ失敗、ダリアスライスの王位継承問題に関わった末、事態が露見して火の粉を被った点。
これだけでも、我がヴェールトにはとんだ恥さらしだが、更にゲルトマ峠の一件もある。
国の威信は、もはや地に墜ちたと言わねばなるまい」
「外務卿閣下の御処遇は如何に」
「さて。
わたしは軍人だ、文治派のどなたかにお問い合わせを差し上げねば、詳細は伝わって来ない。
ただ、本日の御前会議には、どうやらご欠席の模様だ」
複雑な言い回しだったが、問いかけた者に意は伝わったと見える。
彼は気の毒そうな表情を浮かべて、静かに頷いた。
「して、御前会議の御首尾は」
もっと大事な問いがとんだ。
もちろん、大剣将も、それを語るために左右を集めたのだ。
内容が明らかになるにつれて、周囲も一様に青ざめていった。
「それが、陛下の御意におわしますか」
「御決意は殊の外だ。
今までは、臣下に御一任を賜っていたが、こうもしくじりが続いては、いかな御寛容お深くあらせられる陛下も、さすがに」
「拝察申し上げます」
「そこで、まずは峠の一件を収めねばならん。
北方と何らかの話をつけるとしても、峠が通行不可となれば、身動きも叶わぬ」
「山の民を掃討、ですか」
いかにも大儀そうに、一人が呟いた。
大剣将は苦笑を漏らした。
「わたしとしても、進んで行いたいとは思っておらぬ。
だがな」
苦笑が俄かに改められ、軍指導者の目は鋭くなった。
「峠の守備隊が孤立し、下山も叶わぬとの報せが入って来ておる。
冬の今ならまだしも、春から夏にかけて、峠は通行量が格段に増える。
問題解決に時間をかけるのは、我がヴェールトにとって宜しからず。
我らは、国家の威信にこれ以上の傷がつくのは、断じて許してはならんのだ」
当国なりの苦悩が、彼の声には滲んでいた。
が。
エテュイエンヌにすれば、それでは困る。
西峠の紛争は、もちろん無視して良いものではないが、シルマイトにとっては
「ラフレシュア支援が先だ。
南西三国の結束は健在なりと、大陸全土に知らしめねばならん」
対ダリアスライス戦略を優先させるべきだった。
いま、南西地方を一つに押し固め、ダリアスライスの背後を完全に抑える。
それであってこそ、ヴェールトを自陣営に引き込めるのだ。
南西の東翼を担う王国の新たな主人は、旧帝国きっての名門貴族だった森林国家に、主導権を与えない方針を強く打ち出す積もりだったのである。
「例の件、ヴェールトに仄めかせるがいい。
何なら、西の峠は放棄しても構わんとな」
「御意」
シルマイトが頭に描く戦略には、北方圏も一枚噛んでいる。
というよりも、噛むように仕向けた。
読み通り、北の「彼ら」は、まずまずの反応を見せたのだ。
「初志貫徹と、昔から言うのでな。
彼らには、奮って志を遂げて貰おう」
ヴェールトに所縁ある北方国家は幾つか存在する。
その中でも、シルマイトから見て最も好ましい国は、東にあるのだった。
恐るべきはシルマイト。
南西三国のうち、エテュイエンヌ宮廷には広範囲に広がった認識だが、あいにくと外国はその限りではなかった。
特に、東沿岸のツェノラ王国は、自国の事で精一杯であり、鎖国主義をとる南西三国とは別の意味で対外事情に疎かった。
悪い事に、王が奮戦しても、ダリアスライスから援助の手が差し伸べられても、冷え込みきった経済が突然好転するはずもない。
南限の港と呼ばれる寂れた港湾都市は、このところ妙に活気づいている。
ただし、筋が良くないと思われるアーリュス人の破落戸連中も、活気に満ちていた。
港の裏側は倉庫街で、普段はあまり人を見かける事は無い。
静かな空気に満ちているのが常だったが、今日は違った。
いかつい若い衆が殺気立ち、盛んに倉庫を覗き込んでは、うろたえている管理人を怒鳴りつけている。
「ほんとうに見てないんだな」
「見てません、そんな男は来ていません」
何度も同じ事を聞かれ、ついでに小突かれて、倉庫の管理役または見張り役は泣き顔を作っている。
若い衆が言うには
「年のころは二十六から三十くらい、レオス人だ。
この倉庫に立ち入っていないのは確かだな」
「レオスさまなんか、こんなところにおいでになる道理がござんせん。
誓って見かけておりませんし、そんな噂も聞いていませんや」
「長衣をはおって、身なりは僧侶のようだったというんだが、ほんとうだな」
どう考えても、印象に残るに決まっている姿のレオス人男性が、このあたりの倉庫を眺めながら歩いていた。
ひどく珍しい事態について、何度も聞かれるのである。
「あたしゃあ、倉庫番を仰せつかって長いですよ。
そりゃ訳ありの品を扱う商人もいなさるし、この商売は口が堅い事と、一度見た相手の顔をすぐ覚えて忘れない事、この二つが揃ってなきゃやれないものなんです。
商売柄、自信はありますよ。
ましてや、レオスさまでしょうが。
こんな倉庫街に姿があれば、倉庫番でなくたって、驚いて覚えますよ」
ごろつきに恐怖を感じてはいるのだろうが、何回も聞かれて、理不尽に痛い目にも遭わされて、言わずにはいられない気分だったと見える。
倉庫の管理を引き受けている、四十がらみのヘリム民族男性は、存外に大きな声でそう言い返した。
毅然とした態度に、赤い髪の破落戸連中も鼻白んだらしい。
仕方なさそうに、何やら毒付いてから、倉庫番を解放して立ち去って行った。
同業の男が、大きな息をついた。
「何だっていうんだ。
レオス人が、倉庫街をうろうろしてるだって。
あいつら、夢でも見てやがるのかね」
「しつこいったらありゃしない。
確かに、ちょっと前には、二人連れの若いレオス人が港を右往左往していて、話題になっていたがね。
奴さん方は、噂じゃあ北へ向かったって話だ。
こんな倉庫街なんかに来るもんか」
「そういや、そんな噂があったな。
南西三国のレオス人だとか、どうとか」
「麦の売り込みをしていたって噂もあった。
怪しいもんだよ、レオス人が商人の真似事なんかするわけがないのに」
「まったく。
近頃はそこそこ景気が良くなっちゃいるがね、おかしな噂が流れた挙句に、ああいう手合いが増えるのは困ったもんだ」
「面倒くさい荒事はご免被るよ、ほんと」
彼らは、単なる噂話に興じたに過ぎない。
事のついでに、出くわした理不尽に対する気晴らしも兼ねて。
実は、ほどなく南方に広がる乱の、その火種について語り合っていたのだ。
当人達がそうと気づくまで、まだ若干の時間が必要だった。