南方炎上4
「何。
我が軍と、ラフレシュアが国境で衝突だと」
ダディストリガ・バリアレオンは、一報に接して瞠目した。
外国との軍事紛争は、開国以来かつて一度も無かった。
しかも、よりにもよって鎖国主義の南西三国、とりわけ保守派が主権強奪してまだ半年もたっていないラフレシュアが、当事国だという。
いったい何があったのか。
詳しくは続報待ちであるとの断りを入れた上で、執務室に駆け込んだ伝令使が語るところによれば、戦闘自体は長くなかったものの、激しい応酬だったらしい。
「戦死者は、確かに三名なのだな」
「現時点での報告は、三名で間違いありません。
重傷者が多数おります模様で、状況が変化している可能性はございます」
「承知した。
この件は、続報が入り次第に即時報告せよ。
時間は考慮せずとも宜しい」
他にも幾つかの指示を与えて伝令を下がらせると、傍に控える事務方へ、書類の作成を命じる。
朝のうちにもたらされた内容は、昼食の時間が来るよりも早く、ランスフリートに奏上された。
新米王太子も、むろん驚いた。
「ラフレシュアか……」
「御意にございます。
さしあたりは、そのラフレシュアから逃亡して来たと思われる貴族を保護し、王都へ身柄を送るよう申し付けてあります。
詳しい事情を知らねば、効果的な手を打てませぬゆえ」
「剣将の判断は適切だと思う。
しかし、事情がどうであれ、すでに事は起こってしまった。
先方にも死者が出ているからには、紛糾は避けられまいな」
「いかにも、仰せの通り。
致し方ございません」
「問題は、同じ南西三国が黙っていないだろうという事だ。
特に、東側がな」
この時、ランスフリートが事実上の名指しをしたのは、エテュイエンヌ王国である。
王座に最も近かったはずの第四王子ロベルティートが消息不明になった事件は、当国にも伝わっている。
代わってまもなく太子に立つ予定の王家末弟シルマイト。
彼の存在がどうにも不気味なのだった。
ダディストリガも同感している。
「率直に申し上げれば、かの国の出方が如何様になるか、気にかかります。
どうも最近、我がダリアスライスにまつわる宜しくない風聞が出回っておりますゆえ」
「わたしも存じている。
噂の出所は、エテュイエンヌだと思う。
彼らが我が方の敵に回る可能性は、無視できないな」
「御意」
「チュリウス公に確認しておいて欲しい事がある。
わたしの縁談だ。
多少の無理をしてでも、ラインテリアと手を結んでおくべきだと思っている。
これ以上、我がダリアスライスへ敵対する国が出現するのは、ご免こうむりたい」
ランスフリートは、真顔だった。
薪の産出量でヴェールト王国と競合し得る国は、真西のラインテリア王国しかない。
彼らと同盟を遂げるのは、ダリアスライスが描く戦略に是非とも必要なのだった。
暗に、可能な限り早く王太子妃を迎えよという意向を示したのであり、ダディストリガとしても大いに同意するところである。
表向きは公務を引退し、裏方の首魁として王宮に鎮座するティエトマール一門の最長老に、ここは腕を振るって貰わねばならないだろう。
「嵐が来るな」
従兄を下がらせたランスフリートは、軽い昼食を執務室に運ばせるよう、近侍に言いつけた。
いちいち王族のための休息室へ足を運び、誰かと談笑しつつ食事に興じるような気分ではない。
目の前に迫っている南の嵐と対峙し、切り抜けなけばならないのだ。
その事で、頭は占められている。
(さて。
一日……いや一刻でも早く、ラフレシュアからの逃亡者が王都に到着すれば良いのだが、どうなるか)
詳細が伝わっていない宮廷では、ひどく気を揉む者がいるが、現場では、件の人物を軍保護下に置いた事で、当座は彼の安全を確保したとの自負がある。
国境巡視団は任務を切り上げて、帰途に着いていた。
ダリアスライス領土内にいる盾爵を、ラフレシュア側が身柄奪還、あるいは王都随行を妨害する事は不可能だった。
「そうですか、それはご苦労でした」
じっくり話を聞く余裕を得た軍の指揮官は、バリスアンデルと名乗ったラフレシュア下級貴族に、脱出にまつわる事情を語らせた。
野宿ではあっても、指揮官の天幕は簡易な寝台や椅子の用意はある。
温かい食事が供され、予備の軍服を貸し与えられて、入浴までは望めなかったが、それなりに身繕いが叶ったとあって、盾爵は生き返ったように力を取り戻し、自分達の身に起きた大小諸般の出来事を、余すところなく明らかにしたのだった。
その日、ラフレシュアの故王太子は、嵐を被災した街へ行啓の予定だった。
門を出たとたんに、待ち構えていた親王率いる保守派の武人らに襲われ、命を落とした。
同時に城の中も制圧され、この一日に限って見れば、故王太子を旗印に恃む革新派は惨敗を遂げたのだ。
もっとも、保守派は政権奪取にばかり気を取られたらしく、後始末に手こずった。
市民からも反発を受け、王都は混乱に陥り、現在も秩序を立て直せないでいる。
僅かな隙をついて、命からがら内戦状態の街を逃れた盾爵は、仲間の献身にも救われて、今ダリアスライス軍の保護を受けている。
「まったく、貴殿方に巡り合えたのは、ユピテア大神の御導きとしか考えられません。
恥ずかしながら、これといった勝算も無く、ただ貴国にたどり着く事しか意識しておりませなんだ」
「我が軍が、あの場所を巡視しているとの情報を事前に得ていたわけではない、と」
「左様。
とるものもとりあえず、ろくな食料も身に帯びず、まっすぐ東を目指したのです。
貴殿方がこの辺りを巡視しておいでとは、少しも存知しておらず」
「……余程に切羽詰まっておられたものと拝察致します。
ともあれ、我が軍は王都へ帰投し、以後は宮廷の沙汰を待つより他に道はございません。
バリスアンデル盾爵どの。
貴公は、我がダリアスライス宮廷に全てを委ねる御覚悟は、定まっておいでかな」
その問いに、逃亡者は大きく頷いた。
「是非も無いです。
わたしは、ラフレシュアに居場所は無く、このままでは結局のところ座して死を待つ身。
貴国の御指図に従う事で、何かの変化が期待し得るのであれば、躊躇う理由などございませんとも」
「御決意を伺って、安心しました。
一軍を預かる身では、無責任に安請け合いは致しかねるが、少なくとも王都までは、万全を期して貴公のお身柄をお預かり申し上げます」
行軍の指揮を執る高位軍人は、慎重な口調ではあったが、十分に誠意を感じさせる言葉遣いでバリスアンデルを慰めた。
逃亡者にとっては、これだけでも身に染みるだろう。
明らかに安堵した表情を浮かべ、盾爵は神妙に頭を下げた。
南方圏の中央と西の動静は、南西三国の東翼が見逃すものではなかった。
長年の結束を誇った国同士であり、閨閥も完成されていて、情報は否応無くエテュイエンヌにも達している。
ランスフリートやダディストリガが案じた通り、新たな王太子シルマイト・レオンドールに、指をくわえて事態の推移を眺める意思は少しも無い。
「ほう、思い切ったな」
ラフレシュアから国外逃亡を図る者が現れた事も、ただちに追手がかかって、しかも国境において「あの」ダリアスライスと軍事衝突を起こした事も、この早耳な男はとっくに掴んでいる。
「ダリアスライスに逃げる者が現れるとは。
願ってもない。
おれの予想では、サナーギュアに救いを求める者が出るといったあたりだったのだが」
果実酒を含みながら、彼は自分の読みが外れた点について、むしろ面白がっていた。
実際のところ、同盟国たる最南端の中心国家に助力を求めるのは、南西三国の目で見れば当然であるべき流れだった。
が、シルマイトの利益になるかという視点で言えば、必ずしも有難い流れではない。
彼の考えでは、南西三国は、割れるべきではないのだ。
「あくまでも、このおれの配下として、仲良くあって貰わねばな。
そこへいくと、ダリアスライスは好都合だ。
良い敵役になってくれるだろう」
南西三国は結束して、南方圏に君臨する経済大国と戦う。
シルマイトはそういう未来図を準備していた。
「どれ。
ラフレシュアの親戚に、一報入れてやるか」
酒を飲み干すと、机に向かう。
西翼たる騒乱の国には、長年にわたる王家婚姻の絆がまだ生きている。
エテュイエンヌを支配しつつある梟雄の一筆は、必ず政治の中枢部に届く。
自覚しているシルマイトは、何ら躊躇する事なく、自分が得た限りの情報を出し惜しみせずにしたためた。
南方に大乱を巻き起こし、炎上させる。
それが、目的だった。