ゲルトマ、再び3
「あのジークシルトが」
妃を伴った嫡男が、出発間際とは大違いでたいそう上機嫌に帰着したと聞き、父王バロート・レオルタスは思わず執務の手を止めた。
武断王ともあろう彼が、まばたきも忘れる程に、報告してきた典礼卿の顔を凝視したものである。
「ヴェリスティルテ姫を気に入ったと申すのか」
「は。
正門でお出迎え申し上げましたところ、それはそれは甲斐甲斐しく、姫の御手をお取りあそばしての御入城におわしました。
常であればお早く門を御通りあそばすのですが、姫のおみ足運びに合わせての御渡りで」
「ほーお」
率直に言えば、父王は吃驚していたのだった。
女性に断固として目を向けない、王太子のあまりの無関心さに
「衆道の気があるのか」
とさえ疑った事もある。
だが、とにかくも年相応の男子らしい興味を異性に抱いたというのだ。
執務中でなければ、乾杯の用意を命じたいと思っても不思議は無かっただろう。
「仄聞するところによれば、姫の容姿は特に秀でたものではないとの事だが」
「殿下にあらせられては、姫の御容姿はさしたる問題にはおわしませぬ模様です」
「そ、そうか。
まあ、女の価値は色香にあらずよ。
当人が良いならそれで良し。
余程に気に入ったのなら重畳だ」
ほどなく、披露目を兼ねての挨拶があるという。
まずは第二謁見室で、若い夫婦となる両人と会う段取りである。
王だけではない。
エルンチェア宮廷人の、ほぼ全員と言っていいだろう。
婚約者に細かく気を遣い、廊下を信じ難い緩やかな歩調で進む王太子の姿を見た者は、目を瞠って息まで飲んだ。
「おい、あれがジークシルト殿下か」
「どのように拝見し奉っても御当人に違いないが、どのように考えても殿下とは思えない」
「あれ程にごゆっくりと、お歩きあそばす殿下は初めて拝見する」
城の勤め人は、控室に下がってから、あれこれと言い合う始末だった。
当人は歯牙にもかけていない。
いつもなら、すたすたと大股で歩き去る廊下を、姫に合わせている。
そしてそれを、自分らしくないとは少しも思っていないのだ。
第二謁見室へ到着し、入室を許された時
「おお」
周囲から感嘆の声が上がったのにも、王太子は特に注意を向けていなかった。
父ですら
「やれば出来るではないか」
とばかりに、紳士の振る舞いを見せる嫡男に対して、刮目する有様だ。
「大儀であった。
ヴェリスティルテ姫、遠路はるばる我がエルンチェアによくぞ参られた」
「身に余る御労りを賜り、恐悦に存じます」
明るい大声が、第二謁見室に響いた。
バロートは目を瞬かせた。
全く武断王に相応しくないと言わねばならない、彼は戸惑ったのだ。
「な、なかなか御健勝のようだ。
祝着である」
どうやら西の姫君は、王が知る宮廷の淑女とはだいぶ毛色が違うと見える。
当初こそ驚いたらしいが、さすがにすぐ態勢を立て直したようで、初顔合わせの挨拶は何事もなく終了した。
退席した直後、バロートは
「好みは人それぞれだな」
しみじみと呟いている。
ヴェリスティルテを宮廷に迎え、次の手順は、内婚の儀に移る。
王族の結婚式は、二度行うのが大陸諸王国に共通するしきたりだった。
北方圏では、雪解け時期に春の到来を祝う
「雪下ろしの大祭」
を、盛大に執り行う。
南方圏では暦改めの日から三日間が祭りだが、雪国では春の訪れに祝いの場を重ねるのだ。
王子夫婦が民衆に結婚を知らせる婚礼を挙式し、諸外国への通知を行うのも、この季節を選ぶ事が多い。
内婚の儀こそが、事実上の結婚式なのだった。
「十日後に執り行われます」
典礼庁勤めのラミュネスに予定を聞かされ、ジークシルトは鷹揚に頷いた。
「異例の早さだからな。しかも冬だ。
諸外国からは、来客はあまり見込めまい」
「御意にございます。
この度は、内々の披露宴が精いっぱいかと」
「致し方あるまい。
その代わり、雪解け期の婚礼式典には、準備を入念に行え」
「は」
珍しい事を言い出したと、ラミュネスは意外に思ったらしい顔をした。
ジークシルトは照れくさそうに鼻へしわを寄せ
「姫に約束したのだ。
内婚の儀はやむを得ない、来客が少なくとも堪忍して欲しいと。
婚礼式典でその埋め合わせをする旨、言い遣わしてある」
「左様でございますか。
かしこまりました」
「ヴァルバラスは、なるべく多めに招待客を手配しろ。
他はどうでもいい」
「御意。
ところで、殿下。
例の件ですが」
ラミュネスが表情を引き締めたのを見て、ジークシルトも察したらしく、姿勢を改めた。
彼らの間で「例の件」と言えば、一つしかない。
「どうなっている」
「ブレステリス側からは、内諾を得ました。
先方も、かなり手を焼いていて、扱いに困じ果てている様子。
かの御婦人は、ユピテア寺院に送られて僧籍にお入りあそばされたとの事ですが、奇行が目立つ問題は一向に収まらぬ由」
「尼僧にもなれんのか。
その程度の覚悟で、よくもパトアルスを巻き込んでくれたな。
くだらん妄執にすがりついた報いだ。
あの不愉快な婦人を担ぎ上げた連中は、今どうしている。
獄に下ってから、それなりに時間は立っているが、まだ生きているか。
父上の事だ、昨日のうちに処刑が終えておられても、おれは驚かんぞ」
「御意。
首謀者のアローマ内務卿と以下二名は、獄に下したまま、処罰を待つ状態におります。
内婚の儀が終わった後に、宝玉の杯をとらせる運びでございます」
「何なら、今すぐにでも飲ませて遣わしてもよいくらいだ、腹立たしい」
ジークシルトは、断罪されたパトリアルス擁立派が、暦改めの前に逮捕されて下獄した事を知っている。
グライアスとの和議交渉に、王族へ逆意を示した外務卿を派遣出来るわけはなく、その人物ばかりか親王陣営に与した文治派の貴族は、既に宮廷から一掃されている。
処罰を免れたと思い込んだであろうアローマ内務卿が、捕吏に囲まれた時、どのような顔をしたものか。
ジークシルトは冷淡に
「さぞかし絶望しただろうよ」
想像する手間も惜しいといった表情で、寸評したにとどめた。
パトリアルスは、目下のところ爵位を与えられ、湖のほとりの王家別荘で軟禁状態にあるという。
だが、少なくとも生きてはいる。
バロート王としては、彼が適切と考える時期にジークシルトの手で処断させたい意向だっただろうが、生憎と外交状況が予断を許さない。
やむなく弟だけは手をつかねて、放置しているのだった。
望ましいのは、行動を起こした臣下だけに罪を鳴らし、パトリアルスは無罪放免となる事だが、それは認められないと、ジークシルトも承知している。
可能な限り速やかに、本来の責任を負うべき立場の者を断罪して、弟を粛清する大義名分を無効化させたいのである。
ブレステリスが同意したというのは、彼にとって歓迎すべき情報だった。
「ゼーヴィスが我がエルンチェアに仕官するよう、手配はしてあるな」
「御意にございます。
当人にも伝わっており、現在は諸般の準備を進めているとの事」
「うむ。
おれとパトリアルスにとって都合がよい決着がつけば、申し分はない。
ラミュネス、引き続き宜しく取り計らえ」
「かしこまりました」
敵とみなした相手には容赦しない王太子だが、そうではない相手に対しては、柔和な表情で臨む。
姫を待たせていると言い、彼は私室から、姫の控室にあてられている客間へ足を向けた。
見送ったラミュネスは
(ダオカルヤン、貴方がこの場に居ないのが残念だ。
殿下の御様子をご覧になったら、バロート陛下に負けず劣らずの驚きぶりを示すでしょう)
国境の塁に不本意ながらも居残っている旧友の、ぼう然とする様を思い浮かべていた。
北方圏の建築は高塔式と呼ばれる。
室内は面積が狭い。
また王族は夫婦といえども別々に屋敷を構えるのが通例であり、ヴェリスティルテの在所は、主を失った王后邸に定まっている。
しかし、それは内婚の儀が終了してからの事で、当分は来客が宿泊する城の南に用意された控えの間に滞在する。
ジークシルトが部屋を訪れ、歓談を始めた時だった。
王からの伝令が
「急ぎ、執務室へお出ましあそばされませ」
彼を呼び出した。
急な用事だという。
およそ、和やかな印象は抱きにくかった。