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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十六章
156/248

遥かなり地平線5

 草原の朝はいつも通りだった。

 星明りがまたたく青黒い空を戴いて、遊牧の民達は家畜を追い、飼い葉を用意し、またはかまどに火をおこす。


「またこの騒ぎか」


 どたばた走り回る足音、馬を追い出す威勢の良いかけ声が外から響いて来る。

 この騒々しさに慣れていないらしいオタールスは、ひどく閉口した顔で天幕の帳を見やっていた。

 うっすら開いている出入り口の向こう側に、朝の光は無かった。


「毎朝毎朝、まだ日も昇っておらぬであろうが」

「このくらいで元気を無くすようでは、この先が思いやられるぞ。オタールス」


 ロベルティートは慣れたもので、初日と二日めの朝は、自分も今の臣下と似たり寄ったりの心境だったくせに、すっかり昔から早起きの習慣があったかのような顔をしている。


「お次は草原の名物だ。

 ほら、あの」

「えッ。

 もッ、もしやっ。

 もしやタペ」


 閉口しただけでなく、顔色も失う臣下だった。

 泰然としていた若主君の方は、笑い出した。


「もしや、ではない。

 草原の名物と言えば、タペをおいて他にあるまいさ。

 我がエテュイエンヌにもコール茶があるが、タペは更に上を行く乙な飲み物だよ」

「は、はぁ」


 オタールスも先に茶杯を振る舞われ、一口飲んで


「何だこれは。

 煎じ薬か。

 傷に良いのだろうか」


 首を捻りながら感想を述べている。

 茶だと説明されてもすぐには合点が行かなかったようで、カムオに


「ドゥマは風邪薬だと言い、あんたは傷薬だと言う。

 そんなにレオス人の好みには合わんかね」


 笑われたのだった。


「どう言われても構わんよ、イローペにゃこれしかないんだ。

 頑張って好みのほうを合わせてくれ」


 族長はすましてそう言い、アンクが無邪気にタペの用意をするのには口を出さなかった。

 一日に四~五回は手渡される、とびきり酸味が効いた茶のもてなしは、恐らくダリアスライス国境に到着するまで続くのだろう。


 それを思うと、オタールスは傷の具合がどうであれ、とにかく早く国境に着きたい。心からそう願ってやまないらしかった。

 何せ、ぼう然と茶杯を眺めて


「あと何回、この苦行に耐えれば良いのだろう」


 呟いていたのを、ロベルティートは目撃している。

 気持ちは判らなくもない主人だったが、生憎とオタールスの怪我は全身に及ぶ上に右手首をかなり痛めたらしい。


 馬の手綱を握れない為、しばらくは養生せざるを得なかった。

 九日ばかりを消費した今朝、ようやく出発の見込みがついたのである。

 そうこうしているうちに、問題の茶が届けられた。


「はい、タペ。冷めないうちに飲んで」

「ザッキ」

「違う。カタァーケナシ」


 もはや様式美と称しても良い程の型にはまったやりとりが、天幕の中で軽く行われ、後にやっと朝食が設えられるのだった。


 遊牧民の輪に交じり、がやがやと騒がしくかつ慌ただしく食事をとる。

 干し肉と麦の粥という素朴な内容は、朝食を豪華にとる習慣があるレオス人には軽いものだったが、意外とオタールスは嫌わなかった。


 余程タペに辟易しているのかもしれない。

 この怪我人は、結局は王都へは帰らず、ロベルティートに同行すると決まっている。

 当初は帰都を勧めたが、頑強な抵抗に遭った。


「殿下御一人でダリアスライスへ御渡りあそばされるなど、以ての他。

 万が一にも御命を縮めまいらせる謀り事があったれば、如何にあそばされますか。


 それがしは痛手を蒙っており、さまでお役には立ちますまいが。

 事あらばこの身を盾となしてでも、殿下をお守りまいらせます。

 何卒、随行を御許しあれ」


 言い張ってきかなかったのだ。

 ロベルティートとしても、本音はやはり、気心が知れたレオス人が側に居る事は喜ばしかった。


 また、謎めいたこの暴行事件が、シルマイトの差し金でないとは断言しかね、だとすれば、自分と接触したオタールスをそのまま首都へ帰らせる事に、危険を感じないわけにもいかなかった。

 一晩悩んだ末、了解した次第だった。


 ホーッ、ホーッという呼びかけの声がし始める。

 男の馬追いとは違う、あれはまだ少女期と思われる女の声だろう。

 オタールスも気づいたらしく


「ほう。

 女が馬責めをするのか」


 物珍しげに言った。

 ロベルティートは頷いた。


「イローペの女は逞しい。

 あの声は、荷馬車を呼んでいるのだろう。


 空になった水樽を積んで、どこかに水を汲みに行くようだ。

 草原に、水の施設は無いからな」


「なるほど」

「彼らは水を持ち歩くのだ。

 いつも樽を馬車に積んでいる。


 露営の場所に、必ず水が湧いている保証は無いからな。

 人は水を失えば死ぬ。レオスもイローペも変わらないよ」


「さよう考えますと、あの者らは、一見では気楽に暮らしておるようですが。

 実態は、なかなかに過酷な日々を送っているものと見えまする」


 オタールスは素直に感銘を受けたらしい。

 周囲では、毎朝繰り返される出発準備が始まっている。


 まだ日の出まで時間はあるはずだが、彼らは薄闇をものともしないで、星明りを頼りにそれはそれは機敏だった。


 目覚ましいのは女の活躍というべきだろう。

 固太りの短躯でありながら、どこにそんな力があるのかと目を瞠る。


 若い女が潰した家畜の半身を担ぎ上げ、平然と小走りに去って行くのを、レオスの主従は目の当たりにした。


「女が、あれ程の重量を」

「イローペは、そういう生活を昔から送っている。

 カムオによれば、男が女の仕事を取り上げるのは、たいへんな侮辱なのだそうだ。

 時には命に関わるという」


 聞きかじった遊牧民の風習について、ロベルティートは訳知り顔で解説した。

 役に立たない者は部族には居られない。厳しい掟がそこにある。


「あの肉も馬車に積む。

 あれが出てくると、まもなく出発になる。


 彼らは肉や生乳を積荷の最後にしているらしいのだ。

 理由はわたしも知らないのだが」


 ロベルティートがそう言ったとき。

 背後から


「いざって時のためさ」


 族長が答えを出した。

 驚いて振り向くと、カムオがいつのまにか立っていた。


「露営場をばらす時が一番危ないんだ。

 盗賊や狼がこっちを襲うにゃ、守りの手がほとんど無い今が好機なんだろう。薄暗いしな。


 おれが襲う側でも、そう考えるね。

 そんな時は、肉を放り出してやるのさ。


 狼が相手なら肉に気をとられている間にさっさと逃げるし、盗賊どもが剣を振るってきたら、肉で受けてやるといい。

 剣は肉に刺さったら、すぐには抜けないからな。その隙におさらばって算段だ」


「そういう理由だったのか。

 生活の知恵というものだな」


「まあな。

 で、旦那。

 昨日の話を蒸し返すがね、本当に北じゃなくていいんだな、西だな」


 経路を確かめに来たようだ。

 昨夜、ロベルティートは方角を変えて欲しいと頼んでいる。


 カムオは驚いたらしいが、気まぐれではないとの王子の強い意向を受け容れたものの、出発間際でまた変えられてはかなわないとでも思ったのだろう。

 訊かれた方は、力強く頷いた。


「どうしても、西に行かなければならなくなったんだ。

 目的の地はクラマイズ、しかるのちにダリアスライスだ」

「判った。

 ただ、この一回限りにしてくれよ。何度も変えられちゃ、いくらおれでも顔役を抑えられない」


「承知している。苦労をかけて済まない」

「走り出した馬には、最後まで乗れってな。遊牧の民に伝わる言葉さ。

 で、もう一つ」


 馬が二頭曳き出されて来た。


「さんざん言ってあるから、旦那は判ってるだろうが、そっちのシェビ」

「シェ、何だと」


「シェビって言やぁシェビなんだよ。あんたのこった」

「家来または配下を意味する、イローペの言葉だ」


 目を白黒させているオタールスへ、ロベルティートが通訳した。

 内心では


(草原の言葉を訳せる王子は、大陸中におれしか居ないだろうな)


 おかしがっている。

 カムオは素知らぬ体で


「部族の移動には決まりがある。勝手な事はするなよ、命の保証は出来ないぜ。

 遅れたら置いていく。しっかりついて来てくれ。


 じゃ、早いところ馬に乗んな。

 さっきも言ったがね、露営場のばらし作業は危険だらけだ。狼の朝飯になりたくなきゃ、馬にまたがるに限る」


 草原の住人としてはまるきり素人の二人を、粗末な鞍へ追い立てた。

 まもなく出発になる。



 南西部を絶えず悩ませる嵐は、このところ吹き荒れる気配が無い。

 イローペ族ならずとも、安定した天候はありがたいものである。


 王都の周辺には、新たに開拓された小さな農村が幾つかある。

 ところどころに畑が拓け、春であれば青緑の穂が一斉に揺れさざめく光景が目に入る。


 今は冬、畑は秋の終わりに一旦焼き払われて平たい姿となり、灰に覆われた大地を、農夫が耕す季節に入っている。

 馬を進めるロベルティートの視界には、鍬を振るっては打ち下ろし、土を盛んに掘り返す農民の姿があった。


 彼らもイローペ人に劣らぬ朝まめぶりを発揮する。

 払暁ともなれば農耕具を担いで畑に足を運び、日が落ちるまでひたすら働き続ける。


 女は掘り起こされた土から出てくる異物を拾い集めたり、早くも芽を出している雑草を抜き取ったり、これまた一日中腰を折り曲げているのだ。

 家族総出で畑の面倒を見ている人々を横目に、馬群は緩やかに西の遥かな地平線を目指す。


「これが農民の暮らしか」


 ロベルティートは、働く両親に代わって赤子をよたよたと抱き、懸命にあやす幼児の姿を流し見た。

 感慨が胸を締め付ける。


 自分が赤子だった折、兄にああやって抱かれただろうか。または、小さなシルマイトを胸に収めて、あやした事があっただろうか。


(あるいは、おれとシルマイトがあのような生まれだったなら。

 おれが畑の中で母を手伝い、シルマイトの子守をしてやっていたなら)


 今とは違う兄弟の姿があったかもしれない。

 急に乗り馬の脚色を落としたせいで、集団から離された。


 気づいた時には、いち早く異変を察知したらしいオタールスが引き返して来て、苦労しながら轡を並べた。


「殿下、如何あそばされました」


 が。

 考えてもいなかった、本物の異変が、既に至近まで忍び寄っていた。

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