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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十六章
154/248

遥かなり地平線3

「ドゥマ。

 タペが煮えたの」

ありがとう(ザッキ)


 ロベルティートは、覚えたての部族語で礼を言ったが、湯気をたてる木の器を手にしたイローペ人少女を笑顔にする事は出来なかった。


 カムオの隊商に身を寄せた際、族長が心遣いとして侍女をつけてくれた。

 アンクという名の、族長いわく


「うちの部族じゃあ評判の美人だぞ。

 年は十三歳、いい頃合いだろう。体は頑丈、働き者だ。

 あちこちから嫁の声がかかっていて、牛連れの求婚者が列を作るくらいだ」


 秘蔵っ子であるらしい。

 もっとも、カムオは


「まあ、おれ達イローペの目で見る限りの話だがな。

 ドゥマには、違うように見えるかもしれん」


 笑って付け足したが。

 彼女は初対面から物おじせず、特にロベルティートが習慣として口にする宮廷言葉を面白がる。


 都市間の交易商人でもあるイローペ人は、大陸公用語であるレオス語も理解するが、宮廷特有の言葉遣いにまでは知識が及んでいない。


 今も、せっかくの部族語なのに感心はしなかった。

 不満顔で


「カタァーケナシ、は」


 レオス人の言い回しを使えと要求した。

 ロベルティートは微笑して頷いた。


「かたじけない」

「カタァーケナシ」


 喜んで、何やら怪しい発音を披露する。

 焚火に向けていた体を、自発的に自分の真横へ座った少女の方へ直し


「アンクにはそう聞こえるのか」


 差し出された器を受け取った。

 中には、彼ら遊牧民がタペと呼ぶ、白色の飲み物が入っている。


 牛の乳を発酵させ、草原に自生している香草を煮出した湯で割ったもので、要はイローペ流の茶である。

 強い酸味と香草特有の苦味が、温められているせいでかなり目立つ。


 正直に言えば、慣れない者には飲み下すのが甚だ難行で、ロベルティートも最初に振る舞われた時にはてっきり感冒剤だと思い込み


「風邪を引いているように見えるのか」


 などと、見当外れな意見を言った程だ。

 むろんひとしきり笑われて、真実を知ったが。


「神の水は人の酒なりと、昔から言われている通りだな。

 場所が変われば、思いもよらない品が茶になるんだ。


 おれには、茶と言えばコール茶だけども、これだって南西三国でなら茶で通るが、他国者なら煎じ薬だと思うんだろう。

 宮廷に寝起きしていた時には考えた事もなかった。


 この機会を得られた一点に限ってだけは、シルマイトの功績だと言ってやってもいいだろう。

 感謝する気にまではなれないがね」


 アンクから焚火に視線を戻し、彼は夜の草原の中で燃える火に語りかけるような姿勢になった。

 横の少女が遠慮なく笑った。


 ロベルティートの独白を、彼が部族に姿を現してからこの五日ばかり、何度も聞いていたのだった。

 近頃は、また旦那の妙な癖が始まったと、耳にするたび笑い転げている。


「レオス人には、独りで何か話す慣わしがあるのね」

「慣わしね。

 慣わしというか、まあそうなんだろうね。


 アンクに反応を求めても詮無くはある。どうしても独り言になってしまうんだな。

 おれの呟きは面白いかい、アンク」


「うん。

 イローペは、火に向かって話しかける事なんかしないもの」

「ははは。

 これは痛いな」


「タペ、冷めるよ。

 体温めるのに持って来たの。

 冷たくなったら美味しくない」


「ああそうだったね」


 これも正直に言うなら、温かいタペは飲むのに心の準備が要る。

 大概のレオス人は同じような感想を抱く事だろう。


「おれはどちらかというと、タペは冷めている方が飲みやすい気がする」


 との本音は胸の中に仕舞い込んで、レオス人にすれば何かの薬としか思えない温かい飲み物を、喉の奥まで流し込んだ。


「美味しいかしら」

「もちろん。

 アンクが淹れてくれたんだろう。

 美味しいよ」


 そう応じつつ、実はむせそうになっているロベルティートだった。

 この苦難は当面いつ終わるか、果ては知れない。


 カムオはこの流浪の王子をエテュイエンヌ・ダリアスライス間の国境まで連れて行く役を引き受けてくれた。

 しかし、彼が期待する通りには、なかなか移動がままならない。


 百人を超える一族を率いているだけでなく、貴種の青年も同伴している事情が、本来は軽快なのだろう遊牧民の足を鈍くさせている。


 部族移動の際の大騒ぎぶりは、朝が来る都度に目を引く。苦労をかけていると思う。

 それは重々承知なのだが、やはり気持ちが焦る。


 あのシルマイトが、ただ追放して満足するとも考えにくく、恐らくは派遣されているに違いない弟の配下に、いつ存在を捕まれるものか。

 悪くすれば、襲撃されるか。


 不安が無いとはどうしても言えないのだった。

 全くの善意によるタペを飲まされる苦行はさておいても、出来ればもう少し急ぎたい。ダリアスライス国境までたどり着きたい。

 ロベルティートは微笑みながらも、心の奥底では気を揉んでいた。



 客人の心境について、カムオは無知無理解なわけではない。

 族長なりに可能な限りの迅速さを心がけ、移動している。

 だが、物見に出した若い衆から


「変な男どもがいたぞ」

「十人より多く無い。

 だが、草原では見かけない類の男どもだった」


「腰に剣があった。戦士だ。

 あれはきっと、都からドゥマを追って来た連中に違いない」


 ひっきりなしに嫌な報告が入って来る。

 体の特徴を聞くと、栗色や黒髪だと、若い衆は口を揃える。


 今のところレオス人らしい金髪の目撃談は寄せられていないが、用心しない理由にはならないと、族長は考えている。


 昨日は、部族が露営している一体付近に、草原をうろついているはずがない鎧姿の男達が居たと聞き、捕えてくるよう命じたところ


「すまん、バズ。

 捕まえられなかった」


「逃がしたのか」

「いや、全員死んだ」


 若い衆は剽悍ぶりを如何なく発揮して、全滅させたという。

 とはいえ、生き残りが居ないとも限らない。


 念を入れて、今日は移動を控え周囲をくまなく探させた。

 それらしい男の集団は見かけていないというのが、日が落ちた現在までに寄せられた情報だった。


「見落としがなきゃいいがな」

「なあ、バズ。

 いっその事、屈強の男を何人か選んでドゥマに貸してやったらどうだ。

 何も、おれ達が全員で北へ戻る事は無いだろう」


 族長の天幕を訪れた部の民の代表が意見した。

 カムオは少し考えたが、やがて首を横に振った。


「いや、だめだ。

 ドゥマは国境まででいいと言ったが、国の入り口で揉めたら全部が台無しになる。


 レオス人は面倒くさい。

 あいつらの手下連中もだ。


 ドゥマ・ランスフリートに頼まれて、イルビウクへ行った時なんか酷かった。

 少し待てとか言っておいて、えらい待たされたし、挙句には教会へ行けとも言われたんだ。


 紹介状を持たされてたおれでも、そんな目に遭わされたんだからな。

 若いのだけじゃあ、喧嘩にはなっても、うまく場を収めるなんて芸当は無理な相談だろう」


 その時だ。

 天幕に、表情を険しくした若い男が転がり込んで来た。


「レオス人が居たぞ、バズ」

「何だと」

「やっぱり居やがったか」


 カムオは膝を立て、腰を浮かした。

 イローペの天幕に椅子は無い。敷物を地面に敷いて直に座る。


 蝋燭を囲んで輪を作っていた男達が、続々と族長に倣って気色ばみつつ立ち上がりかける。

 若い男は、だが


「でも、何か変だ」


 険しい顔つきながも、同時に戸惑った様子だった。


「そのレオス人、怪我人だ」

「怪我人だと。

 そりゃあ、うちの若いのがよってたかって叩きのめしたからだろう」


「違う。

 初めっから怪我人だった。

 おれ達も、そのレオス人も、お互いを知らない」


「何だそりゃあ」


 中腰になりながら、カムオも当惑した。


「訳を訊いてみたのか」

「訊いたけど、何を言ってるのか判らない。

 ドゥマ・ロベルティートみたいな口の利き方だ、何とかのシダイとか、何とかのカネルとか。

 偉そうなのは判った」


「なら、おれが話を聞く事にする。

 天幕の前に連れて来い」


 当惑から苦笑に表情を変えて、カムオは若い男に命じた。

 集まっていた顔役らが一様に苦い顔をした。


族長(バズ)、ちょいと腰が軽すぎやせんか」

「全くだ。

 あんたはドゥマの友人かもしれんが、おれ達のバズでもある。


 敵と戦った戦士(パンジャバーリ)を助けるのは、イローペの正しい流儀だが、いつでもそんな調子じゃあ困る。

 あんたに何かあったら、部族の衆はどうしたらいい」


「若いのに、もう少し話をさせろよ。

 何なら、ドゥマに話を聞いて貰え。相手は金髪だ」


「金髪だから、まずおれが会うのさ」


 カムオはきっぱりしていた。


「レオス人は面倒くさいと言ったばかりだろう。

 偉そうなやつだと、さっきの若いのも言ってた事だしな。


 若いの相手じゃ、そうそう話したがりゃせんよ。

 族長面した男が睨みを効かせて見せりゃ、夜中の挨拶くらいはする気になるだろうさ」


「いきなり刺されたらどうする」


「うちの若い連中が、縄も打たなきゃ武器も持たせっぱなしで、族長の天幕に怪しいレオス男を連れて来たりするものかよ。

 しかも怪我人だぞ。


 ただでさえ若い衆は血の気が多いんだ。

 連中にとっ捕まった金髪に、おれをどうこうするような気力が残っているとは思えんね。

 大事な話をしたくても口がうまく回らないんじゃないかと、少々心配しているところだ」


 軽口で顔役の心配に応じてはいるが、しかしカムオも心底から楽観してはいなかった。

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