合縁奇縁3
「ただ、どうにも判らないのが一つある」
笑顔を向けたまま、彼は強酒を一口飲んだ。
「あの肖像画の意を伺いたい。
姫なりの洒落だとは思うのだが、それ以上の理由が思いつかなんだ。
おれに先入観を持つなとの意か」
「あら、御賢察。
理由の一つは、殿下が仰せの通りにございます。
わたしどもヴァルバラスとエルンチェアさまは、これまで交流がございませんでした。
噂を少々聞き及ぶくらい。
それなら、何も判らない状態のまま、ありのままで御意を賜るのが、正しく御人となりを知る方法と考えました。
殿下におかれても、人伝手の真偽が判然としない噂に飾り立てられたわたくしではなく、ご自身でお確かめあそばされたわたくしの方が、諸々宜しいかと存じております」
「ほう。
そういう意図か。
とはいえ、危険な賭けではあったな。
あの肖像画を見たおれが、腹を立てる可能性もあったぞ。
婚約者を事の端緒から怒らせては、後日の為にならん、とは考えなかったのか」
「必要以上に良い噂を聞いていた後で、実は気が合わなかったと判明するのに比べれば、初めの印象が悪い方が、巻き返しを図りやすいと存じます。
悪い方から良い方へ転換する方が、最初は良かったのに悪くなってから、再び良い方向へ転換させるよりも、実は簡単です」
「なるほど、一理あるな」
「という事を、縁談が一度調いかけたのに一転して破談となってしまった経験から、学んだのですわ」
ヴェリスティルテは愉快そうに、けらけら声をたてて笑った。
ジークシルトは失礼な正直ぶりで驚いた。
「縁談が、あったのか」
「ございました。
これでも、当代国王の姪でございますもの。
確か、十六くらいだったかと思います。
今にして考えると、あれで良かったのですが、さすがに当時は」
「落ち込んだのか」
「はい、母が」
西の姫はすまして答えた。
「寝込んでしまいました。
母に悪い事をしたと、さすがに当時は申し訳なく思って、顔を合わせづらかったものですわ」
当人は少しも気落ちしなかったのが、ありあり伝わる顔つきで、自らの縁談不調を語ったのだった。
かつて、伯父にあたる当代国王の声掛かりで、国内の有力貴族との縁談が持ち上がった。
当人同士の顔合わせを前に、文をやり取りしたところ、何かの拍子で言い争いになってしまったのだという。
「わたくしは、別に先様をやり込める積もりではなかったのですが、勢いづいてしまいまして。
お相手の殿方に持て余された様子で、取り消しを申し込まれたのですわ。
伯父上が御怒りになられて
『我が姪に何の不都合がある』
と、先様をお叱りあそばしたところ、わたくしの文の束が差し出されたと聞きました」
「して、国王陛下は」
「黙ってしまわれたそうです。
まもなく、話は無かった事になりました。
伯父上も思わず庇うのを断念なされた程に、ひどい文面だったのでしょうね」
自分の事を話しているとは到底思えない、にこやかな表情だった。
ジークシルトも笑いを堪えられず、ひとしきり哄笑した。
「その文、読んでみたいものだな」
「もう残っていないと思われます。
その日の夕方、お城で盛大に焚火がなされたと聞いておりますので」
「それ以来、男どもが恐れをなして縁遠くなったと。
こういうわけだな」
「遠いと申しますか、縁談の類は霧消したとばかり思っておりました。
母が大慌てであちこちの夜会や貴族の集まりに足を運び、それはそれは懸命に御働き下さったのですけど、一度ついた悪評は覆せなかった模様です。
口達者すぎる、あけすけに物を言いすぎ、殿方の誇りに配慮が足りない、利発なら良いというものではない等々。
これで容姿端麗なら、多少は巻き返せたかもしれませんが、この見た目でございましょ。
もう無理です、御国では」
いっそ清々しいと言いたい口調で、きっぱり国での縁談は諦めたと語る姫に、王太子は興味深げな視線を投げかけた。
「愉快な姫君もおられたものだ。
世間とは広いな。
東には戦場に乗り込む女武人があり、西には男も裸足で逃げ出す知恵者の姫があるか。
良縁に恵まれたと思う。
おれは、はっきり言ってユピテア教など信じておらん。
本気で神に祈った事も謝意を捧げた事も、生まれてこの方一度もした事が無い。
だが、姫を伴侶として迎える一件に限っては、大神の導きであろう。
信じて遣わす」
「ありがとう存じます。
嬉しいですわ、殿下」
「で、今一つの理由はなんだ。
肖像画の顔を白紙にした、他に隠れた深遠な意図があるようだが」
「ああ、それ」
ヴェリスティルテは茶を飲み干した。
「絵の具が無かったんです」
ともあれ、王太子は妃となる女性とめでたく落ち合い、翌日には冬の保養地を後にした。
夏であれば風光明媚、美しい湖と花畑が楽しめるのだったが、この季節はただ一面を雪が覆うだけで、特に面白くはない。
「いずれまた良い季節を選んで、この地にお連れしよう。
おれは不調法者で、景色を楽しむような風情とは関わりが無い男だ。
花を眺める暇があるなら、馬を追いたいと思うのがいつもの癖なのだが、姫がおられるなら退屈しないで済みそうだ」
「お褒めに与り、光栄に存じますわ、殿下。
ええ、殿下の御無聊を慰め奉る自信は、そこそこ持ち合わせております」
なかなかに図太い。
つらっとして応答する姫を、ジークシルトは笑って眺めながら、帰りの馬車へと自ら付き添った。
腹心のラミュネスが奇しくも予言した通り、彼の帰り道は行きと違う色合いに満たされたのだった。
縁の不思議さは、別にエルンチェアばかりに発揮されたというわけでもない。
東でも、アースフルト第三親王には、配下の縁者からいろいろと宗主国の内情が伝えられている。
「我が宗主国の国王陛下にあらせられては、相当に人身離反を招いたようだね」
文書を、その配下当人に手渡して、彼は温厚そうな微笑を口元に湛えた。
目つきだけは、別である。
「その方の縁者、シュライジルと名乗っている男だが、この文面から察するに、王に対して含むところがありそうだ。
信用はおけると思う。
我がリューングレスの出であるとして、王からないがしろにされているのかね。
それならそれで、遇しようもある」
「御意にございます。
我がリューングレスから出向した文治派貴族は、属国の出身という事から、王のみならず宮廷から冷遇されております。
シュライジルは、我が父の従兄の子で、このまま当宮廷におれば立身の道が開け、かねてより想いを通じ合わせていた姫とも縁談が成るところだったのです。
ところが、出向依頼を契機に、父御は慣れぬ宮廷での気苦労と、水も違う風土から体を壊してしまい、当人も破談の憂き目にあいました。
率直に申し上げて、グライアスに忠誠を尽くす意欲を持てと言うのは酷でございましょう」
「なるほど。気の毒にな。
その姫は、もう縁づいているのかね」
「恐らくは。
シュライジルも、出向先で縁談を強要されたと聞いておりますので」
「無粋な事をなさるものだね。
さぞ、怒りをくすぶらせている事だろう。
頼まれて、万難を排し先方の宮廷に足を運んでみれば、出自を卑しめられ、成るはずだった縁談は破れ、父御も寝付いてしまうとは。
やり切れぬと思うのも無理はない。
ぜひとも我が為に働いて貰いたいな。
必ず相応の礼をもって報いる」
「ありがとう存じます。
シュライジルは、喜んで殿下にお仕え申し上げましょう。
何なりとお申し付けくださいませ」
「助かる。
今のところは、文のやり取りを中心に、先方の宮廷内の様子を逐一伝えてくれればいい。
ただし、注意は万全に頼むよ。
それから、我が宮廷にも連絡はいらない。というか、厳重に伏せてくれるかね」
「は。
宜しいのですか」
「構わない。
どうせ我が宮廷は、わたしに面倒一切を押し付けてしまう算段だろうさ。
うっかり話して、我が方からグライアス側に漏れては困る。
せっかく合力してくれているシュライジルの身を、危険にさらす事にもなりかねないからね。
万事を安全に図って貰いたい。
その方の縁者は、身柄をくれぐれも保護するように。
わたしにとっても大事な存在だ」
人心を掴む事にかけては、この第三王子は、少なくとも宗主国の国王よりは上手であるらしい。
本音の
(間者の存在を捕まれ、始末されては勿体ないじゃないかね)
は、言わずに済ませたのだった。
このような裏切り者を宮廷に置いている事に気づかず、属国とはいえ形式は独立した一国家に機密漏洩を許してしまう宗主国を、アースフルトは本気で見限り、そして
(手始めに、国王陛下の御退場を願うか。
わたしが用意する脚本にも舞台にも、間の抜けた男は必要ない。
今後は、北西と南方に力を注ぐ。
東にもう出番は無い、わたしを除いてはね)
ゆっくり頬杖をついた。