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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十四章
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赤い雪2

 間近に夕暮れが迫る中、鐘が響いている。

 峠の北側から聞こえてくる。


「何だ、今更。

 あてつけがましい」


 長々と間隔を取る低い響きは、時刻を伝えるものではない。


 ゲルトマ峠の南面を守る兵士達は、腹立たしげに、あるいは落ちつかなげに、北西方面を見やった。


「先の戦闘で、死者は幾人も出ているだろうに。

 急にとってつけたように弔鐘を打つとは」


「こちらも、鐘を打ち鳴らしては如何ですか。

 先方にだけ打たせる事はありません」


「ええい、止めんか。

 あれは挑発であろうが。

 乗ってどうする」


 若手を叱りつける新任の守備隊長だった。

 先方の思惑がどうであれ、みすみす受けて立ってはならない。


 責任者は、騒がしい旛下の兵士連中へ何度も言い聞かせた。


 実際、どれほど喧嘩を売られたように感じても、軽々しく買うわけにはいかない事情があるのだ。

 本国の首脳部は、断固として戦争回避の方針を明確に打ち出した。


 今朝方、首都からその旨が通達されたのである。

 一つの首桶と共に。


 当国外務卿の使者と称するレオス人が、峠のヴェールト塁を訪れた。

 粗末な木箱が隊長に差し出され、続いて中を検めよとの命が下された。


 箱の周囲には、蓋を開ける前から強い酒精と血生臭さが漂っており、つまりは「そういう」物だと、誰もが否応無く見当をつけた。


「……なるほど。お話はよく判りました。

 これがその、件の盗賊でございますか」


 隊長は、むっつりと呟くように言った。

 着任早々、随分な代物を見せられるものだ。

 不運である。


 箱から出された中身は、居合わせた全員の予想から少しも外れていなかった。


 黒い髪は伸び放題で、肌は浅黒い。

 年の頃は不明と言うか、恐らくは若いと思われる。


 眺めているだけでも気分が悪くなる、それは確かに男の生首だった。


 検分の為にその頭髪を鷲掴みにし、持ち上げている係の胸中いかばかりであろう。


 守備隊上層部は、首桶が登場した時点で、一人残らず宮廷の意を悟っていた。


「あー、そのう……。

 くどいようですが、この首を用いて、先方に手仕舞いを申し入れよとの確かな御意で」


「いかにも」


 聞き違いであって欲しいとは、全員の共通した願いだっただろう。


 だが使者は、守備隊長の念押しに深々と頷くのみだった。

 守備隊上層部の面々は、長嘆息せざるを得ない。

 使者の離席後


「うまくゆけば良い、がな」


 全員で改めて実検し、どの角度から丹念に眺めても、精々が年齢的に同世代であろうとしか思えず、改めて別人の首だとの結論に達した。


 暦改めの日に起きた局地戦は、全き偶発時であり、確かに切っ掛けはカプルス人の少年だった。


 が、この首の男では、断じてない。

 何よりも痩せ細り過ぎている。


 目の周りは、見開かれているにも関わらず不健康に落ち窪み、頬骨が突き出してい辺りからも明白なように、肉付きが異様に薄い。


 髭面といい後ろ髪といい、放置されていたのが明白で、いかにカプルス人とはいえ


「これは無いだろう」


 というのが、皆の意見が一致するところだった。

 誤解の余地なく、獄に下って長いと一目で判る若い男の生首は、正直に言えば扱いに困る代物だった。


「ヴァルバラスを納得させられるとは、とても思えんな」


「子供でも、長らく獄中にあった囚人なりと看破しよう」


「むしろ、先方に見せない方が余程ましなのでは」


「同感。

 こんなものを差し出して、争いの契機となった山賊ばらは討ち果たした、これにて本件は落着とされたい――通じると思う方が、どうかしている」


「ところが、我らが外務卿閣下は、通じると固く信じておいでだ。

 どうしたものだか」


 守備隊長が、嫌そうに首から顔をそむけつつ言った。

 ところが。

 一同を更に困惑させる事態が、まもなく出来した。



 追って胴体が届いたという。


 日没直後に、王都から一隊がやって来て、正視に耐えない壮絶な物体を塁に運び込んだのである。


 松明に照らし出された「それ」は、目撃者を充分に震え上がらせた。


 いわく。

 串刺しにされた、首の無い男の死骸である。


「そんなものまで……」


 守備隊長は絶句した。

 宮廷の余計なお節介に目がくらむ思いで、まことに渋々と指揮官用の詰め所を出る。


 王都から送りつけられたとあっては、自ら確認しないわけにはゆかない。


「とんだ新年の引き出物もあったものだ」


 兵士達のざわめきからは、彼らがひどく狼狽しているさまが感じられた。


「隊長どの」

 若い兵卒が、泣きべそをかいた顔でこちらを見やっている。


「あれ。

 あれをご覧下さい」

「おお」


 隊長の口からも呻きが漏れた。

 不覚を恥じる心境にもなれない。


 日はすっかり落ちて、峠周辺は底深い夜に包まれている。


 漆黒の空間に、赤みがかった黄金色を放つ松明が数本掲げられ、光が集中的に照らす部分がある。


 目算で、成人男性の身長を約二倍したと思われる長さの杭が、塁門の近くに横たえられている。


「杭打ち刑か」


 先端には、灰色の囚人服を着せられた男の身体が、垂直に突き刺さっていた。


 手足は惨めに細く衰え、服の脇やわずかな隙間から傷ついた肌が、ちら見える。


 膨傷と思われる赤黒い腫れや、打撲の跡と思しい腫れ、そしておびただしい血糊が、見る者の視界を無残に奪う。


 よく見れば服にも、盛大なしみがある。


 黒い粘り気のある塊は、肩口から胸にかけての辺りに集中していた。


 出血は止まっているものの、傷から滲み出た命の残余が峠の地面を覆う雪に広まり、赤黒く染めている。


 首を打った後に、刑務係が無理やり着せたのだろう。

 守備隊長は見て取った。


 到着時間に差が出来たのは、そのせいと思われる。

 宮廷あるいは外務卿は、どうやらこの凄まじい門飾りを、峠の頂たる駐留所の中央に堂々と掲げたいらしい。


「首だけでも手を焼くというに、胴体までもか。

 さては首脳部乱心か」


 隊長は歯軋りして、酷烈を極めた「切り札」を見やっていた。


 ぼう然としていた彼を、部下の問いが忘我の状態から正気へ戻した。


「隊長どの。

 いかが取り計らいましょう」


「いかがも何もない。

 使者どのの口上を拝聴せねばなるまいて」


 隊長は、自分への面会を希望している者の存在を確認させた。

 居るに決まっている。


 杭打ち刑に処された胴体を運んできた一隊には、朝に首桶を抱えて来た使者とは別仕立ての専任が随行しており、面会を申し込んでいるという。


 あまり長々と見ていたい物でもなかったので、隊長はそれを口実に詰め所へ戻った。


 外務卿の代理人との事で、隊長は若いレオス男性に上座を譲った。


「お役目、誠にご苦労に存ずる」

「外務卿閣下の御意向につき、謹んで言上つかまつる」


 語られた内容は、守備隊の面々の意表をつくものでは、全く無かった。


 予想通り、首はヴァルバラスへ届け、杭に突き刺された胴体は両軍陣地の中央付近に晒すべし、との事である。


 命じる方は極めて単純、あるいは楽天的な目測を有しているに違いなかったが、それを実際に「敵地」へ持ち込む方は、とても簡単な仕事だとは誰も思っていない。


 そもそも、北側の塁に足を踏み入れられるであろうか。


「時期が悪い。悪すぎる」


 隊長は頭を抱えた。


「つい先刻、弔鐘が鳴ったばかりではないか。


 まるで当方に聞かせるかのように、打ち鳴らした程だ、先方の心証は甚だ悪いと見ねばならん。


 そんなところへ、首を持参の挙句に胴体を晒せば、先方をどのように刺激するやら」


「ましてや、問題の首がかの生蕃とは明らかに別人。


 たとえヴァルバラス守備隊が暴発を思い留まったとしても、必ずやエルンチェアに難癖をつけられましょう。


 これでは、円満解決はとうてい望めませぬ」


「我が方が喧嘩を売って、何とするのでしょうか」


 事態の悪化は全員が予測し、しかも的中は確実だった。


 外務卿の意を聞いたからには、実行するより他に手は無い。


 一同は、夜を徹して頭を悩ませたが、もとより結論は出ている。


 後は、覚悟を決める。その時間が必要なのだった。

 夜が明け、峠の守りにつく人々が活動を始めた。

 俄然、騒がしくなってきた。


 あの甚だ物騒な「贈り物」が、朝日を浴びて衆目に晒されたのだろう。


「何だあれはッ」

「おおっ、杭打ち刑か」

「ヴェールトは何を考えている」


 北側でも、こちらの塁の様子を掴んだらしい。

 これ以上は黙ってもいられない。


 守備隊長は、ひどく物憂げな表情を作り、そして腹を括った。


「もはやどうなっても知らんぞ、おれは」


 小声で毒づくと、部下に首桶を持たせて、塁の詰め所を出て行った。

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