日は西より出づる6
まさに天祐だった。
ブレステリスの武人ぜーヴィスに連絡を取ったところ、彼は後ろ盾である有力貴族の同意を得たと、返書をよこした。
元王后への「ジークシルト毒殺未遂事件」問責を、彼女の従兄にあたる剣爵が了承したというのである。
どういう経緯があったかは定かでないが、あの若い武人によれば
「帰国後は従兄預かりとなったが、奇行が目立つために屋敷の勤め人から苦情が出て、ユピテア教会預かりに変わった」
との事だった。
当初は寺院入りで余生を過ごさせる計画だったとも、伝えられている。
だが、ジークシルトの働きかけを契機に、状況は変わったらしい。
「よし。
目論見通りだな」
「こちらも伝手をたどり、事を進めております。
殿下の御望みに沿い奉るよう、手はずは整いつつあります」
「頼むぞ、ラミュネス。
父上が、パトリアルス討伐を正式に御発令なさらぬうちに、事を決せねばならん」
内心の焦りを父に知られないよう、全力で平静を装っていた王太子に
「ゲルトマ峠で武力衝突事件発生す」
暦改めの日の重大案件が飛び込んできたのだ。
「天祐とはこの事だぞ。
ヴァルバラスめ、何を思ったか知らんが、よりによってあのヴェールトと一戦交えるとはな。
父上も、パトリアルスどころではあるまい」
ゲルトマ峠の攻防事件は、なるほど、焦眉の応策が求められて然るべき事態である。
バロート王も、苦虫を噛み潰した表情で
「まずは、峠問題を処理する。
ヴェールトが紛争相手だ、よくよく考えねばならんな」
例の問題はひとまず棚上げを暗に宣言した。
早速に情報収集が命じられ、新年祝賀会に参加していたヴァルバラスの外交官が呼びつけられた。
気の毒に、呼ばれたその役人の顔色は、蒼白を通り越してもはや無かったという。
一つには事情がまだ判らず、その上で当王家との婚姻を控えている。
返答は、たいそう困難だったに相違ない。
発生から五日ばかり経ち、おおよその状況が明らかになった。
バロートは、執務室でジークシルトと対面した。
あの記憶が生々しい部屋で、親子は双方とも常と変わらない顔つきをしている。
「面白い話を聞かせて遣わす」
王はにこりともしない。
王太子もしかつめらしい顔で耳を傾けている。
「峠で新たな動きがございましたか」
「いや、峠は変わらんな。
相変わらずの睨み合いと聞いておる。
面白い話とは他でもない。
ヴァルバラスから、嫁が転がる勢いで押しかけてくるわ」
王はやはり、にこりともしなかった。
王太子は、父の執務机の前で軽くのけぞった。
「よ、嫁が、ですか」
「そなたであれば、意味は判ろう」
「……はい。
ヴァルバラスは、どうしても我がエルンチェアと縁を組みたいのでしょう。
手土産は十分です。
此度の戦では、ブレステリスとの国境に軍を押し出し、牽制を行った事。
ツェノラとの南北経済同盟を通じて、ダリアスライスを動かし、いざとなればヴェールトの動きを背後から封じるという利点。
その両方を活用するには、今が好機と踏んだものと見ます。
少々強引にでも婚姻を遂げ、我がエルンチェアとの縁を強調する事で、かの国はヴェールトに対しても相応の態度を見せられますゆえ」
「うむ。
我らとしても、南方に顔が利くヴァルバラスとの縁組は、大いに利がある。
先方は、我らが断らぬであろうと強気に考えて、嫁を遣わしてくるのだ。
まあ、確かにその通りだな」
ようやく、王は軽く笑った。
「なかなか、やるではないか。
西側には、二つばかり王国があったと思うが、どちらも保守の色合いが濃い国風で、冒険を好まぬと考えていたが。
何かと言えば有職故実を持ち出し、前例にしがみつくリコマンジェと違い、ヴァルバラスは多少なりとも未来が見えるようだな。
押しかけ妻は、利発者と聞く。
利発すぎて婚期を逃したとも聞いておるが」
「案外と、その利発なる姫が発案したのかもしれません」
ジークシルトはしごく真面目に言ったが、父には冗談に聞こえたらしい。
「そなたもたまには、戯れを申すか。
よい、心を入れ替えた証と思っておこう。
せっかく嫁が駆けつけてくるのだ、こちらも一つ、誠意を見せて遣わそう」
「は」
「迎えに行ってやれ」
翌朝には出発となった。
もちろん、父は先方からの申し出を受けた際に、手はずを整えていたのだろう。
「おれが何をしたというのだ、ユピテア大神の無能者めが。
面倒なうえに退屈な時間を過ごす羽目になったぞ」
屋敷を出る間際まで、ラミュネスを捕まえてぼやいたジークシルトである。
「おれが行けば一番効果があるのは認めるが、おれでなくてはならんという程でもあるまいに。
誰か暇な連枝を遣わせば良さそうなものを」
「御言葉はごもっともながら、陛下の御下命あれば、やむをえません。
どうぞ、お気をつけて」
「おぬしは来ないのか」
「役目が違います」
「いよいよ退屈だぞ」
正直にむくれている。
ラミュネスはつい噴き出した。
「仄聞によれば、姫は御聡明におわすとか。
往路は致し方ございませんが、復路なら少しは」
「それなのだがな」
外套をはおり、王太子邸を出る準備がほぼ完了した時、ジークシルトは急に真顔を作った。
「おれは割と本気で、この忙しない姫の宮廷入りは、当人の案だと思っている」
「左様に仰せの御意は、奈辺にございますか」
「おぬしにも話しただろう。
おれは、東国境戦で女流の剣士と戦った。
あの女は見事だった。物の考え方もな。男と遜色は無かった。
女が物を考えるわけが無いとは、勝手な思い込みに過ぎなかったのだ。
実は、おれが存じておらんだけで、出来る女というのは世に少なくないのかもしれんな」
「殿下が、左様に思し召しとは」
ラミュネスは意外そうな表情で、目を瞬かせている。
実母との確執から、若主君が女性を疎ましがり、身辺に近づけたがらなかったのは、旧友ダオカルヤンともども、よく知る彼である。
ジークシルトは臣下の驚くさまには関心を寄せていなかった。
王太子邸の居間には、慣例に則り交わし合った婚約者の肖像画が置かれている。
それも、ひどく風変わりな形をしているものが。
部屋の主は、壁に目をやり
「何しろ、このおれに対して、あのような手の込んだ細工を仕掛けてくる女だぞ。
肖像画の一件だけを見ても、凡庸な姫ではあるまい」
「これは」
ラミュネスもつられて壁を見やり、すぐにまじまじと見直した。
飾られている二つの絵は、高度な諧謔を主題に描かせたらしい。
全身像は、幾ら小さくとも実際の背丈の半分はある、それが現代の主流である。
だが、どう見ても手のひらに収まる寸法しかない。
肖像画に至っては、顔が無かった。
頭髪と首の間には何も描かれていない、白紙の状態だったのだ。
意味は、謙遜なのか。
美貌でない事を自嘲しつつ、その意を伝えようとしたものか。
当人に意図を訊かねば、判然とし難い。
届いた実物を眺めたジークシルトは、最初は意表を突かれて黙り込んだが、やがて哄笑したものだ。
「いい度胸だ」
「……この場に居ない一名を、彷彿とさせますね」
「率直な心境を言うとな、ラミュネス。
おれは、ヴェリスティルテとかいう婦人に、興味を感じない事もない」
そう言うと、彼は踵を返した。
ラミュネスは頭を下げ、若主君の出発を見送った。
目的の地は、王都の西近郊カシュタエラ、貴族向けの静養地として知られている。
両者はこの小さな街で落ち合う。
(これは良い傾向と見ていいのだろう。
母君とは長らく折り合わず、恐らくは永遠にその機会は来ない。
殿下は、母君を失いあそばす代わりに、良き伴侶を得られ給うのか……それなら決して悪くないな)
西から来たる妃が、少しでも王太子の心に安寧をもたらす事が出来るなら。
若い臣下は、彼らの出会いが良いものになるよう、そっと祈った。