日は西より出づる3
「政務所へのお召し出しとは
それがしは武人にて、いささかならず合点し難きものにございますが。
お間違いありますまいか」
「外務庁次官閣下が、貴君にご面会なされる由。
武官詰め所へご足労願うにはおよばず」
その返答を得て、不思議がりつつも何とか納得した。
用向きに心当たりは無かったが、来いと言われれば行くしかない。
次官の政務室に迎え入れられると
「おおロギーマ。待っていた」
壮年文官の、いやに上機嫌そうな笑顔があった。
気味が悪い。
当人には聞かせられない感想をこっそり胸の中でつぶやいて、勧めに従い応接の席へ腰をおろした。
次官は、肥満傾向がある丸い顔を笑み崩し
「貴君に吉報があるのだ」
「吉報とおっしゃいますのは」
「貴君は請われて、エルンチェア王国へ出向する事と決まった。
王太子ジークシルト殿下直々のご指名だ。
幸甚に思い給え」
いっそ堂々たる態度と称したい嬉しげな態度で、そう言った。
ゼーヴィスは絶句し、目を見開いた。
俄かには信じ難い伝達ではないか。
「……それがしが、エルンチェアへ」
「さよう。
我がブレステリスとエルンチェア、長い友誼を結んだ両国が、一層の絆を結ぶためだ。
ジークシルト殿下は、貴君の国境戦における働きをいたく賞賛しておいででな。
ぜひにと熱望しておわす」
「恐縮にございます」
「エルンチェアとしては、当然の喜びであろう。
貴君が居ずば国境の戦いは長期化し、不利を免れなかったのだからな」
臆面もなく語る外務庁次官に、ゼーヴィスは
(仮にも軍律違反を犯して、謹慎の処分を受けた者によくも言う)
吹き出したい思いを抱えたが、むろん行儀よく頭を下げた。
円卓の白く光る表面を見つめつつ、あれこれ考えをめぐらせてみる。
なぜ自分が指名されたか。
まさか気に入ったからというだけではあるまい、と思う。
あえて自分である理由は、別にあるだろうと予想した。
むしろ重大視すべきは、次官が浮かれていると言ってもよい程に表情を明るくして
「エルンチェアとの友誼云々」
と語った態度の方だった。
外交関係者が喜色満面になるとなれば、エルンチェア側から東との軍事同盟締結の一件を不問に付す旨、明言があったがゆえであろう。
少なくとも当座は問責される可能性が低くなっており、懸案解決の先送りに過ぎないとしても、直ちにブレステリスが没落の危機に瀕する恐れがなくなった事を示している。
現状はこれで満足すべきだった。
救われた。
ともかくも、祖国は延命した。
ゼーヴィスは、姿勢を元に戻しつつ、心からの安堵を味わっていた。
「ときに、ロギーマ」
「はっ」
「貴君がエルンチェアへの出仕は、栄転である。
しかし、条件が幾つか付帯していてな」
「条件」
「うむ。
貴君が先に宮廷へ提出した、ジークシルト殿下より賜った書状には、バロート陛下の御署名入りで、事の一切を不問に付す旨が記されていた。
追って先日、王太子殿下より別の書状が到着し、貴君の宮廷出仕をお望みにおわすとの由。
ついては、殿下の思し召しに従う意はあるかと御下問を賜る」
「それは、もちろん」
「しからば、これを」
厳重に蝋で封された一通が差し出された。
「昨日、届いたものだ。
必ず未開封のまま、貴君の手元に届けよとの御意向が添えられていた。
封書の中身について、我らは預かり知らんのだ。
知ってもならん。
よいか。
必ず人目の無いところで読めよ」
用は済んだ。
城から下がる時、吹雪は多少ながら収まっていた。
ブレステリスの冬季を通して見れば、まだ積もった内には入らない。
だが、路面の具合は甚だ宜しくなかった。
用意されている馬車も冬の仕立てになっている。
車輪の底には、蝋を塗った板が取り付けられており、傍には雪かき棒を手にした従者が四人ついている。
目抜き通りでも、またたく間に道が埋もれて馬車が通れなくなる為、専任の除雪担当者を伴わないと移動もままならないのだ。
街角にも、それを仕事にしている若い男たちがたむろしている。
溜まり場になっている酒屋の扉越しに係が外を覗き、馬車が通りかかる度に仲間へ合図して、わらわら飛び出して来る。
「旦那。
お道をお作り致しましょう」
「我々の方が、仕事は速いのでございます」
のろのろ進む馬車に群がり、専任従者と口論しながら、粘り強く交渉してくる。
そのうち火興し屋と称する暖気売りもやって来た。
北国では、石を焼いて布に包み懐へ入れて暖をとるのが、冬道を歩く際の一般的な方法で、町人や農村の住人は
「暖気、暖気。
石焼きの暖気」
と叫んで通行人や旅人の注意を引くのに躍起になる。
よい副収入となるので、これも雪よけの男たち同様、貴族の馬車を見かけたら、こぞって走り寄って来るのである。
暖気売り同士で上客を巡り喧嘩沙汰を起こすのも、実によくある光景だ。
ゼーヴィスの馬車も、たちどころに十数名の雪よけ男、暖気売りに取り囲まれた。
普段であれば閉口するところだが、長く屋敷に籠っていた身としては、冬の名物と称してもよい光景が奇妙に嬉しく、いつもよりは機嫌良く小銭を取り出して、明かり取りの車窓の隙間から外へ放り投げた。
「雪はよい。
火興し、従者らに石を配れ」
わっと声が上がって、硬貨を拾うらしい人々の気配が伝わってきた。
外を覗くと、首尾よく報酬を拾う事に成功したと見える男が、いそいそ袋を従者へ手渡すところが目に入った。
幸運に与れなかった連中が舌打ちし、何やら罵りながら引き下がって行く姿もあった。
ゼーヴィスは苦笑して雪かきの従者一同へ
「後で手当てをはずむゆえ、その方らは先に行って馬車の道を作れ。
角に差しかかる毎に足止めされてはかなわぬ」
指示した。
懐に暖かい石を抱えた男達が走って前に出て行き、懸命になって雪かき棒を振り回し始めた。
雪の塊をすくいあげて路肩へ投げ出すのである。
馬車の御し手が作業の進捗具合を検分しつつ、慎重に手綱をとって馬を進ませる。
夏であれば風のように駆けぬけてゆけるものが、このじりじりとしたさまでなければ前へ行けない。
ゼーヴィスは慣れているので、こういうものだとしか思っておらず、特に苛立ってはいなかった。
むしろ、例の文に目を通す丁度良い案配だと考え、懐から封書を取り出した。
明かり取りから差し込んでくる、かすかな外の光を頼りに、すばやく読み下す。
最初の一行にしてからが、仰天に値する書き出しだった。
(これが殿下の御考えか……なるほど。
キルーツ剣爵閣下にご相談をせねばならんな。
おれではどうにもならん。
閣下のお力添えが必要だ)
屋敷に戻ったら使いを出すと考えたが、すぐに気を変えた。
馬車を一旦停止させ、雪除けの従者を一人呼び
「その方は急ぎ我が屋敷へ戻れ。
伝令をキルーツ剣爵閣下邸に走らせ、次の通りに申し伝えるよう。
火急の件あり、ゼーヴィスが本日中のご面談を望んでいる、と」
「かしこまりました」
「必ず本日中のご面談を望むとな。
忘れず伝えるように」
日が落ちた頃、屋敷に剣爵が訪ねて来た。
彼にも、概略が伝わっていたと見え、話は早かった。
「そうか、ジークシルト殿下の思し召しか。
ご苦労だった、ぜーヴィス。
貴君に前線へ出てもらった甲斐があった」
「問題は、ジークシルト殿下の御意向に、これなる件が含まれている事でございます」
例の文書を差し出す。
剣爵も、一通りを読んで驚いた。
「何という、苛烈な思し召しか」
「はい」
「これを、わたしに行えと。
仮にも従兄だぞ」
「申し訳ないと存じております。
しかしながら、わたしの手には負えません」
驚きの後は、怒りに取って代わられたらしい剣爵に、ぜーヴィスは恐縮した。
腹が立つのも無理はないところだろう。
クレスティルテを、いや彼女の命を、エルンチェアに差し出すという策だったのだから。
「少し、時間を貰いたい。
実のところ、判ってはいる。
判ってはいるのだがな、わたしにもいろいろと支度が要るのだ。
やるならば、構えて慎重に準備をせねばならぬ。
根回しも要ろう」
「それはもう、むろんにございます。
しかし、殿下はどうやらお急ぎの模様。
なるべくは、お早目のご決断を願い上げます」
「判っている」
剣爵は、苦悩を込めて頷いた。