王子流転6
「でっちあげに決まっておる。
レイゼネアの告発だと。
そんなばかな話があるものか」
エテュイエンヌ王国の主は、怒りに震えていた。
王たる自分の与り知らぬところで、最も期待をかけた実子が追放されたというのだ。
手を下したのは、同じく実子、ただし最も期待から遠い男である。
「シルマイトをこれへ。
断じて王城本丸に呼んではならん。
我が私室に来るよう、厳重に申し伝えよ」
城の中でも、王族の在所でなければ会わない。
父王は固く決意している。
その意図は、召し出しを受けた当人にも自明だった。
(どうしても嫌か。
ふん、頑迷な親父どのめ。
まあいいさ。
近々、はっきりさせてやる。
この城の主が本当は誰なのか、をな)
シルマイトは、父が現在のところ示せる唯一にして最大の不快感表明を、鼻で笑いつつ
「承知。
御意の通りに」
表向きの態度はごく温厚に装って、居間へ足を向けた。
(もちろん、告発云々が茶番劇である事くらい、親父どのは見抜いているだろう。
見抜いたところで、どうにもなるまいよ。
何か出来るというのなら、やってみるがいいさ)
父の抵抗を、シルマイトは
「老いぼれの無駄なあがきだ」
まともに相手取る価値は無いと見ている。
城内では顔を合わせない、やり取りは私室に限定するとの父の意は、ロベルティート無断追放に対する暗黙の抗議であり、更には
「おまえを次の王は認めない。
禅譲など有り得ない」
暗黙裡ながら、断固とした主張だろう。
それが何か。
シルマイトにすれば、今や当王室における正嫡はこの世に亡く、跡を襲うべき嫡流の男子も、一人しかいない。つまり、王位継承権利者は自分だけではないかと。
嫌も何もない。
居間を訪れた王家末弟の口元には、憫笑が宿っていた。
父は、新年祝賀会の時に見せていた表情を、どこへ置き忘れたものか。
手元に残った最後の男子に、視線を与えようとはしない。
第五王子も、特に断りを入れず、兄の指定席と称してもよい程、ロベルティートばかりが座っていた位置に、平然と腰を下ろした。
父は、嬉しくなさげな顔になった。
シルマイトにはそう見えた。
「召し出したは、他でもない」
早々に、話を切り出す父である。
「典礼庁に届け出られた、レイゼネアの告発文とやら。
これはなんぞ」
「おお、父上の御手元にも届けられましたか。
わたくしも、驚いております。
まさか、ロベルティートどのが、このような暴挙に出るとは思いもよらず。
さては祝いの酒を過ごされたかと」
「黙れ」
父が、王の顔になった。
外され続けていた視線が、王家末弟に射込まれる。
「見え透いたお為ごかしは止めい。
その方、そんな戯れが通じると思うのか」
「ええ、通じると思っております」
シルマイトは、依然として余裕を保っている。
やや怯んだ感がある王へ、冷笑を向け
「通すしか、ございますまい。
ロベルティートどのは、裸馬による都市周回の刑に処せられた。
教会を侮辱したという告発によるものです。
ただし、公式の発表では、詳しい事情を伏せているのですよ。
妹の名誉の為に」
「む」
「勇気ある告発を行ったレイゼネアを守るには、踏み込んだ内容に触れない方が、宜しうございましょう。
ロベルティートどのの主たる罪は、他国と語らって、我がエテュイエンヌに背徳の裏切りを行ったもの。
追放は、これでも罪一等を減じたのですよ。
王都からの追放まかりならぬと仰せなら、先に断罪を賜った兄上方同様、宝玉の杯を干して頂くしかなくなるのですが」
「証拠は。
ロベルティートを、祖国への背徳者と称するに足る証拠はどこにあるのか」
「ご高覧を賜るとの御意であれば、是非もございません。
早速にご用意致しましょう。
今一つ。
明日と言わず本日中にも、レイゼネアの身に何が起きたのか、詳らかになる事と存じます」
「シ、シルマイトッ」
「父上、いえ陛下。
裸馬の刑が何を意味するのか。
御高察を賜っているものと、わたくしは存じておりましたが、よもや違いますのかな」
薄笑いを浮かべて語る第五親王を、父王は
(いったい、これは何者だ。
予の実子とは思えない。
姿かたちだけが似ている、誰か別人にすり替わったのではあるまいか)
慄然とせざるを得ない。
明らかに、脅しているのだ。実の父に対して、実の妹をいわば人質にして。
教会への侮辱行為ありとの告発は、シルマイトにとっては真の目的ではないのだろう。
レイゼネアに「名誉を大いに損ねる何か」があったと匂わせ、事情を秘匿したいのなら、我が意に沿えと要求する。
その為の手段に過ぎないと、王は看破している。
だが、確かに有効な恫喝なのだった。
今はまだ、具体的な理由は語られておらず、少なくとも表沙汰にはなっていない。
シルマイトが指摘するところの
「他国と誼を通じ、当国へ不利益をもたらした」
事が、ロベルティートを断罪した直接の理由という事になっている。
今ここで、父が四兄可愛さに庇おうとすれば、裸馬の刑を科された理由を、広く世に流布するぞ。
シルマイトは、底冷えするような冷たい笑いに、悪意をたっぷりと滲ませて、妹にもそうしたように、父へ屈服を迫っているのだった。
彼の真意を見通す事は出来ても、だが。
レイゼネアを盾にされては、父といえども、強引な策は甚だ取りづらい。
現在は、宮廷の中でもごく一部、神務庁と典礼庁の長官及び側近数名にしか把握されていないが、報告書によれば
「ロベルティートは、レイゼネアの寝室に押し入り、淫らなる行為を要求した」
とある。
当然、そんな話があろうはずはない。
王子どころか、実父たる王の権威をもってしても、未婚の女性に在所として与えられている宮殿の奥向きには、足を運ぶ事など不可能である。
どの王国でも一律に王族の為の居間、談話室などを設けているのは、間違いが起きないようにとの警戒が理由なのだ。
ロベルティート自身が申し立てたように
「男のわたしが、どうやって姫の寝室に渡る」
のであり、でっちあげ以外には有り得なかった。
ただし、噂とは、必ずしも理路整然とした根拠を必要としない。
聞いて面白いもの、印象が強くて珍奇なものが、人々の耳目を楽しませる。
もしあれこれと脚色され、広められたら、僅か十五歳の少女は、永遠に払拭し得ない不名誉を負わされるだろう。
そして、噂に命を奪われるかもしれない。
許されるなら、王は
「例え十五の年若い姫とても、我が王家の血を引く娘。
軽々しくも、王太子に内定した者を告発などするわけがあるまい。
だいいち、事が事だ。
うかつに騒げば、自らにも傷がつくわ。
年頃の娘が、進んで汚名を着たがるものか。
父に打ち明けにくいのであれば、母があるではないか。
万が一、そのような事態が起こったのなら、真っ先に母へ相談をもちかけて然るべきだ。
わずか十五歳の娘が、両親の考えを仰ぎもしないでいきなり告発など、あってたまるものか。
シルマイト。 おまえだ。
黒幕は、おまえの他に無いッ」
叫びたかった。
しかし、胸の中での絶叫に留めるしかなかった。
「……もうよい。
シルマイトよ。
今後を如何にする積もりか」
「御賢明なる御分別を賜り、恐悦至極に存じ奉ります。
まずは、親戚筋となるべきだったダリアスライス王国へ、親書を御送りあそばせ。
ロベルティートは追放、代わってシルマイトが立太子の令旨を得た、と」
父を相手に完勝した。
手応えは十分、早馬による特別仕立ての急便であれば、明日には先方に送り付ける事も可能だろう。
意気揚々と自室に引き上げた第五王子を待っていたのは。
「何っ。
ゲルトマ峠で武力衝突だと」
「はい。
更に、かの御方の動向でございますが、まるきり計算外の状況になりました」
淡々とした老執事の報告だった。
「どういうわけか、イローペどもが、かの御方を救った模様」
「イローペが救った。兄をか。
おいッ、何を言っているのだ。
救ったとはどういう事だ。
意味が判らんぞッ」
シルマイトは立ち尽くして、梟雄らしからぬ当惑ぶりを見せていた。