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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十二章
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王子流転4

 精緻な時間の概念を持たないイローペの民は、経験によってのみ料理の具合を把握する。

 鍋の中で煮えている食材の色合いと、軽い味見、これだけで完成を判断する。


「よし」


 経験豊富な女が、出来栄えに納得した頃、族長の帰還が報告された。

 物見に出ていた若い女が


「バズのお帰りだよう」


 叫びながら、急ぎ走り戻って来たのだ。

 かまどを囲んだ女衆が、たちまち日焼けした顔を笑い崩した。


「腹ぺこヤーヤども、ずいぶんと鼻が利く事だねえ」

「いい按配に帰ってきたもんだよう。

 食べ頃に煮えたからね」


 ほどなく、蹄が大地を掻く音が轟き渡り、盛大な雄叫も沸きあがった。

 南の方角から、黒い馬群が砂塵を蹴立てて進んで来る様子が見始めている。


「ボーラッ」

「ウーシャ・バズ」


 族長の帰還を喜ぶ唱和が起こる。

 歓迎の声に応えるように、草原の生活によく馴染みきった黒毛の馬が群れをなし、かまどの周りをぐるぐる駆け巡る。


 しばらく、ボーラとウーシャの掛け声が飛び交った。

 歓声の応酬が収まると同時に、馬の乗り手達が手綱を引き絞り始めた。


 気が早い者が、まだ馬に勢いがついているにも関わらず、鐙からつま先を離している。

 一人、焦りすぎたのか、馬の背から転がり落ちた若い男がいた。


「あっ」


 慌てる声が、馬上のどこからか聞こえたが、それは一人だけの事で、後は誰も驚きもしない。

 女衆に至っては、どっと爆笑して


「何をやってるのさ、半人前のヤーヤ。

 娘ッ子の目の前で馬から落ちた日にゃあ、嫁の来てがなくなるよう」


「ばかだねえ、ヤーヤ。

 そんなに慌てなくても、鍋は逃げやしないさね」


「おっちょこちょいも居たもんだ」


 からかう始末である。

 確かに、適齢期らしい娘達は揃って顔をしかめていた。


 いかにも情けないものを見たという体で、大きく溜息をついている少女もいる。

 既に夫を得ている女達にとっては、若い男(ヤーヤ)の失敗は笑いの種でしかないのだろうが、未婚女性にしてみればかなり重大な関心事らしい。


 馬を御す能力とは、どうやらイローペ民族においては、男の価値を測る大事な物差しと見える。

 彼らの客人となったロベルティートはそう理解した。


 草原に起居する人々が、どのような日常を暮らし、価値観を有しているか。

 宮殿に暮らしていた当時には、伝え聞く事すら無かった世界を、垣間見ている。

 何とも、不思議な気分としか表現しようがない。


「どうした、ドゥマ」


 族長ことカムオが振り向いて、背中越しに尋ねて来た。

 若いイローペ男の落馬を目撃して、動揺した唯一の人物に、彼は彼で好奇心を刺激されたらしい。


「馬から落ちる男が、そんなに珍しいのかい」

「いや、そうではなく。

 彼は大丈夫なのか。

 誰も案じている様子が無いのだが」

「そんな物好きがいるものか」


 ロベルティートが気を回していると知って、カムオは吹き出した。


「馬に関しては、おれ達ぁ子供の頃から、嫌ってくらい痛い目に遭ってる。

 大怪我しないように転がり落ちるくらいの技術は、どんな間抜けでも心得ているさ。

 その程度も覚束ないようじゃ、草原暮らしは無理な相談だ」


「そうか。

 そなた達にとっては、乗馬とは、遊びで嗜むものではないのだな。

 暮らしそのものなのだ」


 正直に、強い感銘を受けているロベルティートを、カムオはしばらく眺めていたが、乗り馬の背から飛び降りざま


「がははは」


 無遠慮に大笑した。


旦那(ドゥマ)旦那(ドゥマ)

 あんたは、草原の住人には、骨のかけらまで向いちゃいないな。


 放っておいたら、旬日(じゅんじつ)も生きられなかっただろうよ。

 会えてよかった」


「全くだ。

 わたしもそう思う」


 族長に手を貸されて大地を踏んだロベルティートも、苦笑しつつ同意した。

 草原どころか、町の片隅ですら、宜しく生計(たつき)をたてる事は叶わない身である。


「そなた達を遣わして下さった、ランスフリートどのの御英断がなければ、今夜中には命を落としたに違いない。

 ぜひ、我が命の恩人について、聞かせて欲しい」

「ああ。

 鍋と酒で体を温めながら、ゆっくり話をしてやるよ。

 ま、ちょいとばっかり、誤解もあるようだがね」


 族長は天幕へと客人を招き、煮えたばかりの鍋と酒を女達に持って来させた。

 部の民の代表格らしい男衆も顔を揃え、良い匂いがする木の椀が給仕されてゆく。


 牛の内臓と野菜を、骨からとった旨味の汁で、さっと煮ただけという。

 ひどく素朴な品が手渡される。


 香辛料の匂いにつられて、ロベルティートは椀を覗いた。

 見た目は黒く、また内臓の形も精肉とは違う。

 初めて見たものだった。


「驚いたかい、旦那(ドゥマ)

 おれ達ゃ精肉より、臓物の方を食うんだ。

 肉は売り物だし、実をいうとな、臓物の方が美味なんだぜ」


「そうとも。

 慣れりゃ、乙なもんなのさ。

 おれ達を信じて、食ってみな」


「ああ、ありがとう。

 確かに、いい匂いがする」


 イローペの御馳走だという、内臓の煮込み。

 思い切って煮汁をすすり、少し目を瞠ってから


「なるほど。美味だな。

 これは宮廷の誰もが知らない、草原ならではの御馳走だ」


 真面目に絶賛した。

 あっというまに椀の中身を平らげたのである。

 その食いっぷりを見た草原の男達は歓声を上げ、大喜びで


「ボーラ」


 を唱和する。

 賑やかな雰囲気の中で、空腹を宥めつつ、一通りの話を聞いたロベルティートは、カムオの


「ってな訳だったのさ。

 で、ドゥマ。

 あんたぁ、これからどうするね」


 問いに


「道は一つしかないな」


 落ち着いた表情で答えた。


「国を取り返す。

 その為に、行かねばならない」


「ほう。

 どこへ行くってんだ」

「ダリアスライスだ」


 今や唯一となった可能性について、ロベルティートは静かに言及した。

 着の身着のままで王都を追われた彼が、活路を見出すとすれば、ダリアスライスの国力を恃みとする以外

にない。

 当事者のみならず、助けた族長にも自明だったようだ。


「そりゃあそうだな」


 重々しく頷く。


「あんたは、今となっちゃ王都には戻れないだろう。

 都に帰れないって事は、この国のどこにも居場所は無いってこった。


 そんなら、心当たりの友達を訪ねるしかないな。

 ま、ドゥマ・ランスフリートの事だ。


 話も聞かないで、いきなり追っ払ったりはしないだろうよ」


「……だと、良いのだがな」


 率直に言えば、期待はしかねる。

 ダリアスライスから見れば、王位継承権を失って放逐された、王太子のなり損ないなどに用は無い。


 役に立たぬばかりか、その存在が、エテュイエンヌとの間に強烈な緊張状態を生じさせ、場合によっては紛争の原因にならないとも限らないのだ。


 居て貰うだけでも迷惑と、彼らが考えれば、王家居城の門をくぐるはおろか、国境すら通れずに、この冬の草原へ追い返されるだろう。


 より悪くすれば、身柄を拘束されて本国へ送り返される事も有る。

 ランスフリートが個人的に、自分をどう思ってくれようと、それは個人の思い以上にはならないのだ。


 ましてや、官僚支配体制を広く知られているダリアスライス王国では、将来の国王に無限の権力は認められていない。

 だが。


「聞いてくれるさ。

 ドゥマ・ランスフリートはいいやつだ。

 話を聞いて、食い物と寝床くらいは用意してくれるだろうよ」


「……そうだな」


 単純な人物評を口にするカムオを見ているうちに、不思議とその気になって来た。

 どうせ、行き場は無い。

 このまま草原を彷徨っても、都に無理やり帰っても、永らえる見通しは立たないのだから。


(ダリアスライスで死ぬ事になったとしても、枯れ野原で凍え死によりはましだ。

 少なくとも葬式くらいはしてくれるに違いないからな。


 婚約者(フェレ―ラ姫)どのの御麗容を、一目拝見の幸運が舞い込めばなおよし。

 同じ顔を見るにしても、あのシルマイトの殺意に満たされた無気味な顔つきが、おれがこの世で見た最後

の顔だという悲劇に比べれば、どれだけ安らかに死ねるというものか)


 考えているうちに、いつのまにか笑声を漏らしていた。

 カムオは首を捻った。


「何を笑っている」

「いや、何でもない。

 イローペよ。

 わたしを少しでも哀れと思ってくれるなら、ダリアスライスの国境までで良い。

 送って欲しい」


 ロベルティートは表情を引き締めて頼んだ。


「厚かましいのは重々承知、労に報いる手段もわたしにはない。

 それでも、今はそなた達だけが頼りなんだ。

 わたしを救ってくれるだろうか」

「ああ」


 ひどくあっさりと、カムオは応じた。


「構わんよ。国境まででいいならな」

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